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スレドニ・ストグの遊牧民

『氷河時代のアルプス』
アルブレヒト・ペンク、エデュアルド・ブリュックナー著、1909年

氷河時代のあとは温暖化し、
以後、栄華を極めることになりました・・・だと・・・!?

氷河時代がこれほど単純であればいいのですが・・・。

B・ファイガン
河出書房新社

1950年代の新米しんまい考古学者

氷河時代は、遠い昔に長期にわたって、極端な気候がつづいた単純な現象のように思われていました。

その時代(氷河時代)が終わったとき、人類は近代に近い気候にやすやすと適応していたのだ、と・・・。

B・ファイガン
河出書房新社

古気候学の進歩

この四半世紀に気候学の分野で見られたいちじるしい進歩のおかげで、われわらは今初めて、今日の前代未聞の地球温暖化を理解し、将来の不確かな気候を予測するための歴史的な背景がわかるようになったのです。

B・ファイガン
河出書房新社

幸運と不運の境目(ヘシオドスの詩)

たくわえを増やせば、燃える目をした飢餓きが
そばにやってこないだろう・・・。


種をまくためには
裸でいるがいい。
服を脱いでたがやし、服を脱いで刈り入れ、
デメテル神の恵みをすべて、しかるべきときに収穫するのだ。

そうすれば毎年、作物は順調に実り、
のちに困窮することなく、他人に頭を下げずにすむ。
そうしたところで、助けてはもらえぬのだから。

紀元前8世紀
古代ギリシアの詩人
ヘシオドス
『仕事と日々』
デメテル神
ギリシア神話に登場する女神は、
穀物の栽培を人間に教えた。
ウィキペディア

スレドニ・ストグの遊牧民

氷河時代末期(1.5万年前)になると大型動物が激減し、森が一気に増えて小動物の狩りへと変わりました。

はてなブログさんの記事より

スレドニ・ストグの遊牧民は、紀元前5千年にはすでに、多くの集団が馬の牧畜を始めていました。

紀元前4200年ごろ、西はウクライナのイングル川から、東はロシアのヴォルガ川中流域までのあいだで、社会がより階層的になり、首長たちが登場していました。

紀元前4千年紀のあいだに、西は現代のハンガリーやルーマニアから、東はヴォルガ川を越えた地域まで、1500キロにおよぶ距離に広がっていました。

B・ファイガン
河出書房新社

銅器時代の闇

飢えと栄養不良は、青銅器時代の暮らしでは切実な問題でした。アルプスの山中で殺された紀元前3100年の凍結死体、有名な「アイスマン」のエッツィの骨からは、9歳、15歳、及び16歳時に明らかに栄養不良状態だったことを示す「ハリス線」が見つかっています。

B・ファイガン
河出書房新社

「都市国家」への侵入(=アナトリア半島)

馬が広く普及してからずっとのちの紀元前2千年紀に、馬に乗った民族が、ユーラシアのステップ西部から、はるかアナトリア半島(現在のトルコ)まで侵入しました。

B・ファイガン
河出書房新社

「世界最古級の鉄の塊」
(ハッティ人の「世界最古の製鉄技術」、教科書の記載内容とは異なる見解)

2017年に、「中近東文化センター アナトリア考古学研究所」所長の
大村 幸弘氏が、現在のトルコのカマン・カレホユック遺跡の
紀元前2500~紀元前2250年の地層から「世界最古級の鉄の塊」を発見しました。

ターキッシュエア&トラベル(TURKISH Air&Travel)

アナトリア半島の人口の大部分は、「ヒッタイト人が到来する以前からの先住民であるハッティ人と呼ばれる人々であった」と考えられています。

ハッティ人が用いていたハッティ語はインド・ヨーロッパ語族の言語ではなく、系統は不明です。今日では、一部の研究者たちは、北西コーカサス語族に関係する言語と考えられています。
語順は日本語に似て、原則として主語を文の先頭、述語を文の末尾に置きます(SOV型)。

ウィキペディア
ハッティ人の地母神
紀元前5750年ころ。

砂漠に消えた「ローラン」の集落

研究の結果、タリム盆地のミイラには同時期(紀元前1900年紀)に生きていた他の集団と混合(子どもを作ることを意味する)した兆候が見られないことが分かりました。ミイラの直接の祖先に当たる集団は、氷河時代には広範囲に存在していたものの、その末期の約1万年前までにほとんどが姿を消したといいます。

古代・北ユーラシア人と呼ばれるこれらの人々は狩猟採集生活を送っていた集団で、現代人の遺伝情報にはごくわずかな痕跡しか残っていません。遺伝情報中の比率が最も高いのはシベリアや米州の先住民族だとされています。タリム盆地で上記の年代にさかのぼってその存在が確認されたのは予想外の発見でした。

2021.10.28
CNN
謎に包まれた「ローランの美女」
青銅器時代

小国の族長たちの野望(=散発的な境界線の侵犯)

紀元前1200年ころ、ヨーロッパの地中海北部には、自給農民の小規模な共同体が寄り集まっていました。・・・

森林の生い茂る北部では、昔からの平等主義的な農耕社会は、小国を率いる族長同士がり合う世界に変わっていました。同盟関係がつねに変わるこの寄せ集めの世界では、族長は(自分の)成功につながる通貨の獲得をめぐって他の族長たちと争いました。

この通貨は、バルト海の琥珀こはくをはじめとする、高級な装飾という形態をとり、なかでも武器や装身具、おのなどの道具の金属材料として使える輝く青銅が好まれました。

B・ファイガン
河出書房新社
バルト海の恵み――琥珀
ポーランド政府観光局
バルト産――青琥珀(ブルーアンバー)の首飾り
sunrisefirm.com

これらの小国は統一されることはなく、中央集権化された官僚制度ももちませんでした。

人々の生活は農地や家庭、そして村の仕事場を中心にめぐっていました。ほとんどの人は集落や村のなかの小さい円形住居に住んでおり、3千年前に最初の農耕民が暮らしていたころと大差ない生活を送っていました。

B・ファイガン
河出書房新社

不都合な現実

人口の増加と豊作、および土地の環境収容力のあいだには、目に見えない微妙な均衡関係が保たれています。

(幸運な時代と不運な時代とでは、土地の環境収容力が違います。この簡単な算数を人類は理解しようとしません。)

人はほぼいつの時代でも、限界近くまで土地を耕作し、ときには限界を超えてしまうこともあります。冬になればしばしば、村人は飢え、死人がでました。

移動生活が、定住生活に変わるにつれて、環境と共存して保ってきた均衡関係は変わりはじめました。

中世の歴史家『ヨハン・ホイジンガ』
「悲しみと喜びの違いも、幸運と不運の差も、われわれが感じるより大きかったようだ・・・冬の身を切るような寒さや陰鬱いんうつな暗さは、実際に悪いものとして感じられた。」

人は、つねに(土地の環境収容力に対する)自給農業の規模を小さく見積もろうとしています。

B・ファイガン
河出書房新社

奴隷解放(=アナトリア半島)

ヒッタイト帝国の都ハットゥサは、紀元前1180年、おそらくは内戦から生じた火災で崩壊しました。

B・ファイガン
河出書房新社

製鉄技術をもっていたハッティ人(=教科書の記載内容とは異なる見解)

先住民であり、製鉄技術をもったハッティ人たちは、ヒッタイト帝国で奴隷労働を強いられていました。帝国の都ハットゥサが崩壊すると、彼らはヒッタイト人から解放されました。

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