Permission to ピアスデビュー

生まれて初めてピアス穴を開けた。
病院には行かず、誰かに開けてもらうこともなく、自分で自分の耳たぶに開けた。
 
30歳を過ぎて初めての経験だ。
 
親も職場の同僚も
「え?急にピアス??!
今?!?? 何故??!??」
という反応だったし、その反応はどう考えても正しい。
 
次の日も仕事というド平日、週の半ば、私は仕事終わりにドラッグストアに寄り、突然ピアッサーを購入した。
どれがいいのか、なんて考える間もなく、ただその場に売っているブツを2つ手に取って、ルンルンでレジに持っていった。
そのまま帰宅し、「ただいま〜」を言う前に第一声が「お母さん、私は今からピアスを開けます」だったのだから、
親は「遂にこの娘はとち狂ったんか……」と絶望したに違いない。
 
しかし、当の本人はウキウキが止まらなかった。
開けるなら今日だ、と思ったのだ。そう思った理由は今となってもよくわからない。ただ仕事終わりに「今、開けたい!!!!」と強く思った、その衝動だけで動いていた。
 
ドラッグストアから帰る最中も楽しくなり過ぎて、車の窓を開けて「ご近所の皆さ〜〜ん!!私、今からピアス穴を開けま〜〜す!!!!!」と選挙カーの如く言いふらしたい程だった。ちゃんと運転して帰って来られたのが奇跡なくらいに、わかりやすくアドレナリンが大放出されていた。
 
帰宅後、まず冷凍庫から保冷剤を持ち出し、自室で耳たぶを冷やした。
そこまでは良かった。まだ「ウヒョヒョ〜イ!!!」というテンション爆上がりの状態が続いていた。
耳たぶを消毒し、印を付け、ピアッサーを開封し、いざ自分の耳たぶに当てた時だった。
驚く程、急激に怖くなった。
「………え?………あれ??私………今から耳に??穴を??開けるの???マジで???失敗したらどうすんの???血とか出たら???え???嘘やだ………何かすっっっごい怖くない???????」
人は一旦冷静になってビビり始めるとこんなにも急に事が進まなくなるのか。
血の気が全身から引くように、先程までの全開のアドレナリンもその瞬間スーッと引いていった。
 
そこから数十分、耳にピアッサーを当てたまま、自分の中の泥試合が始まった。
 
「今ならまだ間に合う、冷静になってよ、ビビってるうちは開けるべきじゃないよ」という、チキンだけど至極まともな自分
  VS
「ここまで来たのに止めるの?それこそ今更だし、ダサくない??You やっちゃいなよ!!!」という、とりあえず勢いで押し切ろうとするイケイケドンドンな自分
 
後者の自分が粘り勝ちした。
一旦引いたはずのアドレナリンの残骸が体に残っていて、最終的には「やったれ〜オラオラ〜〜!!!!」と言いながら開けた。実際にこう口に出した。私という人間はつくづくやべえ奴だ。充分に自覚はしている。しかし、卓球の「ッサアーーーッ」、円盤投げの「アアアァァァァーーッ」、テニスの「ッンンーーーッ」と同じ。その時の私には気合いの掛け声が必要だった。(高尚なスポーツ選手と一緒にするなよ)
 
先に右耳を開けたのだが、1度その闘いに勝利すると、左耳は何の躊躇いもなくスムーズに開けることができた。
帰宅して格闘すること約30分、私の両耳には無事に1つずつピアス穴が開いた。
 
ずっとピアス穴を開けたいとは思っていたのだ。
私の人生において、最初で最大のピアスチャンスは大学生の時だった。
やっと高校の校則から解き放たれ、誰にも反対されず、何個でも好きなだけ開けられたはずなのに、当時の私は(まあ、今開けなくてもな…) (正直怖いしな…) (どうしても開けたいと思ったらその時開けよう) と悠長なことを思った結果、その最大のピアスチャンスを逃した。
それから、就活が始まると(さすがに今開けるわけには…)と思い、
就職したら(先輩たち誰もピアスしてないな…)と謎の空気を読み、
20代も終わりかけたら(もう今更よね…)と完全に諦め、
そうやって何度も何度もピアスチャンスを逃してきた。
 
最早「ピアス開けたいんだよね〜」は長年 私の口癖になっていたが、本当はいつだって開ければよかったのだ。
 
私は “自分の耳たぶに穴が開くこと” よりも “周囲の目線” をずっと気にして、それを1番怖がっていたのだと思う。
 
実際のところ、今回私がピアス穴を開けた後の周囲の反応は 驚きとともに好意的ではないものも確かに混ざっていた。
 
中でも多いのは、予想通り「いい歳して……」という決まり文句だった。
この「いい歳して……」は、直接的ではなくても言葉の端々に含まれた状態で毎回 無遠慮にこちらに放たれてくる。その度に(ぅぅぅうううるせええええぇぇぇ〜〜ッ!!!!)と心の中で叫び散らす以外方法がない。今回もそうだ。
 
しかし、そもそも、いい歳して、30歳を過ぎて今更ピアス穴を開けるなんて…という発想は、落ち着いて考えればよくわからない。
だって、年齢は望んでなくても毎年重ねていくものだが、今が、今日が、私のこれからの人生で1番若いのに。
今を逃すとまた何度も私はピアスチャンスを逃し続けて、数十年後 息を引き取る間際に「ああ…1度でいいからピアス穴を開けておけばよかったな…………」なんて少しの後悔とともに人生を終えることになるかもしれない。
いや、もっと言うと、数十年後ではなく、その終わりの瞬間が明日訪れて、明日その後悔をするはめになるかもしれないのだ。
 
そーんなのーはいーやだ!!!!(急にアンパンマン)
 
やっぱりやりたいと思った事は今やるべきだ。
綺麗事なのかもしれないが、それでも、遅い、今更、なんてことはないはずだ。耳馴染みのいい言い訳を並べて、それで納得した気になっているだけだ。
自分で自分に特大の足枷をしてしまっていることに私はこのピアスの件で気付けた。
 
今日の私がこれから先の私の中で1番若い。
だとしたら、何かを始めるのはいつだってやりたいと思った今しかないし、それを決めるのは他の誰でもなく自分自身だ。
 
私がピアス穴を開けた数日後、BTSの新曲が解禁された。“ Permission to Dance ”
 
いつかコロナ禍が過ぎ去り、また以前のようにマスクをせず、人々が自由に近付いて自由に踊る世の中を願うこの曲。
世界的ポップスターになった彼らが今 この曲を歌うからこそ、本当にそんな世の中がもうすぐそこまで近付いて来ていると信じられるような、ポジティブで力強い説得力を感じた。
 
そのポジティブで力強い説得力は、コロナの影響を受け疲弊した現状にだけ当てはまるのではなく、もっと広域の意味でも受け取ることができる。
 

There's always something that's standing in the way (いつも邪魔する何かがある)
But if you don't let it faze ya (だけど怖がらなければ)
You'll know just how to break (どう乗り越えればいいのか君はわかるようになるさ)
Just keep the right vibe, yeah (ただいい雰囲気をそのまま)
'Cause there's no looking back (振り返る必要はないのだから)
There ain't no one to prove (よく見せようとする必要もない)
We don't got this on lock, yeah (ただぶつかってみるんだ)
『Permission to Dance』MV YouTube日本語訳より
The wait is over (もう待たなくていい)
The time is now so let’s do it right (今がその時だ だから思い切り楽しもう)
Yeah we’ll keep going (僕たちは進み続ける)
And stay up until we see the sunrise (そして日が昇るまで起きているんだ)
『Permission to Dance』MV YouTube日本語訳より

 
コロナ前も、コロナ後も、私たちは常に何かしらの柵の中で生きている。
その柵は人によって様々だと思うが、私と同じように “年齢(若さ)” や “世間体” や “こうあるべきだという理想像” に捕らえられてしまっている人も多いはずだ。
その度に「あのぅ…私おかしくないですよね?間違ってないですよね??これで大丈夫ですよね???」と、お伺いを立てて、どうにか “普通” から大きくはみ出さないように注意して生きる。
この社会で上手く生きていくためにそれが必要なことだとは理解できる。
しかし、理解はできるが、納得はできない。
だって、どうしたって私の人生の責任を私以外は誰もとってくれないのに。
だとしたら、行動するもしないも、誰の許可もとる必要がない。自分で決め、その責任を自分で負うしかない。
 
ピアスごときで大袈裟な、と思うだろうが、今回私は自分でピアスを開けると決めて実行した。誰にも許可を得ずに。
 
しかし、強いて言うなら、自分自身の許可は得た。1番大切なのはその許可だと思う。
 
例えば、自分で自分に許可をすれば、この先 私が更に、1つ、2つとピアス穴をどんどん増やしていくことだって大いにあり得る。
外野がどれ程「いい歳して…」だの何だのワーワー騒ぎ非難してきたとしても、やりたいと思えば私が決めて私がその責任をとるのだ。
 
自由には責任がつきものだから。
踊ると自分で決めたからにはその責任を最後まで自分自身が負わなくてはいけない。
踊った結果が良ければ万々歳だが、その結果がもし失敗だったら…
しかし、それでも私たちは生きている限り、きっと、踊らずにはいられない。体が思うように動かせなくなったとしても、全くカッコよく踊れなくても、ずっと “心” を踊らせていくだろう。
その時、やっぱり他人の許可はいらない。いつだって私たちは “自分のために” やりたいように楽しく踊るべきなのだと思う。
 
最後に、もちろんピアス穴を開けたことを後悔するはずがないのだが、穴の位置に関しては少し、いや、かなり後悔している。やっぱりピアス穴は病院で開けてもらった方がいいのかもしれない (え?これだけ長々と語っといて結局 結論それ???)

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