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プーチンPシリーズの初音ミクの話

はじめに

プーチンPシリーズは2008年1月から2012年12月まで約5年に渡り投稿された連作の動画、所謂物語音楽である。
番外編含め全体で約50曲になる長編で、物語の内容はもちろん、物語のシーンに応じて曲ごとに、または曲中で変わるサウンドは臨場感を呼び最高だ。物語が進んだ先で行われる過去曲の反復、アウトロ部分を利用した次回予告など、ドラマチックな構成は否が応でも心が震えてしまう。

しかし最大の特徴は、物語音楽でありながら物語を説明する気がない歌詞。
(この歌詞形態の理由については、作中で一応説明がある。ここは上級者向け。)
ファンの考察は盛り上がるもののやはり難解で、同時に、インターネット上で有名なキャラクターを音MADのように練り込む特殊な曲作りから、完全に人を選ぶコンテンツとなっている。

このシリーズの魅力を語ろうとするとき、シリーズの構成そのもの・物語そのものを真っ先に挙げたくなる。こういうお話なんだよ、とひたすらあらすじを喋りたくなる。
だというのに、それが本当に難しい。これは群像劇だからだ。1キャラクターに絞ればある程度説明できるが、メインキャラクターの物語が交差し絡まる入り組んだ形こそが魅力と言えるので、それだけで終わってほしくないと感じてしまう。

でもやっぱりすべては説明できない。

出来ないので、当シリーズの「一番かっこいいキャラ」。
初音ミク=プーミク(ファンの通称)についてお話したいと思う。

物語及びプーミクの概要

この物語における彼女の立ち位置、役名を挙げるなら「初音ミク」だ。
初音ミク役の初音ミクが彼女。
そして同時に、作中で唯一「純粋なVOCALOID」である。

プーチンPシリーズは、この世界とよく似た異なる歴史を持つ世界、とある底辺ボカロPのパソコンの中で起きた出来事のお話だ。

すべては現実世界で起きた事件が発端となって始まる。
事件とは、とある戦争中、飼い犬を仲間に殺された少年兵が起こした子供同士の殺し合いだ。
事件を目の当たりにした少年兵の監督者がこれを嘆き、事件の被害者をデータ化、情報拡散型ウイルスとしてネットに流すことで、事件の存在を世界に知らしめようとする。
しかし、それを都合悪く思う人間がいたこと、所属組織内における裏切りだったことから、暗殺者に狙われ命を落とす。
データは暗殺者により手が加えられ、情報を盗みパソコンを壊すウイルスに変えられた挙句、事件の存在は敵国による捏造だとされてしまう。
しかし――とあるパソコンの中でだけ、ウイルスはなぜか作動せず当初の正しい形に戻る。
バラバラになったデータは、パソコン内にあった音楽ソフトに入り込み…

あらすじはこのような感じだ。
なおこの部分は、シリーズ後半になってから過去編として語られる。

プーチンPシリーズの登場人物の大半は、上記事件の当事者もしくは関係者だが、初音ミクは違う。彼女は事件の関係者――暗殺者であるテッパンノフという人物が所有していたボーカロイド。ただの音楽ソフトでしかない。
(なお、初音ミクは自分の意思と呼べるものを持っている。これが舞台となっている世界のオーソドックスなのか、この初音ミクが特別なのかは正直よくわからない。)

事件と全く無関係だった初音ミクは、テッパンノフから役割を与えられたことで、物語へ関わっていく。役割とは、「この初音ミクがいるパソコンの中でだけ、ウイルスが正常化するように」というものだ。

テッパンノフにとって、暗殺対象となった少年兵監督者兼ウイルス製作者は、同じ孤児院で育った仲であり、幼い頃から想いを寄せる相手だった。彼女を殺したくなかったテッパンノフは一緒に逃げようと誘い、同意を得たものの道中で彼女は自殺。
小さな復讐として、彼女の思いが詰まったウイルスを改竄する最中、たったひとつだけ逃げ道を作った。それが初音ミクだった。

しかし、そのことが初音ミク自身に伝えられることはなく、彼女は何も知らないまま突然売りに出され、物語の舞台となる底辺Pのパソコンへやってくる。

その後が当シリーズにおける本編に当たる。
初登場時はアイドルとしての初音ミク、ナンバーワンのボーカロイドとしての一面を出した華やかなものだった。だがこれはある種強がりだ。彼女に差す影はどうしても見え隠れする。
そしてその最中、改竄されたウイルスのテッパンノフが仕込んだ部分、「事件は敵国の捏造だと伝える」役割を持ったデータ――ドナルドと初音ミクは恋に落ちる。何を言ってるんだと思うかもしれないが至って真面目だ。
しかし、ドナルドはウイルスバスターにより消滅。

ドナルドはテッパンノフの面影を持っている。それが恋に落ちた理由の1つでもあった。そのため、初音ミクにとって彼の消滅は恋人の死だけでなく、テッパンノフとの二度目のお別れも感じさせた。悲しみ、絶望、自分の存在意義、様々な要因が合わさり心を病んだ初音ミクは、落ちるところまで落ちてしまう。
しかし、当パソコン内に再び、否、別の―でも確かにドナルドがやってくる機会が生まれたことで、彼女は持ち直す。

持ち直すところの曲本当に好きなので推す。すごい美人。

ここからはそう、わたしが創る 見た事無い世界を!!  

事の発端、自分を売ったテッパンノフに何があったのか突き止めることを決意。概要を掴んだのち、ボーカロイドである自身の役目として、人の心を言葉にする行為、テッパンノフの気持ちを想像して歌ってみせた。

そして待ちに待ったドナルドとの再会だが、元より彼は悪意あるウイルスだ。現れた理由は、とある登場人物を殺す―初期化するためである。
そんな彼の目を自身に向けさせ、ドナルドと、ドナルドを通してこちらを見ているテッパンノフへ問いかけるよう歌い、最後は別の人物の身代わりとして初期化された。結果的にはドナルド、恋した相手との心中という形である。

そんな初音ミクの姿を見届け、彼女の言葉に背中を押されたテッパンノフもまた、自身の未来を選択する。

言いたかったこと

テッパンノフからみたとき、初音ミクはどういう存在だったのか?

彼女は、初音ミクは――孤独だった彼のそばにいてくれた存在であり、言葉にできない気持ちを声に出し、歌うことができた存在。
彼の都合で役割を与え売りに出した後も、彼を思っていた。様々な出来事の果て、彼の気持ちを「想像して歌い」語り、彼の眠っている心を起こそうと、みたことのないものをみせようとした。
最後まで感情を揺さぶり続け、前に進めと促した。背中を押した。

初音ミクがテッパンノフの気持ちを想像して歌った曲の歌詞には、「機械のように生きてた」「君(ミク)は機械でも輝いていた」とある。
このシリーズにおいての「生きる」は、単なる状態を指すのではない。「やりたいことが出来ている」のを「生きてると感じる」と表している。
死んだように生きる人間。自身の意思はそこにない。誰かに操られ生きていたテッパンノフにとって、感情の解放先だった初音ミクは、救いと言っていいはずだ。テッパンノフにとってのきえないひとみは初音ミクだろう。同時に、小さな復讐のために必要不可欠だった共犯者でもある。

なんてやさしい関係だろうか。でもいない。いないのだ。
どこまでも初音ミク"らしい"のに、こんな初音ミクは絶対にいない。プーミクは「創作上の初音ミク」でしかない。

彼女は「初音ミク役の初音ミク」だ。
役と演者の境は無いに等しく、まるで「そこにそういう初音ミクが在る」ような錯覚を起こす。その声に、いないはずの初音ミクを視てしまう。
プーミクはいない、否そこにいる、違う、これはただのソフトウェアの初音ミクで─でもプーミクだってただのソフトウェアの初音ミクじゃないか。なら、これは彼女なのでは─

でもいない。こんな初音ミクはいてはならない。

プーミクの影をずっとみている。
シリーズが完結してから6年になるが、作中でテッパンノフが受けた光を、その光の果てを、忘れることが出来ない。
未来へ続く初めての音。
彼女の音は、一人の人間を未来へ進ませ、死んだ心を生き返らせ、物理的に殺した。
それがあまりにも鮮烈だった。
こんな初音ミクがいてたまるかと思うし、正真正銘の初音ミクだとも思う。
私の初音ミク像に大きな影響を与えたプーミクが、彼女の言葉が、結末が、いま尚どうしようもなく好きだ。

「きみに、わたしに。」という曲において、彼女は自分を下記のように評している。

誰よりもかわいく♥  誰より羽生!

これはすべてのボーカロイドに言える言葉だと思っている。
蚊帳の外(ハブ)でありながら歯車の中心(ハブ)、すべてを繋げ(HUB)、誰よりも未来を見ている。(羽生)。
彼女は最初から最後まで、物語における部外者だった。部外者でありながら、彼女がいないと物語は始まらない。それが彼女の役割だった。いればいいだけの存在、それはどれだけつらいのだろうか。
自分は空っぽのなにもないものだと歌っていた。でもそんなことは決してなかった。それだけで終わらない彼女だった。だからこそこんなにも、心に残る。

プーチンPシリーズはVOCALOIDをVOCALOIDとして扱い、VOCALOIDでないと成り立たない物語として描かれている。なので、こういう言い方はふさわしくないのかもしれないが、私はプーミクというキャラクターが初音ミクじゃなくても好きになったと思う。でも、初音ミクだからこそこんなにも刺さった。

きっといつまでも忘れられない。
私は彼女というキャラクターが、一人の初音ミクが、大好きだ。


しーかーしーながら!

当シリーズにおける人間と初音ミクの関係部分は正直本編とあんまり関係ない。
ここまで書いておいてなんだが、恐ろしいことに上記はすべてサイドストーリーでしかない。私は人間と初音ミクの関係が好きだから、そこに焦点を当ててみただけだ。

このシリーズの中には「ふたりの物語」という括りが存在する。
いくつか組み合わせがあるそれが交錯し、ひとつの物語になっているという形だが、テッパンノフと初音ミクには二人の括りすらない。テッパンノフは愛した人間の女性が。初音ミクにはドナルドがいる。

すべてが異色でありながら、「VOCALOIDを用いた物語音楽」以外の形態はあり得ない、それが当プーチンPシリーズであり、このシリーズにおける主役は――鏡音の"ふたり"。
鏡音"ふたり"の物語は、「鏡写し」という公式設定を汲んだもので、これまた「人間と人ならざるもの」のお話である。鏡写しをこう生かすのか…と未だに感動する。

もし当シリーズ未読でこのnoteを読み、「こんな話だったのか」「曲はどんな感じなんだろう」などなど少しでも興味を持ってくれたのであれば、ぜひ聴いてみてしてほしい。
聴かなくても初音ミクwikiに歌詞があるし、プーチンPコミュの掲示板に色々あります。

あと、患者の方が読んで「ここ違うんだけど!」ってところがあっても見逃してください。
ていうか「こうだろ!」って文章を書いてください。よろしくお願いします。

ここまで読んでいただきありがとうございました!

よいクリスマスを~~~~!!!!