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オシムさん安らかに

今こそ必要なオシムさんの言葉。もう聞くことが出来ない・・・

イビチャ・オシム氏が死去。80歳。
昨日(5月1日)ネットニュースを見ていたら訃報を見つけてしまった。

芸能人の訃報を見てもそれほどショックを受けない自分だが、オシムさんが亡くなることは自分にとって大きな衝撃だ。

冥福を祈るばかりだが、もう新たなオシム語録が生まれてこないことが悲しい。

オシムさんはユーゴスラビアの代表監督だった時代でも家族を戦時下に置きながらチームの指揮を取っていた人。

民族紛争下では3つの異なる民族のヒーローを使うことで、チーム力として機能しないことをあえて示した。

現在、世界は戦争不安の中でスポーツイベントが開かれているが、カタールワールドカップ開催についてもオシムさんのコメントを期待していた。

オシムさんがいなければサッカーコーチを続けていなかった

日本代表監督時代に脳梗塞に倒れたオシムさん。その後も心臓の持病を抱えながら世界中のサッカーに目を配っていたらしい。

そのオシムさんが代表監督になったのが2006年。ドイツワールドカップの直後だった。

ジーコ監督が率いるドイツワールドカップのメンバーでもオーストラリアに勝てなかった衝撃は今も忘れなれない。あのメンバーでもダメなんだ。

当時、すでに少年サッカーのコーチだった自分は、中田英寿氏や小野伸二選手たちの才能と個人技に酔いしれ、自分のチームでの指導に大きな影響を与えていた。

ドイツワールドカップ後、白い灰になったのは中田英寿氏だけでなく、多くのサッカーファン、指導者、選手もそうだったに違いない。

日本のサッカーはどこへ向かって行けばいいのか?
ジーコの後任は誰なんだ。

当時、川淵チェアマンがオシムさんにラブコールを送っていたが、なかなか承諾してもらえないので、記者会見で「言っちゃったよ、オシムって言っちゃったよ」と既成事実を作ってオシムさんが断れない状況と作ったというエピソードがあった。(記憶をたどっているので正確さは曖昧)

就任から3年足らずでジェフ千葉をナビスコ杯で優勝させていたオシム氏の手腕は世界からのお墨付きで、なぜ代表監督をやらないのかというムードだった。

オシムさんがどんな指導をするのか。サッカー界、選手、指導者、マスコミが興味津々だった。ジェフ千葉時代には見向きもしなかったマスコミがオシムさんを取り囲んでは、オシムの言葉の前にタジタジとなったものだ。

オシムさんの練習メニューとその目的について思い出してみると次のようなものだった。

・多色のビブスを使って選手の脳を疲労させるオシムの練習
・次の練習メニュー、明日の練習メニューを選手に伝えず、新しいメニューを理解し、考えさせることを行う。
・考えて走る。走りながら考える。
・人もボールも動くサッカー。
・水を運ぶ選手が必要だ。

オシムさんの練習と思考はドイツワールドカップでのショックから立ち直るに十分なものだった。理屈っぽいとか、それじゃ勝てないとか批判もあったが、指導者としての自分にはオシムさんの練習方法は育成色が濃かった。

中田英寿氏や小野伸二選手のような天然ものの選手に頼るのではなく、チーム強化、選手強化は指導方法ひとつで変わる。

閑話休題 オフトの思い出

約30年前の1993年。自分はまだサッカーコーチにはなっていなかったがサッカー指導に関わっていた。
ハンス・オフト氏が代表監督になり、日本はついにワールドカップに出られるに違いない。森保一など若手を起用してベテランとのバランスをとっていた。外国人監督に期待を持ち、ハンス・オフトに関心を持った。

まあ結果はドーハの悲劇となり、ワールドカップ初出場は1998年のフランス大会までお預けとなるのだが。
(以下、心の声。岡田監督だった、あの時も。オシムさんが病に倒れたあとも岡田監督だった)

頭を使うとはそういうことだったのか

サッカーの指導現場では、練習や試合で「頭を使え」とよく言っている。
でも、頭の使い方を教えてくれる指導者はいなかった。

僕は他のチームから学ぶことが好きで(パクるともいうが)、いいチームだなというチームに出かけて話を聞いていた。
ビデオを撮り、ボイスレコーダーを使って情報を集めた。

しかし、頭の使い方を体系的に教えてくれる指導者には出会えなかった。

オシムさんの練習方法が紹介されるにつれ、日本代表でもこんな練習するのか(ビブスの色で判断するっていう練習)と疑問を持った。

しかし、これこそが頭を使うための問題演習だったと後で気づいた。
算数で言えばドリルをやることで応用問題を解けるようになるというが、ドリルと応用問題の差は大きい。そこで「例題」を与えて、ものの考え方を身に着けて応用問題に挑む。

オシムさんの練習はとても複雑な例題にあふれていて、しかも、代表選手たちの様子を見てアレンジを加えて行くというもの。

これは深いわ。でも、小学生の指導に使える部分がある。

そう考えた時に、サッカー指導への情熱のギアが3段ぐらい上がったように思う。

サッカー指導メソッドにはクーバー・コーチング・サッカースクールなどがあるが、ボールを視点の中心に捉えるか、人を中心にするかの違いがあるように思う。

情熱のギアがあと2段上がる

ここまで指導者側としての魅力を伝えたつもりであるが、チーム力アップの前に選手を育てることが大事で、選手を育てるためにはどうしても「スキル重視」になってしまう。

自分の年代だと、スキル=ブラジルで、組織的にはドイツサッカーだった。
当時はスペインサッカーが人気だったが、オシムさんはどの国のサッカーを目指すこともなく、日本人にあった日本のサッカーを目指していた。

サッカー後進国の日本だったが、身体的能力、民族性など日本人にしかないメリットを生かしたサッカーを目指すべきだ。

外国人のオシムさんが日本にプレゼントしてくれた言葉。
情熱のギアが2段ほどあがっていた。


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