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自己犠牲的な何か 20220116

(Facebookからの転載)

“Hello,World”
nabablogと申します。
日曜日の昼。今日も素晴らしい一日。

▼自己犠牲的な何か

■ちゃんとした大人

ここ数日「責任」とか「自立」というキーワードで考えてる。
これらの言葉は
「自分の言ったことに〈責任〉をもつ」
「一人前の大人として〈自立〉した生活を送る」
なんて文脈で使われる。

ごく「あたり前のこと」を言ってる。

まぁこれを隙がなく実践するのは、意外と難しかったりする。
(時折、他者との約束を忘れたり、他者に迷惑をかけることもある)
「ちゃんとした大人」になるには、継続的に向き合って確認する必要があるテーマかも。

■自己犠牲的な何か

一方で、こういったテーマについて回る「自己犠牲的な何か」に関してもここで整理する。

「自己犠牲的な何か」というのは、つまり「自己犠牲的な愛」とか「こちら側の影響は度外視で、他者の優先度を上げる」ということだ。

「自己犠牲的な何か」というのは、美しい。
人の感情にふれ「熱いモノ」を感じる瞬間もある。
たしかに、この「自己犠牲的な何か」でなりたつ、コミュニティや経済圏は存在する。

ただ、これに関しては整理と注意が必要だ。
シンプルに言語化してみると
・人にやさしくするには、自分にある程度の余裕が必要だ
・お互いが犠牲を払い合う必要がない方法や仕組みを考えた方が、お互いの生存確率があがるよね
という感じ。

「自己犠牲的な何か」をやり続けた結果、自分や他者またそのコミュニティが疲弊して立ち行かなくなるのは本末転倒。

だから「他者を優先する」一つ手前の段階として「責任や自立をちゃんと理解した大人」になることが必要だ。

コーヒーでも飲みながら考える。

読んでいただきありがとうございます。
素晴らしい日曜日の午後ををお過ごしください。

ピース。

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