私が美容を頑張る理由

人が外見を磨くモチベーションにしているものには一体何があるだろう。

例えばモテたい、好きな人に好かれたい、可愛いお洋服が似合うようになりたい、仕事柄、憧れの芸能人に近づきたい、メイク自体が好き、コミュニケーションの一環として、

誰かに私が「私、美容が好きなんです」と言ったとして、「美容が好き=意識が高い」というように取られることが多い。

そのように取られることには全くネガティブな感情を抱かない。
が、私が美容を頑張る理由は「意識が高くて」上にあげたようなモテたい愛されたい可愛いお洋服が着たいとかそんなポジティブなものではない。

もっとネガティブで健康で文化的な最低限度の生活を送るために必要なものなのだ。

私は可愛くないと家から出られない。

大袈裟だと思うかもしれないが、これは誇張のない事実で実際中学から高校まで親に家を追い出されなかったら学校に行けなかった日が何度もある。

鏡の前で何時間も自分の顔やスタイルを凝視して、なんだかブサイクな日はギリギリまで家から出なかったし、高校で一人暮らしを初めてからは「ブスだから」学校を休んだ。

「醜形恐怖症」をご存知だろうか。
端的に言うと「自分の容姿が嫌いすぎる精神病」でこれは甘えでも何でもない。
誰でもそうなる可能性はあるし今あなたがこれでないのはただのラッキーだ。

容姿というのは、嫌でも人目に晒される。
これからは私の場合の話であるが、自分が嫌いで価値がない人間だと思っていて、内面は繕えばいいし誰とも話さなければいいが、外見は外に出るだけで否応なく人目に晒される。それが怖かった。例えば自分と全く同じ顔の人がいても、私はその人をブスだとかデブだとかは思わないと思う。何故私が私の容姿が嫌いかと言うと「私の」容姿だからで、自らが容姿によって表現されているからだ。

醜形恐怖症、摂食障害、そういうのを一通りこなしてしまった私で、結局は幼少期の環境が大きく影響していたと思う。

ある専門家が言うには、摂食障害にはメッセージ性があるそうだ。特には母親へのメッセージ性。

私の家庭は複雑で、幸せだと思うべき環境で何不自由無く育てられたにも関わらず愛を感じられなかった。

当時の私はあまり頭がよろしくなかったのでその時の家庭に対する不満を言語化することが出来なかったし、なんなら異常であることすら気づいていなかった。今いくら思い出そうとしても当時明確でなかった感情を10数年後に思い出せる訳もなく、ただ「辛かった」という記憶しか残っていない。

何故こんなにも生きづらいのか、何故こんなにも私はダメな人間なのか、だって私は良い親の元に生まれて幸せな生活を送っているはずなのにどうして と思っていた。

こんな曖昧な一体どこからなにゆえ湧き出ているのかも分からない負の感情に悩まされながらなんで子供時代の私は生きていたんだろう。

姉は家庭が異常であることに気づいていたらしい。また

可愛くないと愛されないと思っていた。それは条件付きの愛しか知らなかったからで、人から敵意を向けられる経験が多かったからで、それを全部自分のせいだと思い込んでいたからだと今は思う。