ばばの話(読まなくていいです)

なんでこんなすぐに、って思うかもしれないけど、すぐに文章にしないと色んなことを忘れてしまう気がして、怖くって。

自分のためだけの文章です。

特に今日私に会った人。気を遣わせるだけなのでブラウザバックしよう。










初めて身内の死に立ち会った。
人って案外あっさり死んでしまうものだ、と思った。

悲しくて悲しくてたまらなくて、世の中の人はどうやってこの悲しみを乗り越えているのだろうかと不思議に思う。

合流したお父さんが、霊安室に戻ります、と係員さんに告げているのを聞いて、すべての状況を理解し、その場で泣き崩れた。

おばあちゃんの顔はまるで別人で、冷たくて、思わず目をそらした。

私のおじいちゃんは私が生まれて3ヶ月後、近くの川で釣りをしている途中で突然倒れて、そのままこの世を去った。
8月の頭だった。暑かっただろうねえ、と何年経っても涙ぐみながら繰り返し話すおばあちゃんの顔を、私は一度も直視できなかった。
「じじはね、『俺が晶を抱くとすぐに泣き止むんだぞ』って言って絶対他の人には抱っこさせなかったんだよ」と、おばあちゃんは同じ話を同じ口調で何度も何度も私に話した。耳にタコができるくらい、本当に聞き飽きてしまうくらい聞かされた。今でもおばあちゃんの声で再生される。いつかはそれも忘れてしまうんだろうな、と思う。それが悲しくて辛くて、どうしようもない。
「じじったら、『いつになったら1人でうちに来られるようになるかな』って歩けもしないうちから言ってたのよ」と笑うから、初めて1人でおばあちゃんに行った日、私はその日の日付を折り紙に書いておじいちゃんの仏壇に飾った。確か今もそのままだ。

おばあちゃんは本当に優しい人だった。
いつも家で弟の世話をして大変でしょう、と私をとことん甘やかしてくれた。
私が成人すると昼だろうが関係なく缶チューハイを用意してくれて、差し入れだと言って美味しいお酒を見つけては買ってくれ、そして私が子供の頃好きだったお菓子はいつだって机の上にあった。
家族のことでたくさんたくさん問題を抱えていたけれど、全部優しく受け止めてくれるおばあちゃんに、全員甘えてばっかりだった。

晶はお姉ちゃんだから、家ではしっかりしなくちゃいけないから、うちに来たときくらいは休ませてあげないと!ってずっと言ってくれていた。休む場所、なくなっちゃったよ。どうしようばば。

最後に会いに行ったのは先月の20日。成人式の写真を大きく印刷してもらったから、それを届けに行った。
「大きい方が見やすくていいねえ」とやっぱり泣きながら写真を眺めるおばあちゃんに私はそうだよねーと軽く返して、差し出されたジュースを飲んだ。
グラタンを作った。
前日に「晶が写真を届けに行くよ」とお母さんが話していたから、おばあちゃんは張り切ってグラタンの用意をして、パンを買い忘れたからと帰宅後もう一度スーパーに走ったと聞いた。
バターをお皿に塗って、ソースを流し入れて、海老と帆立をトッピングして、チーズをこれでもかと乗っけて、2つ並べてオーブンで焼いた。
熱い熱いと言いながら2人でリビングにお皿を運んで、パンを焼いた。1回目は真っ黒とは言わないがまあまあ焦げた。4分は長すぎたね、と2回目は3分弱にして焼いてみた。とっても美味しかった。次からそのくらいの時間で焼けばちょうどいいね、と笑いあったけど、あの後おばあちゃんはパンを焼いたのだろうか。

2人で料理をしたのは久しぶりだった。
私が高校受験を迎えるまで、ほとんど毎年2人でお正月の料理を作っていた。
作っていた、というのは言い過ぎだ。ほとんどおばあちゃんが作ってくれて、私はひたすら盛り付けた。
晶はセンスがいいから、といつも褒めてくれた。

弟の前では作れないから、と毎年バレンタインはおばあちゃんの家でチョコレート作りをした。
クッキーも焼いた。トリュフチョコに挑戦した年もあった。レシピ本を買ってきて、ああでもないこうでもないと騒ぐのが楽しかった。
家の整理をしたら、きっとどこかから当時のボウルとかヘラとか諸々の道具が出てくるだろう。それを見て耐えられるかどうか、自信がない。

もう1つ、おばあちゃんの家からはきっとたくさんのプリクラが出てくる。私と一緒に撮ったもの。私が小学生か中学生の時からかな。見返せば機械の進化を感じるくらいたくさん撮った。
昔「いつか棺に入れてね」と言っていたのを、私はやめてよと笑い飛ばした。いざこういう日が来ると、どうしていいかわからない。とりあえず探し出して、見つからなかったら私の分のプリクラを少しおすそ分けしてあげる。

おばあちゃんは買い物帰り、自転車を漕いでる途中に倒れたらしい。
詳しくは聞いていないけど、カゴにはスーパーで買った食材なんかが入っていたと聞いた。食べよう、食べさせようと思って買ったんだろうな、と思うと胸が痛くて切なくて、言葉にならない。あーだめだ、1人で買い物袋に商品を詰めているおばあちゃんの背中を想像しただけで涙が止まらなくなってしまう。
おじいちゃんと同じように、おばあちゃんもきっと自分が死んじゃったことに気づかないまま逝ってしまったんだろうな。それが幸せだったのかどうかはわからない。

母はまだ、おばあちゃんに会えていない。
弟には「死」が理解できないから、いつも通り帰宅して、おやつと夕食を食べて、いつも通りお風呂に入ってというリズムを崩すわけにはいかない。
だから、母もいつも通りの動きをしなければならない。
まだ顔を見ていないから実感がわかない、と言いながら号泣する母を抱きしめることしかできない。早く会わせてあげたい。

お腹いっぱいだよ、と何度言ってもたくさん食べ物を用意してくれたおばあちゃん。
もう1ミリも伸びていないのに、毎回「背伸びたねえ」と私の顔を見上げていたおばあちゃん。
買ってもらった服を着ていくと、「あんたはなんでも着こなすから!」とべた褒めしてくれたおばあちゃん。

成人式の日、振袖姿の私を見てずっと泣いていて、私のためにいちごとりんごを山のように用意してくれて。
2人で写真を撮るときにはなぜか手を握って、その手の柔らかさも忘れられなくて。

次は結婚式までだねーなんて言ってたじゃん。私きっと時間かかるから長生きしてよねって言ったのに。

おじいちゃんに私の成人式の写真を見せに行ったのかな。それにしてもそんなに焦らなくたっていいのに。

いろんなところに出かけて、一緒に美味しいものをたくさん食べて、私はとってもとっても幸せな孫でした。

お別れまでもう少し、思い出に浸らせてください。


画像1



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?