見出し画像

世界一自分らしい生き方の教室2024での気づき②

今回は後半部分について書いていきます。


勝ち負けはどうでもいい

上には上がいる、キリがない。
自分の人生でどの状態になったら満たされるかを決めることが大事。
自分基準で生きられるようになったら、自由になる。

生きていると世の中の基準でもっともっと良くなりたいと思ってしまう。私もその一人。いいところに就職したいからと大学へ進学し、給料もしっかりもらえ、土日休みがあるからという基準で総合病院に就職した。
大学生の頃の私は安定した給料と休みがあればある程度の人生を送れると思っていたが、その基準だけでは満たされなかったのだ。
終わりのない道をただ歩いているだけのような感覚だった。
退職という自分の中での勝ち負けのフィールドから降りたら、心が楽になった。人生はこれからが本番な気がした。
自己理解プログラムで自分の基準を定めることができたが、現在実現手段をどうするかで迷っている。世の中の基準で今まで生きてきたため、自分基準で生きることはかなり勇気がいる。だがそれで生きていかないと、自分基準を定めた意味がなくなってしまう。

私は自分らしく生きると決める。ここに宣言しておく。

変わっていくものだから仮決めでいい、山は一つしか登れない

可能性は残すものでなく、つぶしていくもの。つぶしていった先にどう生きていくかが見つかる。
人は成長して変わっていくものだから、ライトに決めたらいい。何回でも決めたらいい。仮でいい。
そして決めたら発信して。そうするとうまくいく。

人生は山登りに似ている。同時に2つの山には登れない。
低くてもいいから何か一つ山に登れ。

怖い気持ちや不安こそ進むべき道。

この話を聞いて、今決めることに迷っている私は泣きそうになってしまった。心に引っかかっているものに気づいた。
今の私がやりたいことをやればいいと思っていても、できそうな方、安全な方の選択肢がちらついてなかなか決められずにいた。しかも、同時に2つの山に登ろうとまでしていた(笑)
とりあえずの一つを仮に決めてそこに向けて動けばいい。
登った先で違うとなったらまた違う山を登ればいいと思うと少し楽になった。山に登ると見える視野が広がり、力が自然とついていたり何かしら成長している部分はある。それを次に活かしていけばいい。
実現手段を迷っているタイミングで何か一つに決めて進んでいけばいいのだと思えた影響はかなり大きいし、なんでもいいから山に登ってみようと思えた。

noteも私にとっては山の一つだった。
登録したが何を書こうか迷い、そのままだった。
実際に書いてみると書く内容は別になんでもいいかもしれないと思えるようになった。これも視野が広がったから見えたことだ。

わがままでいい

わがままは我のままと書く。自分のときめきに対してわがままでいい。
頭でなく身体の声に従って生きて。
おせっかいをすることは自己中な状態、自己中心的な利他でいい。究極自分のためでいい。

人の為と書いて偽という漢字になる。人の為に生きるのをやめて。

私は自己中に生きられず周りを伺ってきた。誰かのためが中心だった。自分のためでいいと思えたら、自分がやりたいようにできて行動しやすくなる気がした。
休日は自己中に心に従い行動できているから、自分らしくいられるが、働いているときは周りが基準になるから自分の心が窮屈で苦しかったのか。
以前は人の為に働いていたから、周りのスタッフに対してなんでしてくれないの?って思ったり、患者さんに対して、なんでそんな態度とるの?って思って悪い循環に入ってしまってた。過去の苦しかった日々を分析できてスッキリした。この経験も学びだな。


今回のセカイキの気づきをタラタラと書いてしまいました。
ここまで読んでくださった方がいらっしゃるならば、本当にありがとうございますとお伝えしたいです。
アウトプットを続けていこうと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?