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性同一性障害特例法による性別取扱い変更の問題

1.性同一性障害特例法とは

 戸籍上の性別は、出産後14日以内に届出が義務づけられる出生届の「子の男女の別」等の記載による(戸籍法49条1項、2項1号)。そして、これは、出産に立ち会った医師・助産師等のうちの1人が作成する出生証明書に記載する「男女の別」によって証明される(同条3項)。
 このようにして法律上の性別が定まるが、心理的には法律上の性別とは別の性別であるという持続的な確信を持ち、かつ、自己を身体的および社会的に他の性別に適合させようとする意思を有する者であって、そのことについてその診断を的確に行うために必要な知識および経験を有する2人以上の医師の一般に認められている医学的知見に基づき行う診断が一致しているものを「性同一性障害者」と呼び、一定の要件のもとで、法律上の性別の取扱いの変更を求めることができる(性同一性障害特例法2条)。

*1 「性同一性障害特例法」は、1998年の性別適合手術の国内での実施等、医学の領域において性別適合手術の実施体制が整備されていった中、法令上の性別の変更を立法によって可能とすることを求める声が高まるようになり、2003年に議員立法によって成立した。
*2 現在は、出生時に割り当てられた性別(戸籍上の性別、身体の性別)と本人が自認する性別が一致しない状態のことを「性同一性障害者」といわず、「性別違和(Gender Dysphoria)」と呼ぶ。
*3 性別の取扱いの変更
裁判所の裁判手続案内のHP参照

 性同一性障害特例法3条1項によれば、性別の取扱いの変更を求めるためには、次の要件をすべてを充たす必要がある。
 ① 18歳以上であること。
 ② 現に婚姻をしていないこと。
 ③ 現に未成年の子がいないこと。
 ④ 生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。
 ⑤ その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること。

 以上について、立法当初から厳しすぎるという批判があり、裁判所の判断を求める訴訟事件も少なくなかったが、近時、④の要件について、これを合憲とした最二小決平成31.1.23判時2421号4頁を裁判官全員一致で覆し、憲法13条に違反し無効であると判断した最大決令和5.10.25民集77巻7号1792頁が注目されている。

最二小決平成31.1.23判時2421号4頁

最大決令和5.10.25民集77巻7号1792頁

2.令和5年最高裁大法廷の違憲決定

 本事件は、4号(生殖不能)要件とともに、5号(外観)要件の憲法13条等の違反を問題にしたものである。大法廷決定は、概略、以下[最高裁大法廷決定(抜粋)]の理由をあげ、性同一性障害特例法3条1項4号は憲法13条に違反するとした。
 原審は、4号(生殖不能)要件について、性別変更審判を受けた者が変更前の性別による生殖機能により子が生まれることがあれば、社会が混乱しかねないとの配慮に基づくものでありその制約の態様等には相当性があるとして憲法13条に反しないとして性別の取扱いの変更の申立てを却下し、5号(外観)要件については判断しなかった。そこで、申立人が特別抗告をしたところ、最高裁は4号(生殖不能)要件についてのみ判断し、原審決定を破棄差戻して、5号(外観)要件にかかる当事者の主張の判断は、差戻控訴審に委ねられた。
 差戻控訴審では、結論として、申立人は性別適合手術を受けていないが、継続的に医師の診断に基づくホルモン療法を受けており、精神科医2人による診断とその後の別の医師による観察でも身体の女性化が認められていることから、5号(外観)要件に該当するとして、性別の変更を認めた(広島高裁令和6.7.10決定・判例集未登載・11日付け各誌朝刊による)。
 以下では、最高裁大法廷の違憲決定の要点を紹介し、主要な論点を検討する。

[最高裁大法廷決定(抜粋)]

(1) 憲法13条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と規定しているところ、自己の意思に反して身体への侵襲を受けない自由(以下、単に「身体への侵襲を受けない自由」という。)が、人格的生存に関わる重要な権利として、同条によって保障されていることは明らかである。
 生殖腺除去手術は、精巣又は卵巣を摘出する手術であり、生命又は身体に対する危険を伴い不可逆的な結果をもたらす身体への強度な侵襲であるから、このような生殖腺除去手術を受けることが強制される場合には、身体への侵襲を受けない自由に対する重大な制約に当たるというべきである。
(2) 性同一性障害者がその性自認に従った法令上の性別の取扱いを受けることは、法的性別が社会生活上の多様な場面において個人の基本的な属性の一つとして取り扱われており、性同一性障害を有する者の置かれた状況が既にみたとおりのものであることに鑑みると、個人の人格的存在と結び付いた重要な法的利益というべきである。このことは、性同一性障害者が治療として生殖腺除去手術を受けることを要するか否かにより異なるものではない。
(3) 本件規定が必要かつ合理的な制約を課すものとして憲法13条に適合するか否かについては、本件規定の目的のために制約が必要とされる程度と、制約される自由の内容及び性質、具体的な制約の態様及び程度等を較量して判断されるべきものと解するのが相当である。
(4) 性同一性障害を有する者は社会全体からみれば少数である上、性別変更審判を求める者の中には、自己の生物学的な性別による身体的特徴に対する不快感等を解消するために治療として生殖腺除去手術を受ける者も相当数存在することに加え、生来の生殖機能により子をもうけること自体に抵抗感を有する者も少なくないと思われることからすると、本件規定がなかったとしても、生殖腺除去手術を受けずに性別変更審判を受けた者が子をもうけることにより親子関係等に関わる問題が生ずることは、極めてまれなことであると考えられる。
 また、上記の親子関係等に関わる問題のうち、法律上の親子関係の成否や戸籍への記載方法等の問題は、法令の解釈、立法措置等により解決を図ることが可能なものである。 性別変更審判を受けた者が変更前の性別の生殖機能により子をもうけると、「女である父」や「男である母」が存在するという事態が生じ得るところ、そもそも平成20年改正により、成年の子がいる性同一性障害者が性別変更審判を受けた場合には、「女である父」や「男である母」の存在が肯認されることとなったが、現在までの間に、このことにより親子関係等に関わる混乱が社会に生じたとはうかがわれない。
 これに加えて、特例法の施行から約19年が経過し、これまでに1万人を超える者が性別変更審判を受けるに至っている中で、性同一性障害を有する者に関する理解が広まりつつあり、その社会生活上の問題を解消するための環境整備に向けた取組等も社会の様々な領域において行われていることからすると、上記の事態が生じ得ることが社会全体にとって予期せぬ急激な変化に当たるとまではいい難い。
 以上検討したところによれば、特例法の制定当時に考慮されていた本件規定による制約の必要性は、その前提となる諸事情の変化により低減しているというべきである。
(5) 本件規定による身体への侵襲を受けない自由に対する制約は、上記のような医学的知見の進展に伴い、治療としては生殖腺除去手術を要しない性同一性障害者に対し、身体への侵襲を受けない自由を放棄して強度な身体的侵襲である生殖腺除去手術を受けることを甘受するか、又は性自認に従った法令上の性別の取扱いを受けるという重要な法的利益を放棄して性別変更審判を受けることを断念するかという過酷な二者択一を迫るものになったということができる。
 また、前記の本件規定の目的を達成するために、このような医学的にみて合理的関連性を欠く制約を課すことは、生殖能力の喪失を法令上の性別の取扱いを変更するための要件としない国が増加していることをも考慮すると、制約として過剰になっているというべきである。

3.幸福追求権(憲法13条)

 本決定(1)では、「身体への侵襲を受けない自由」が、人格的生存に関わる重要な権利であり、憲法13条によって保障されていること、そして、性同一性障害特例法3条1項4号により、生殖腺除去手術を受けることが強制される場合には、「身体への侵襲を受けない自由」に対する重大な制約に当たるとする。
 憲法13条は、社会、環境、時代によって必要とされる新しい人権の受け皿となる根拠規定として使われており、その意味で、幸福追求権は、「包括的権利」と呼ばれ、憲法の基本的人権を拡張するものと考えられ、プライバシー権は、最高裁判例により作り出されたこの代表的な権利である(『法学ナビ』37頁参照)。
 そして、現在の憲法学説は、幸福追求権の具体的内容について、「個人の人格的生存にかかわる重要な私的事項を公権力の介入・干渉なしに各自が自律的に決定できる自由」は、「自己決定権」と呼び、憲法上の具体的権利としており(芦部信喜・高橋和之補訂『憲法[第8版]』133頁)、本決定(1)も、これと同様に、「身体への侵襲を受けない自由」を「自己決定権」と解したものと思われる。
 以上に対して、本決定(2)は、「性自認に従った法令上の性別の取扱いを受けること」を「個人の人格的存在と結び付いた重要な法的利益」とし、憲法13条の権利ではないが、尊重されるべきものとする。これに対して、宇賀判事の少数意見では、「性同一性障害者がその性自認に従った法令上の性別の取扱いを受けることは、幸福追求にとって不可欠であり、憲法13条で保障される基本的人権」とする。
 宇賀判事のように考えれば、性同一性障害特例法3条1項の4号(生殖不能)要件および5号(外観)要件にとどまらず、1~3号も含め、性同一性障害特例法3条1項の性別の取扱いの変更の要件すべてについて、同様の法的取扱いをせざるを得ないこととなり、法廷意見がこの見解を採用しなかったのは、この点への配慮があったのではないかと思われ、(1)と(2)の関係もそのようなものとして理解すべきであろう。
 いずれにしても、(2)は傍論であり、これによって法的効果を導き出そうとするものではない。今後の同種の事件処理に際して、この説示が先例としてどう取り扱われるか、注目されるところである。

*4 「身体への侵襲を受けない自由」と「性自認に従った法令上の性別の取扱いを受けること」との関係について、両者は当然に区別されるとしても、本件事案は、両者が一体的に結びついて問題になるケースであるとの指摘がある(駒村圭吾「性同一性障害特例法違憲決定-若干の憲法学的考察を付して」ジュリスト1595号60頁)。この見解は、本文とは異なり、単なる傍論とは見ず、積極的にその意味合いを考察するものと思われる。

4.本決定の衡量要因と判断

 本決定(3)において、性同一性障害特例法3条1項4号が憲法13条に反するか否かについて、「本件規定の目的のために制約が必要とされる程度」と、「制約される自由の内容及び性質、具体的な制約の態様及び程度等」を衡量して判断されるべきとする。
 そして、本決定(4)および(5)において、その具体的な衡量判断が行われている。
 とくに(5)において、「治療としては生殖腺除去手術を要しない性同一性障害者に対し、身体への侵襲を受けない自由を放棄して強度な身体的侵襲である生殖腺除去手術を受けることを甘受するか、又は性自認に従った法令上の性別の取扱いを受けるという重要な法的利益を放棄して性別変更審判を受けることを断念するかという過酷な二者択一を迫るもの」とする指摘は、4号要件の違憲判断において決定的に重要である。

5.5号(外観)要件の問題

 本決定の差戻控訴審である広島高裁は、前述2で述べたとおり、継続的に医師の診断に基づくホルモン療法を受けており、精神科医2人による診断とその後の別の医師による観察でも身体の女性化が認められていることから、5号(外観)要件を充たし、法律上の性別の取扱いの変更を求めることができるとするものである。
 この理由は、大法廷決定と同様、5号(外観)要件を充たすために、性別適合手術が常に必要と解釈すると、手術を必要としない性同一性障害者に対して、4号(生殖不能)要件におけると同様の問題が生じるとするものの、実際は、そこまで考える必要はなく、「性同一性障害に当たる人は、性別変更の申し立てまでに変更後の性に合致した生活をし、継続してその性で生きる意思を持っている。そのような人が、性別変更が認められた後、他人にことさら生物学的な性が明らかになるような行動に出ることは考えがたい。」ので、「これを踏まえれば、手術が行われているかに限らず、社会生活における通常の接触のなかで、他者を基準として、変更後の性別の性器と認識することに特段の疑問を感じないような状態であることを要し、それで足りると考えるのが相当」とされることによるものである(2024/07/10朝日新聞DIGITALによる)。
 ここでは、5号(外観)要件の適用は緩和して、手術は必ずしも必要ないと考え、その外観に問題がなければ、申立人の法律上の性別の取扱いの変更を認めたものであり、大法廷決定のように、性同一性障害特例法の規定に違憲判断をすることなく、あくまで同規定の意義を認めた上で、現実的な解決を図ろうとしたものと思われる。
 ひるがえって、以上のような解決をするならば、5号(外観)要件の戸籍上の性別の取扱いの変更という本来の役割から離れ、社会生活上の男女の区別まで同様に考えてよいのかの問題は残る。これによって保護しようとする利益が、これがないときも同様に保護されることになるか等について、さらに踏み込んだ検討が必要であろう。
 この点について、少数意見を見ると、三浦判事は、「外性器に係る部分の外観は、通常、他人がこれを認識する機会が少なく、公衆浴場等の限られた場面の問題であるが、公衆浴場等については、一般に、法律に基づく事業者の措置により、男女別に浴室の区分が行われている」旨を指摘とする。
 これに対し、草野判事は、5号(外観)要件を違憲としてその適用がないとしたときであっても、実際は、「意思に反して異性の性器を見せられない利益」が損なわれる可能性は極めて低いとし、一方で、「5号要件非該当者に性別適合手術を受けることなく性別の取扱いの変更を受ける利益が与えられるのであるから、同人らの自由ないし利益に対する抑圧は(許容区域への入場が無制限に認められるわけではない以上「完全に」とはいえないまでも)大幅に減少する」と指摘する。
 事業者を中心に前者の考え方を採用するもの大勢であるように思われる。しかし、その一方で、これにより誰かの利益の侵害しているという状況の出現が望ましくないのは当然であろう。