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大きな木 20220220
(Facebookからの転載)
“Hello,World”
nabablogと申します。
日曜日の朝。今日も素晴らしい一日。
▼大きな木
■大きな木
絵本の内容が、子どもにはもちろん、大人にこそささるということがよくある。
あなたは「大きな木」という絵本をしっているだろうか。
短い絵本。
ただしそこに「与えること」「しあわせ」「愛」といったエッセンが、それはもう「ぎゅうぎゅう」に詰まっている。
ご存知ない方は機会がある時に、ぜひ手にとっていただきたい。
もしわたしに子どもができたら、ぜひ読み聞かせしたいと思っている一冊(予定はないけどな!!!!おい!!!!)
英語タイトルは『The Giving Tree』
■「無償の愛」のイメージとは少し違う
本の内容に関しては割愛(あまりにも乱暴なので「youtubeの読み聞かせ動画」のリンクを見つけたので貼っておく。おすすめは英語のアニメーションバージョン)
本の紹介と言うよりは、考えていることの整理の為に書いてる。
結論、ここで描かれる「しあわせ」とは、見方によっては結構エグい。
ただし、これが本質に近いと考えている。
この本には「与えること」と「しあわせ」の関係性が見事に描かれている。
「大きな木」は常に「少年」の為に「犠牲」を払う。
身を削りながら「少年」に最後まで寄り添う。
果たして本当に「大きな木」は本当にしあわせだったか。
もし繁栄や成功といった「豊かさの定義」を「自分個人」や「特定の組織/集団」の範囲に限定しつづけるなら、この本の言わんとするところ(「大きな木」の気持ち)を理解することはできない。
「大きな木」は「豊かさ」を語る上で「自分」や「他者」という視点は関係がないということを、体験的に知っていた。
「犠牲を払っている」意識すら、なかったのかもしれない。
「大きな木」にとってのしあわせは「大好きな少年のしあわせ」と同居していた。
わたしがイメージする「無償の愛」とは少し違う。
「大きな木」は与えるごとに、たしかな「しあわせ」を手にしていた。
「自己犠牲的」な印象ではなく、ある意味「Win−Win」が実現しているように感じる。
同時に、今こうしている私も誰かの犠牲に上に生きているいうことにも気付く。
まとめるとこんな感じ。
・「与える」ことで、豊かさを手にする人がいる(自分も与えられている)
・「豊かさの定義」を自分と他者の垣根を超えて適用できれば、「与える」側も「しあわせ」を手にすることができる。
こんな「大きな木」の境地に至りたい。
今日も素晴らしい一日。
読んでいただきありがとうございます。
素晴らしい週末をお過ごしください。
ピース。
【おおきな木/The Giving Tree】
・英語(日本語字幕)/アニメーションver
・日本語ver
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