純粋な黒と白は存在しない

FacebookよりはTwitter派です。

昨今というより昔からのTwitterの特性の一つとして、ニュースに対してコメントしたり、誰かの意見に反論したりと"言葉"を使って、ある種の論争ツールとしての側面があります。

もちろんTwitter上で意見を書くことは問題ないです。ただ自分が気になるのが、

この世界に純粋な黒と白はないということ。


高校生の頃、現代文で4択問題を解くときに先生が、

「4択問題ってのはあくまでのこの中で適切なものを選びなさいなんだ。だから選択肢が真っ白つまり完全にあっているものを選ぶこととじゃない。選択肢の中で最も白に近いものを選ぶんだ」と言われたことを思い出します。

この話を聞いた当時、村上さんの「限りなく透明に近いブルー」が頭に浮かんでました。(世代はぜんぜん違うし、読んだことないけれど)

それはさておき、

よくあるケースとして、誰かが書いた意見に対し、

「その考え方は間違っている」「モラル的にどうなの?」

とリプライが飛び交ったり、それがときとして炎上みたいなとこまで発展したりすることだってあります。

確かに議論をすることは大切ですし、自分の意見をきちんと述べることは一向に構いません。

ですが、それが全くの黒かというとそんなことはないと思うんです。

発言する人はすべて人間です。人間である以上なんらかの考えをもって発言しているでしょうし、別に悪気があって言ってることはないはずです。(ただの悪口とかは別)

それなのにもかかわらず、「あの人の考え方はおかしい、すべて間違っている」、「人として嫌い」というのはどうなんだろうと感じるわけです。

「罪を憎んで、人を憎まず」とは言い得て妙だなと。

人を憎んでしまえば、その人が何を言っても、その発言は黒になってしまいます。一方で逆に好きな人であれば、どんな発言でも白になる。

そうすれば”正しさ”という感覚が客観性から主観を帯びたものになります。

ただ、人の発言や思考というものは表面的な薄っぺらいものではなく、その人のバックグラウンドやこれまでに培われた経験・知識に基づいており、往々にしてかなり複雑なことが多いです。

なので、冷静に人の発言をよく見てみると、「大筋わかるけど、ここはおかしい」とか「ほとんど間違っていると思うけど、この一文は的を得ているよな」といったような感覚になるのが普通なのだろうと思うわけです。

そういったいい意味での"アナログ的ノイズ"に気づくことができれば、お互い深い議論に結びついたり、攻撃的な発言というのはなくなってくるんじゃないかな。デジタル思考の「0」「1」的感覚だと、そうしたノイズを拾えなくなって、良い悪いの2択思考に陥ってしまう危険性があります。

良いこと言っていても、「この人が言うから嫌だ」みたいな考え方よりも、おもしろい(interested的な意味で)発言は取り入れたり、自分の考えと異なるところがあれば「自分はこう思うんだけど」という形で、もう少し優しい世界がSNS上でも築いていければいいな。


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