愛し合うという日々 愛の深化

時折感じる一抹の寂しさ。知れば知るほど距離は遠のく気がする事がふとある。確かに愛し合い理解深めていく過程で微細な違いにすら気付けるようになるしわからなければ意思確認コミュニケーションも増えて押し付けと言う支配やそれでいいやって妥協する被支配も減っていく。結果勘違いや思い込みによる行き違い口論も減り穏やかな笑顔の日々。なのに一抹の寂しさを感じたり逆に距離が開いたように感じるのは過去寸分の狂いなく二人は一つと決めつけていたから。運命の二人だからわかり合えるはず同じだよねって思い込みが信仰だったから。ある意味楽だったけどそこから生じる勘違いや押し付けやそれに起因する口論や暴言やで振れの大きな不安定だけど情熱的な愛の日々だった。今はどうかと言うとそんな蜃気楼は消え去りどんな大好き同士でも運命の二人でも自分が相手になれない以上所詮は他人だと言う当たり前の事実がベースになっただけ。じゃあと冷静に人と人の関係を考えてみると深く受け入れ合い歩み寄れ好きが変わらないなんて当然だけど誰とでも出来るわけじゃないししかもそれをお互いに出来ているという凄さの積み重ねに気が付く。ああ納得。でもやはりふと考えてしまう。過去悪戯に喧嘩して行き違いや勘違いはあったけど運命を無邪気に信じられてたあの頃と喧嘩も口論も減ったけど盲目的に運命を信じられなくなった今とどちらが幸福なんだろうか。ここでハッとして気が付いて妻に聞いてみた「過去と今とどっちが幸せだい?どっちが愛し合ってるって実感する?」妻はほんの少しだけの間の後

「勿論今かな。だいたいさ愛してる愛し合ってるって気持ちは変わらないよ。確かに熱量って意味なら変わってくのはあるよね。でもさ長い間一緒にいると似てくるってあるじゃん。積み重ねた空気感て~の?だから別に楽だし。うーんそう今のほうが楽かなあ」

今!とか前!とか乱暴で気楽な答え期待してたんだけど理知的で十二分に長い答えに驚いた。似てくる似てきた。これが今の僕らの拠り所かもしれない。

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