MFICU

ツグの状況が好転しないばかりか、私自身の身体に異変がみられるようになり「1日でも早く入院しましょう」と医師から指示を受けた。このままでは私も取り返しがつかない状態になる可能性もあるらしかった。
予定より早く入院が決まったので会社の産休手続きを急いだ。
産休に入る際メールを送るのが慣習だが、私はそのメール文書を作ることが思うようにできなかった。定型文は「○○月に出産予定です。2年後に復職を予定しており~~」。私は「元気に赤ちゃんを出産します!戻ってきたらまたバリバリ働きます!」とは言えなかった。せめても、と、本当にお世話になった方達にだけ、出産予定日を伝えること無く、産休に入ることのみを連絡しておいた。

いつ入院してもいいように事前準備はしていたものの、緊張した。
なぜなら今回はMFICUへの入院だからだ。

MFICU(Maternal-Fetal Intensive Care Unit:母体胎児集中治療室)は、合併症妊娠、多胎妊娠、切迫流早産、前置胎盤、妊娠高血圧症候群や胎児異常など、ハイリスク妊娠・出産の母体・胎児に対応する設備と医療スタッフを備えた集中治療室です。

入院当日、息子を朝いつものように保育園に預ける際「今日からママはツグと一緒に病院にいくから、しばらく会えないけど、絶対に帰ってくるからね。愛してるよ。」と入院が決まった日から毎日言い続けた台詞をもう一度伝えた。
息子は人見知りも無く切替えの早い性格でイヤイヤ期も大して無く、保育園にいくことをグズることも滅多に無かった。けれど、その日は無言で目に涙を沢山浮かべて、それが大粒で溢れても声を出して泣くことはせず、ただただ私の首に腕を回し、必死につかまってきた。保育士が引き剥がそうとすると私の目を見て、首を横に振り、私が距離をとると、その小さな腕を必死に伸ばした。それでも、嫌だと泣き喚かなかった。
未だ2歳の息子はどれだけ理解していたのかわからなかったが、不安でいっぱいだったんだろう。入院がどれだけ長くなるかわからなかったし、本当に申し訳なく思ったが、息子もこれから共に戦ってくれるんだと、心強くも思った。あの姿は一生忘れることはないだろう。

そして昼、夜勤明けの夫が車で病院迄送ってくれた。
病院の駐車場に着くまでは他愛も無い話をしていたけれど、駐車場に着くと夫も心細くなったんだろう。そこに自らの決定権もなく無力さもあっただろう。
「俺が泣いてちゃいけないのに、ごめん。俺の精神的な支えが家に帰ってもいないと思うと、ちゃんとできるか自信が無くて。ごめん。」
そりゃ、そうだよな。と。最悪の場合、娘も妻も失うかもしれない。未だ年端もいかない息子を抱えて生きていく覚悟なんてそう簡単にできるものじゃない。その言葉を聞いて、息子も夫も待っていてくれる。娘を連れて帰ろう。絶対に。と強く覚悟した。

ツグはその日も元気にお腹をよく蹴った。
「ママ!いよいよ会えるね!」と言わんばかり。
「まだ、もうちょっと、お腹の中にいてね。」と答えた。

入院手続きを済ませ、MFICUの個室へ入室した。

ここからの約1ヶ月、ツグと私は1日1日をとても濃く過ごした。
とても愛しい1ヶ月だった。
とても穏やかな1ヶ月だった。
私達には必要な1ヶ月だった。

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