人生初のDolby Atmosをムビナナに捧げた話

 映画館には人生で数えるほどしか行ったことがない私だが、今年に入って既に複数回映画館に行っている。
 そもそもムビナナ界隈では数十回、中には100回以上通っている猛者もいるようだが、私はあくまでライト勢で人生で同じ映画を複数回観ることが理解できないタイプのオタクだった。


そう、「だった。」過去形。


 人生初の同タイトルを複数回観るという体験を、新海誠監督のすずめの戸締まりに捧げ、なぜかそこから紆余曲折がありアイナナに復帰したオタクである(自己紹介)

 復帰前はめっぞ担の壮五推しだった私だが、ここにきてりばれ担としてアイナナ復帰したオタクである(自己紹介)

 アイナナのマネージャーの方々ならわかるだろうが、私がりばれ担としてアイナナ復帰したのは今年の年明けごろからだ。誕生日ガシャを回したい欲MAXの頃に自担の誕生日が一番遠かった。タイミングが悪かった。そしてりばれ記念日でログインだけはしていたので溜まったステラストーンを放出し、育ち切ってないカードでスコアタイベントに挑み長年ガチ勢の強さに打ちのめされた。推しは推せる時に推せる範囲で推せ。無理は禁物。


 話はそれたが、ムビナナが5月から始まったのは皆さんの知るところ。初めてのムビナナは平日仕事が休みの日に、ひっそりとソロ活したし、応援上映の存在も知らなかったので通常上映で観た。

「あ、これ絶対応援上映に行きたい。できればアイナナマネージャーの子と」

そこからしばらく連絡をとっていなかった、私にアイナナを勧めてくれた旧友に連絡をしたところ、ちょうど彼女もアイナナに出戻りしたタイミングだと聞いた。ディスティニー。

そして連絡をとって友人マネに支えられて私は人生初の応援上映デビューをした。

応援上映の何が良いというと、一体感と臨場感だ。

私は三次元のアイドルやアーティストのライブに参戦したことがない全くの素人だが、アイドル達の言う「ここにいる一人一人がライブを作っている。同じライブというものは存在しない(意訳)」というのが応援上映に参加することでとてもよく分かった。アイドルに送る声援はその場に居合わせた人によって様々で、今日の回は静かだったな、とか今日の回はみんなノリノリだった!といった、同じセトリのライブのはずなのに沢山の楽しみ方があることを知った。もちろんアイドル達のパフォーマンスはいつでも最高なのだが、毎回目が足りないので毎回新鮮な発見と感激と感動がある。


さて、ここでタイトルの内容に触れる。

Dolby Atmos。

坂本龍一監修の音響環境での応援上映。
せっかくだからS席で。

値段だけ言うと、応援上映2.5倍くらいの値段だ。これは単純に気持ちの問題かもしれないが、人は値段に見合った価値を見つけ出そうと思う生き物だと思う。例えば同じ英会話のレッスン内容で、無料で受けるとどうせ無料だしとあまり真剣に取り組まない人もいるが、1万円を払って同じレッスンを受けるとそれだけ吸収しようと気合が入る。
何が言いたいかと言うと、それだけムビナナを真剣に浴びようというテンションになる。

実際シアターに入った時、値段に見合った体験だったことをここから書き連ねる。

まず上演前の観覧者用ラウンジ。上質なカーペットにウェルカムドリンクとポップコーン。開演1時間前から入れるそのラウンジはビルの外の風景を見下ろす、非日常的演出が施されており高級感に気持ちが昂る。
繁華街の雑踏から隔たれた高級感に、格差というワードが脳裏に浮かんだ。ああ、これがハイソサエティ組アイドルの日常の一端なのか、と。アイナナのアイドル達、特に虎於あたりはこういった環境が日常だったんじゃないかと思いを馳せる。逆にあまり縁のないであろう環や陸、トウマや悠あたりははしゃぐんだろうな、なんてアイドル達の反応を妄想して頬が緩む。脱線した。

シアターに入ってまず気づいたのが静寂だ。私たちの普段の生活には適度な雑音が常に流れている。周りの人の会話や足音、電車や車のエンジン音、木々のざわめきや虫の声。そういった音を発するものが一切排除された、あまり体験しない静寂がシアターの中にはあった。
席を探す際に歩く足音も、階段を踏み締める音も全て吸収され、劇場内は広いのに音がないことの歪さが非日常を感じさせる。

席に着く。厚みがあり程よい反発性のあるクッション。通常の映画館よりも席の間隔は広く取られており、またS席に至っては三方仕切りがあって個室感が増す。ドリンクホルダーにポップコーンスペースだけでなく、荷物を置くスペースも傘立ても小物を置くスペースも、全て鑑賞を邪魔することのない場所に適切に配置されていて快適。リクライニングあるので、応援上映でなければ少し席を傾けて本当にリラックスした状態で映画を楽しむことができるだろう。

本編開始前のアナウンス。そこでようやく、シアターに音が溢れた。音が違う。そこでもう私は違いを体感した。小さい音、大きい音、低い音、高い音。全てが正確に、ダイレクトに届いてくる。そして音響だけでなく、画面も通常の劇場より大きく迫力がある。遮るものが本当に何もない。アイドルと同じ目線で全てがまっすぐ見つめられる。ただ、画面は本当に大きいので、例えば右端の席に座った場合画面左側が少し遠くに感じる。なので自担の立ち位置が左右によってる場合はそれに合わせた座席を取ることをオススメする。

そしてライブが始まって、今までの通常の劇場では聞き漏らしていた様々な音を私は聞くことができた。アイドルの囁き、一斉に話してわちゃわちゃしているところでの何気ない吐息、舞台セットの駆動音。製作陣のこだわり抜いた全てが届けられていた。

人生初めてのDolby Atmosをムビナナに捧げられて最高だった。

アイナナに限らず、自分を知らない世界に連れ出してくれる趣味というのは素晴らしい。そしてその感動わ分かち合う友人に恵まれたことの幸せを噛み締める。

私がアイナナを離れていたのは、単純に私生活が忙しくなってしまい趣味に費やす物理的時間や精神的余裕がなくなってしまっていたからだ。その私生活の方がようやく少しずつ落ち着いてきて、精神的充足が得られる体験に私は飢えていた。

こうしてまたアイナナに戻ってきて最高のひと時を過ごせているのは、天がいつも言ってくれている通り、「僕を推していることでファンを悲しい思いをさせたくない(意訳)」という精神を持ってこれまでファンへの供給を続けてくれた運営のおかげだと思う。

また、アイナナのマネージャー達も、新規古参問わずに温かく盛り上げていこうと言う一体感があるからだと思う。

アイナナには名言が多い。ストーリーはヘビーだし、それぞれのアイドル達の過去の辛い経験はマネージャー達それぞれの辛かった経験や苦い思い出に似たようなエピソードが詰まっている。だからこそ、自分と同じような辛い体験や苦い思い出を克服したり、抱えたまま一生懸命もがき光り輝こうとしているアイドル達を応援したくなる。アイドルはいつも私達に興奮と笑顔も勇気をくれる。

ありがとう、アイドル。

ありがとう、アイナナ。

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