患者さんの話を聞くことについて

 地方都市で一般内科の診療所を営んでいると、お年寄りを中心に、毎日さまざまな患者さんの話を聞く立場に置かれる。わたしは内科なので高血圧や糖尿病など、からだの病気の診療が中心であり、精神科や心療内科の患者さんは基本的には診ないのだが、それでも「患者さんの話をただ聞くこと」そのものが、実は治療の一部として大事であるということを日々実感している。補足すると、それは患者さんと医療側の良好なコミュニケーションを保つという目的ばかりではなく、それ以上に「他者(医者)が本人(患者)の話を聞く」ことは、その人の心身の何らかの病んだ部分を、ある程度(もの凄くとは言わない)改善する効果があるということを言っている。要するに「医者は患者さんの話を聞くべきである」ということで、まあ通常の医学論文のエビデンスはないかも知れないが(いや、私が知らないだけで、探せば「患者の話を充分に聞いた方が治療効果が有意に高い」とする医学論文はあるかもしれず、探してみなければならない)、少なくとも患者さんの話を聞くだけなら余計な医療コストもかからず、これはこれで充分シンプルな医者の心得と言えよう。ただそれに加えて、ここでわたしが言いたいのは、医者と患者さんの関係に限らず、一般に「他者に自分のことを話す」ということは、精神療法とまで大袈裟なことは言わなくても、ある種の癒し効果を持つ、ということである。これは、医療関係者に限らず、ごく一般の人付き合いのさまざまな場面で多くの人が実感することではないだろうか。

  このような「人に自分のことを話す」だけで、一種の癒し効果があるということは、もうすこし進めて考えることができるように思う。つまり、「目の前の聞き手が誰であろうと、いや、たとえ目の前に誰もいなくても、一人で自分のことを語る、あるいは『適切な仕方』で自分自身を振り返るだけでも何らかの効果が認められる」とも思えるのである。医者と患者の関係で言えば、医者は、例えは悪いが患者さんが積もり積もった心の負担を晴らすためのサンドバッグの役目を果たしている、と言えるかも知れない。医者は守秘義務もあるし、ある意味好都合なサンドバッグなのである。なので、医者としては、患者さんの話がとても冗長に感じられ、途中で「その話、本筋と関係ないな。もう少し要約して話してほしいものだ」と仮に思っても、話を聞くことそのものに意味があるのだから、どんな話でも基本的には受容し、サンドバッグに徹してひたすら聞き続けなければならないのである、という極論も成立しそうである。

 一方、今度は話を聞く側の姿勢について考えてみると、自分は若い頃、患者さんが話すことをできるだけすべて傾聴し、受け止めようとしていたことがあったのを思い出す。そのようにした方が、上記の意味で、患者さんにとって良いという考えの他、できるだけ話を聞いた方が患者の持つ病的状態を知ることができるという考えもあったからである。若い頃は、そのような診療姿勢は悪くないと単純に思っていた。しかし、このような姿勢は基本的に疲れる。まず物理的に時間がかかるし、こちらの心の負担も相応に重い。しかも、そもそも患者さんの話の中で、医学的に意味のあるエピソードは、実際にはそんなに多くはない。医者がより良い診療を行うためには、できるだけ効率よく患者さんの問題点を吸い上げ、要約し、速やかに治療に結びつけることが重要である。結局、「患者さんの話をただ聞くこと」ももちろん大事なのだが、当初の診療態度は決して最善とは言えないと思っており、今は診療中に患者さんの話を聞いていても、ただ聞くだけではなく、その話を客観的に眺め、その人にとっての問題点は何かをできるだけ速やかに正確に捉えることに集中し、相互の時間の節約も考えながら診療を行うようになっている。この診療態度だと、外来での心の疲れ方も少なく、医師本人の心の健康にも資するし、しかも、結局最終的には患者さん側にとってもメリットがあると思う。つまり、患者側からの自発的訴えをそのまま聞くことと、医療側からの焦点を絞った問いかけの両方が大事だということでもあり、バランスが大事であるとも言える。結局これは問診のしかたのイロハとも言えるのであった。  

 話は変わるが、Twitterを眺めていると、一時的な発散とでも表現したらよいのだろうか、他人が読んでも意味の取れない、いや、そもそも意味をわかってもらう意図がないと思われるような書き込みを時々見る。このような書き込みは、不特定の読み手に対してある種の告白をすることにより、上記のような、自らの精神的な重荷を軽くする癒し効果があるのではと思う。なので、あまり個人的なことをネットにさらすのはどうかという考えもあるものの、どこかに何かを吐き出すことは時には必要かも知れないし、その吐き出す場所がたまたまTwitterであったという場合もあるかもしれないので、そのような書き込みが流れてきても、そういう意味なのかなと想像しながら、タイムラインを淡々と読み流していきたいものだと思ったりする。自分もTwitterで「腰痛いー仕事休みたいー」と叫んでしまうこともあるのだから・・・

 


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