入院付き添い親の人権を考える

 娘には嚥下障害があり、飲み込みが著しく下手だ。全身の障害により筋力がとても弱く、嚥下に必要な筋肉もまた、同じようにとても弱いらしい。こんなにたくさん不自由があるのだから、少しくらいオマケしてくれたら良いのにと思うけれど、神様の仕事にはぬかりがない。

 嚥下がうまくできないというのは実に不便で、口からものが食べられないのはもちろんのことだが、唾液の処理がうまくできず、娘は常に大量のよだれを垂らしている。風邪を引くと自力で痰が出せず、むせこんで気管に入ったりして、肺炎になりやすい。そして重症化しやすく、治りが遅い。なので、ちょっとした風邪が重症化して入院、そしてそれが長引いたりする。

 一番大変だったのは娘が0歳の秋頃。ちょっと風邪気味かな、鼻水が増えてきた、と思ったのもつかの間、あれよあれよという間に痰が大量に引けるようになり、微熱。たまたま小児科の外来受診日だったため、ついでに見てもらって風邪薬でも出してもらおう、と思ったら、肺の音があやしい…ということで、近くの感染症を見てもらえる病院をその場で紹介された。

 ひと通りの検査とレントゲンを撮ると、なんと肺が肺炎で白くなっている、ということで、即入院となってしまった。「付き添い入院が必要です」と。結局娘の肺炎はとても長引いて、途中ひどく悪化してICUに入ってしまった2週間を除いて、ほぼ4か月の入院。その間、時々の交代を除いて、育休中の私が付き添うことになった。

 病院からもらう何枚もの書類に目を通しサインする。その中に、付き添い入院の希望を申請する用紙があった。病院から「必要です」と言われるのに、形式上は私が希望して許可をもらうというもの。そういうもんなのね、とその時は思ったが、今振り返ると違和感があるな。

 まあまあ長期に渡った付き添い入院は、私にとっては想像を絶する過酷なものだった。当時も今も、「これは大変なことだ」と感じているので、その時の体験を思い出せる限り書いてみようと思う。便宜上付き添い親という呼び方を使うが、親でない人が付き添っている場合も、もちろん含まれる。

 まず、付き添い親には食事が出ない。なぜなら、病院食は患者のためのものだから。院内のコンビニか、付き添い交代の時に外で調達してくださいね、と言われる。共用のキッチンにあるのは電子レンジと熱湯の給湯器、さらにトースターが付いているところはかなり親切だと思った。ベッドの横の床頭台についている小さな小さな引き出し式の冷蔵庫が、娘の要冷蔵の薬類と私の食糧の保管場所だ。親の食事の選択肢は、「チンして食べるもの」と、「お湯をかけて食べるもの」、そして「そのまま食べるもの」に自ずと限られてしまう。娘の病院は違ったが、病院によっては付き添いの親は病室でものを食べてはいけない、という規則があるのだそうだ。絶食中や食事制限のある子どもも入院しているので、病院で出るもの以外は病室で食べない、というのが理由だそう。それならなおのこと、親の食事も出してほしい(もちろん有料で)、と思ってしまうのはわがままなのだろうか。

 私の場合、朝ごはんはパンかシリアルとヨーグルト、お昼はカップ麺、夜はパックご飯とレトルトのカレーかお惣菜、というのが定番になった。野菜を食べられる日はあまりない。たまにコンビニやスーパーでサラダや野菜のおかずを買うくらい。果物は手で剥けるみかんかバナナ。口寂しいのでおやつも少し食べたり。電子レンジは階に一つしかないので、余り長い時間占領する訳にもいかない。栄養がどうとか、味つけがどうとか、そういうことは考えない。だってそれしかないのだもの。大体子どもに一日中張り付いているから、自分の栄養どころではなくなってしまう。でも、これで大丈夫なのかな、私…。

 それから付き添い親には寝る場所がない。「ない」と言うと語弊があるが、厳密に言うと柵のついた小児用ベッドに子どもと一緒に寝るか、1日数百円(私のいたところは当時400円)支払って簡易ベッドを借りるか、の二択である。私はどちらも経験した。

 小児用ベッドは「小児用」なので、成人用のベッドよりもひと回り小さい。そして、患児の落下を防ぐために、金属製(アルミかな)の柵がついていて、就寝時にはそれを上げなくてはならない。娘は赤ちゃんだったとはいえ、体の向きを変えるスペースも必要だし、点滴や、パルスオキシメーターなど色々なものに繋がれているので、ベッドの半分以上を使う。私が使えるのは、やっと体をまっすぐ横たえることができる程度の、細長いスペースだけだ。しかも金属のベッド柵は冷たい。そこに体を触れずに眠ることができないのがとても辛かった。

 簡易ベッドは、担架みたいなサイズの、ビニールコーティングされた丈夫な布を張った枠に、申し訳程度に折り畳みの脚がついているもの。それに合う細長さの薄い敷布団と掛け布団、それぞれに被せる白いシーツが付いてくる。大人1人が体を横たえたらいっぱいのサイズのベッドで、寝返りを打つのも難しい上、動くとギシギシと音が鳴るので、相部屋ではとても気を使う。シーツの交換は週一回。それで、代金は毎日かかる。つまり付き添いが長ければ長いほど、たくさん支払わなくてはならない。1日400円で4か月だと、それだけで4万8千円かかる計算だ。付き添い親は寝るだけで、どんどんお金を取られる。せめて月額に最大料金があれば良いのに。

 付き添い親には居場所がない。個室なら少しは立ったり歩いたりするスペースがあるが、4人部屋だと、カーテンに仕切られた中の、ベッド以外のスペース(ベッドは子どものための場所なので)が、親も使えるスペースとなる。ベッドと壁の間の僅かな隙間に、パイプ椅子か小さなスツールが一つ置かれている。そこに座るか、ベッドの周りに立つことしかできない。ちょっと疲れて横になることも、裸足で脚を伸ばすこともできない。

 付き添い親にはプライバシーがない。子どもの入院中なので、治療やらリハビリやらで、お医者さんや看護師さん、PTさんや STさん、薬剤師さんなどがひっきりなしに出入りする。同室の子の付き添いがお父さんのこともあり(それ自体は良いのだけれど)、着替えや授乳のタイミングも難しい。また、食事のすぐあとに歯を磨きたいと思っても、タイミングを逃してそのまま、ということもある。洗面台を別の親子が使っていることだって多い。付き添い入院の4カ月の間に、私の歯はなんとなく傷んでしまった。ゆっくりフロスをかける余裕はなかったな。情けないことだけれど。

 小児科の4人部屋には、実は人が8人いる。大人の4人部屋には最大で4人しか入院していないが、子どもには大人が付き添っているので、実は8人、想定の倍の人数が詰め込まれている。カーテン越しに聞こえてくる子どもの声と親の声、モニターのアラーム音。テレビやおもちゃの音。明日手術を控えて絶食中の子どもが、夜中にお腹が空いたと泣き喚いてお母さんを罵る声。皆、ごめんなさいごめんなさいと思いながら、肩身の狭い、眠れない夜を過ごす。

 小児病棟の消灯は夜9時。親の入浴はその後で、浴室が空いているかを確認して、子どもが寝ている隙にささっと入る。うちの娘は夜遅くまで全然寝ないタイプなので、夜の注入が始まる前に、看護師さんに娘を見ていてもらえるようお願いして、大急ぎで入浴した。暗闇の中手探りで用意をして、暗い廊下を歩いて浴室に行く。患児と付き添いの人たちは「寝ている」はずなので、できるだけ静かに、素早くシャワーを浴びる。

 当時は夜10時から栄養の注入もあったので、その準備も注入も片付けも、暗闇の中でこっそりしなくてはならなかった。暗い廊下を歩き、手探りで調乳室の電気を点け、娘の名前の札がついた、温められたミルクの瓶を取ってくる。暗い病室のカーテンの中、灯りを点けることは許されず、シリンジを袋から取り出す時、粉薬の袋を破く時、薬杯と呼ばれる小さな透明のカップで薬を溶く時、それらから出る小さな音が出来るだけ聞こえないように、細心の注意を払って、息をひそめて作業をする。全ての後片付けが終わって私が横になれるのは、夜中すぎ。朝までに2、3回娘が泣いて起きるので、おむつ替えと痰の吸引をして、必要なら抱っこをして寝かしつける。それでも、朝6時の起床時間は、全員に平等にやってくるのだ。

 そして付き添い親には休憩時間がない。看護師さんたちには、休憩も交代もある上にお給料もあるが(それでも本当に大変な重労働だと思うが)、私たちにはそれらがひとつも与えられない。医療行為以外の自分の子どもの世話は、もちろん親の仕事だし、栄養の注入や吸入、痰の吸引などの医療的ケアも、大体の場合は私たちに任せられていた。私たちは無料の労働力だ。

 付き添い親も人間なので、調子が悪くなることもある。娘の肺炎の原因となったであろう風邪を娘からもらって、喉が痛く微熱が出てしまったことがある(コロナ禍前だったので、ただの風邪)。発熱した夜、看護師さんに相談したところ、「明日近くの病院を受診してきたらどうですか。娘ちゃんはその間、短時間ならナースステーションでお預かりしますね。」と言われて耳を疑った。ああ、私はこの人たちにとっても、病院にとっても、患者でもなんでもない、本当にただの無料の労働力なんだ。娘は患者だけれど、その親である私は病院とは無関係だから、誰も助けてもくれないし、お医者さんも看護師さんも薬剤師さんもいるけれど、私には別の病院へ行けと言うんだ…。それは私にとって、このまあまあ長い付き添い入院生活の中で、一番の衝撃だった。

 そして、入院中は車がないので、病院近くの病院をスマホで検索して(何のギャグかな)徒歩でトボトボと受診しに行った。まあ、散歩だと思えば、良い気分転換にはなったのかも知れない。なにせ、そんなことでもなければ、病院の外をひとりで歩くなどという贅沢は、許されなかったから。風邪をひいても付き添いは免除されない。栄養もろくに摂れず、ゆっくり休むこともできないので、私の風邪は相当長引いて、私は院外のその病院に、2週間後にもう一度かからなくてはならなかった。

 子どもに重い障害があったり、長い闘病が必要である場合、親や祖父母の誰かが長期で付き添うケースがほとんどだろう。娘より少しだけお姉さんと思しき女の子には、おばあちゃんが付き添っていて、おばあちゃんは細長い布団を持ち込んで、それをベッドの横の床に直接敷いて寝泊まりしていた。それから、おそらくうちの娘が入院する前からそこにいて、娘が退院する頃にもまだそこにいた、年配のお母さんも見たことがある。そのお母さんはレンジで調理ができるシリコンのお鍋を持ち込んで、キャベツを蒸したり、廊下を良い姿勢でパワーウォークしたりして、健康に気を使っているようだった。あのお母さんは、その後どれくらいあの病院にいたのだろう?彼女の努力がどれくらい、本当に健康的であり得たのか、ちょっと私にはわからない。

 病棟の掲示板に、「長期入院付き添いのママをハッピーにする」ための、どこかの団体が、レトルトや缶詰めの食べ物や化粧水や小物を差し入れしてくれる取り組みのポスターが貼ってあった。それはもちろんありがたい取り組みではあるんだけど(そして内容が素晴らしいと、とても評判も良いのだけど)、なぜそもそもそんなことが必要な状態になっているのか、なぜタイトルが「ママ」なのか、その取り組みが必要なくなるような、制度の改変はできないのか、だいたい実情はこんなことになっていると、世間の人たちは知っているのか(私は知らなかったよ)、そしてこの病児を抱えて疲弊した付き添い親たちに、それをどこかに訴える体力や時間や精神的なエネルギーがあるのか、なんだかあらゆる疑問が次々と湧いてきて、私は悶々としてしまった。何も言わない人たちの思いは簡単に、「無いもの」とされる世の中だから。

 「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」、と憲法第25条に書かれている。健康とは?文化的とは?最低限度というのはどれくらい?

 付き添い親にも健康的な食事を。付き添い親にも1人分の居場所を。付き添い親にも休息と収入を。付き添い親にも自分の時間を。「最低限度」がどれくらいなのか、きちんと定めなければ、それらは限りなくゼロに近くなってしまう。そしてそもそも、付き添いをすることが前提にされていることは、どうなんだろうと思ってしまう。子どもが複数いたら、他の子ども達はどうなるんだろう。働いている親はどうすればいいんだろう。そんなに長期に渡って穴を開けても良い仕事なんてある?辞めるの?そしてここでまた障害児親の就労問題にぶつかってしまう。行き止まりは、いったいいくつあるんだろう。

 入院付き添い親の問題は、なんとかしなくてはならない人権問題だと私は思っている。長期に渡って、こんなに過酷な状況下におかれてしまうなんて、異常事態だ。なにせ病児・障害児の親は、うかうか自分が病気になったり、死んだりしていられないのだ。私はできればギネスに載るくらい長生きして、娘よりも一日でも長く生きたいと思っているが、世の中にはそういう障害児の親たちが、きっとたくさんいるのではないかな。この子を置いて行けないのよ。心配で心配で。どんなに過酷な状況下でも、私たちは生き長らえなくてはならないのだけど。これはどこの誰に伝えたら良いの?地元の議員さんに、お話を聞いてもらったら良いのでしょうかね?

 国の予算がないのもわかるけれど、せめてまともな食事と休息が取れるように、色々な事情で付き添いができない人には、付き添いを免除されるという選択肢ができるように、制度の見直しを求めたい。とりあえず、ここで声を上げてみる。何もしないでいるよりは、隙間時間にスマホでできることを。小さな小さな声でも、いつか誰かに届くように。願いを込めて、書いてみる。思いが溢れすぎて、ずいぶん長文になってしまったわ。

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