ポリゴンティーチャー

小学校に入る最初の日、教室で担任の先生が自己紹介を兼ねたお話しますよね。みなさんはじめまして、先生はこういう名前でこう呼んでほしいです、って感じのやつです。

知らない子たちに囲まれて、慣れない環境にドキドキしながら聞いていたら、先生が言うじゃないですか、
「これからみんなは沢山勉強をしていきますが、最初の問題を出しますね。みんなわかると思うけれど」
「みんなから向かって右はどっちでしょう?」

その瞬間、周りの子達が一斉に「あっち!」って同じ方を指差しました。先生も「あたりです!」って楽しそうにしてて、じゃあ左は?ともう一度聞いて。クラス全体が和やかな空気になった…と思うんですけど。

私は右がどっちかすぐわからず混乱していたので、よく覚えていません。

えーと、"右"はお茶碗を持つ方じゃなくて、お箸を持つ方、"右"、わたしはいつもどっちでお箸を持っているっけ、姿勢をこうして、こっちが"右"だ!
要シンキングタイム15秒。

でも先生「みんなわかるとおもうんだけど」と言いました。
し、実際私以外はわかっていたので、自分は"みんな"じゃない、劣っている変な子なんだ、という思い込みのスタートになりました。

この記憶は何もせずともときどき反復されるんですけど、とある曲に揺り起こされたことがあります。

ピノキオピーさんのポリゴンティーチャーです。


「わかんないことがいっぱい わかんないことがいっぱいある」

「わかんないことは実際さ 恥かな 恥だろ 恥だわ」

「わかんないことで失敗ばかりだな 先生 教えて」

2014年、同人CDとして頒布されたAntennaというアルバムの収録曲です。
4曲目のコミカルでシリアスなデジタルロック。
ピノキオピー本人(人間)による歌唱+初音ミクとゆっくりの合いの手という、2014年当時だとあまり見ない形式でした。
アルバムを流していると、初音ミク歌唱の曲々からいきなり本人歌唱になるのでビックリするかも。

歌詞には"わからないこと"が詰め込まれています。
"わからないこと"が沢山あるし、わかる人がどうして知ったのか、どうしてわかっているのか、わからない。
それをすごいと思いながら知ったかぶりをする。
"わからないこと"が恥なのかすら確定的ではない。
色んなことがわからない。
だから先生、ポリゴンティーチャーに「教えて」と請うのですが、その回答は…。

初めて聞いたとき「これ私か?」と思いました。
最初から最後まで"わからない"歌なのに、歌っている内容はとてつもなく"わかる"という、言葉が複雑骨折した感想を持ってしまいます。
わからないことがわからないあの感覚を、こんなにも"わかる"ように表せるというのは、ピノキオピー本当にすごいです。すごい!

年齢ばっかり重ねて、なんで期の2歳児のまま大きくなっちゃったのかもしれません。何故なのでしょうね。

ところでこの世には、"普通"や"常識"という概念が存在しています。


普通(ふつう)とは、広く通用する状態のこと。普通の『普』は、「あまねく」「広く」を意味する字である。

常識(じょうしき)は、社会の構成員が有していて当たり前のものとしている。社会的な価値観、知識、判断力のこと。[要出典]また、客観的に見て当たり前と思われる行為、その他物事のこと。

引用:wikipedia

「そういうもの」なのでしょう。

色々考えて苦しんでいるは私だけではなく、みんなそれぞれ沢山抱えながら一生懸命生きていて、理解できないことも割り切り受け入れながら社会生活を過ごしていく必要があるのでしょう。
だから「常識的に考えてわかる普通のこと」に「なんで?」「どうして?」と疑問を持ち、躓き、輪を乱すのは良くないことなのでしょう。

知らんのですけど。
「そういうもの」だと、誰にでもなく教わりました。

わかんないことがいっぱい!