“パーソン”と“セラパーソン”――フォクシーって規格外では?

 これは、Seraphic Blue Advent Callerndarの4日目の記事である。

 突貫で思い付きなネタの為、いつも以上に散文となるであろうことを予め了承頂きたい。

 歓楽都市エンヴィに入った暫く後にパーティ・メンバーとなる彼女であるが、セラパーソンと言う種族(種族と呼称する程人間との差があるかと言われると微妙だが)であることもあり、そこそこの即戦力となる。しかし戦いを生業としていた職業でもなく、またそういった経緯も作中では触れられていない。

 そんな彼女が戦闘要員たりえることが、果たして成り立つのであろうか? 今回はこれを考察していきたい(あくまで適当な範囲で)。

1.“パーソン”と“セラパーソン”

 パーソンとは所謂人間に相当する。このパーソンが死亡した際、肉体と精神は分離する。精神はソウルストリームを通りソウルホームへと帰る。そして精神に宿る全ての情報を消去し初期化して(ソウルイニシャライズ)、また別の肉体へと宿る。しかしなんらかの理由によりソウルホームへ帰るよりも前に別の肉体に憑依することがある。このソウルイニシャライズを経ずに精神が肉体に寄りついた人間をセラパーソンと呼ぶ。この為、所謂「前世の記憶」が残ったままとなる。

 さて、この場合あくまで残るのは「記憶」のみであり、他の肉体的特長に対しては何もブーストが掛かる事はない。そう結論付けて構わないだろう。

2.輪廻転生による身体的特長は現れるのか

 先のソウルイニシャライズを経てまた精神が別の肉体へ、というのは輪廻転生を想像して貰えば解りやすいと言えよう(但しあくまで「人間から人間へ」なので、宗教的意味や哲学的意味で言うならば、転生と形容した方が正しいが)。この転生でヒトに記憶以外の身体的特徴があわられるケースはあるのだろうか。

 ざっと調べたところ、弾痕のあるトルコの少年など、それらしいケースはあるようだ。真偽は兎も角。

 また「記憶のみ」であったとしても、より効率の良い身体の動かし方等、神経レベルでの最適化は図られていたのかも知れない。

3.結論

 記憶だけが引き継がれた状態で戦闘要員たり得るのかという問題だが、結論からすればこれはあり得ない話ではないのかも知れない。

 余談だが固有アビリティの「フォビドゥンフレグランス」は便利にも程があると思う。