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情報の受け手に甘えない

情報が溢れる時代

日々大量に届くLINEに代表されるように、情報の洪水が起こっている現代ですが、

人1人が処理できる情報には当然限界があり、情報の受け手が、大量の情報の中から必要なものを取捨選択する。

そんな力が求められている時代だなぁと感じていました。


仕事の文脈では違う?

それ自体は間違っていないと思うのですが、仕事の文脈では、発信側の方が大切では…??🤔と感じる機会が増えてきました。

もちろん仕事の文脈でも、社内外でドキュメントを探すこともあれば、人づてで情報を得るなど、自ら動いていくことの重要性は言わずもがなですが、

どちらかというと、規律の上での発信こそ重要だなと。


情報の欠如による弊害

議事録がない、お客さんの情報が蓄積していない、仕様がない、なぜやるかわからない、何に向かっているかわからない…

クローズドな打ち合わせで物事が決まり、議事録や仕様が残されておらず、周りも知らなければ、当人たちも忘れるなんて現場もあれば、

苦しい瞬間こそ一気団結が必要な中、苦しい状況を数ヶ月共有できず、疲弊していく会社など、

ここ最近そんな環境を目にし、あらゆる情報が口頭で伝達・確認され、疑心暗鬼になる姿を見て、改めて発信の重要性を体感してきました。
(そもそも発信がなければ、受け手が頑張っても認知できないことも多い)


すぐやる

「では、きちんと発信していこう」は当然の解なのですが、それが難しいからそうなっているわけで。

「お客さんの情報を打ち込むのが面倒くさい、、」「悪い情報を伝えることが億劫、、」

そんな気持ちが芽生えることは、想像に難くないものです。

自分は、①コトの発生 → ②ドキュメント化 → ③共有の一連の流れの中で、①と②の時間差が発生すると、面倒になってしまうので、議事録などは可能な限りその場作成し、会議後すぐ共有しています。

また、普段から情報に濃淡をつけず、一貫して共有し続けることで、心理的な億劫さを減らそうとしています。


易きに流れない

面倒くさい、、嫌だ、、という気持ちに従い、易きに流れた瞬間に未来は閉じていくもの。

いまいる人のためにも、将来の誰かのためにも、惰性の重力を振り払って、規律に沿って、きちんと情報を発信する。蓄積する。

受け手任せではなく、発信の担い手も一緒に情報の生態系を作るべきという話でした。

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