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文章を書くことの副次的な効果 20220311

(Facebookからの転載)
“Hello,World”
nabablogと申します。
金曜日の朝。今日も素晴らしい一日。

▼文章を書くことの副次的な効果

■文章を書くことの副次的な効果

普段から周囲で起きる現象や自分自身の内面で起きることを、可能な限り「言語化」するようにしている。普段から周囲で起きる現象や自分自身の内面で起きることを、可能な限り「言語化」するようにしている。
できれば紙とペンを用意する。
そして、頭に浮かぶことを次々に書き出す。
PCの画面上に書くのもいい。
こんな風に。
ただ「紙に書く」のと「PCに打ち込む」のでは、脳が機能している部分が結構違う。
そんな感覚がある。
バランスよく脳全体を使うという意味では、日頃から、両方に親しむというのがいい。
いずれにしても「言語化」の作業そのものが「思考する」こととかなり似ている。
「言葉」は「思考」そのもの。
もう少しいえれば「吐き出す言葉が、その人の人生を作っている」ともいえる。
あと実際「読みやすい文章」の裏には「シンプルでわかりやすく整理された思考」がある場合が多い。
頭が良すぎてぶっ飛んだ文章を人は例外として、基本的には頭がいい人で、スッキリとしたわかりやすい文章を書く人はおおい。
もちろんここでいう「頭がいい人」は「勉強が出来る人」というのとも少し違う。
最近では、アウトプットの方法は「文章」以外でも例えば、動画配信がより手軽になったことで「スピーチ」の重要性が上がっていると感じる。
「文章」を書かなくとも、しっかりとした構成を思い描来ながらコミュニケーションを取れるなら、それは本質的には同じことかと思う。
文章のいいところは、書きながらも、積み上がって行く自分の思考を確認出来ることだ。
喋りながらだと、この先の展開に頭を巡らすことで、わたしの場合は容量オーバーになる。
まこれも、人それぞれかもしれない。
また、文章を意識的に書くことで、以前よりもコミュニケーションがスムーズになったと感じる。
ちょっとした会話でも、構成が瞬間的に組み上がるので、お互いにストレスが減っているのかと思う。
感情的な描写も表現する言葉を持っておくと、気持ちを相手に伝えることはもちろん、自分を客観視する意味でも役立つ。
文章を書くことの副次的な効果は、かなりある。
引き続き、考えや感情を文章にする作業を、今まで以上に習慣的に行えるようにする。
時と場合に合わせ、
・感情に任せ勢いで伝えること
・論理的に構成を組み上げ伝えること
この2つ意識的に選択出来るようにしていく。
今日も素晴らしい一日。
読んでいただきありがとうございます。

3月11日。
生きていると言うよりは、生かされている。
そのことに感謝。
わたしは、わたしに与えられている時間を全うする。

ピース。
世界平和。

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