見出し画像

ローティ:『プラグマティズムの帰結』

現代における哲学の頂点であるローティの紹介です。


はじめに

哲学者紹介の記事では、取り上げる人物をしばしばアニメのキャラクターでたとえてきました。ローティの政治的側面の場合、それはアムロ・レイですが、哲学的側面の場合――ファントムブラッドのディオです。

時代背景・どんな人物

哲学との出合い〜修士号

 両親ともアメリカ人で、いわゆるニューヨーク知識人(反スターリン主義左翼グループ)でした。ニューヨークで食料雑貨店をしていた、そんな家庭の一人息子として生まれます。
 左翼グループということで、当時のアメリカ共産党とおおよそ協力関係にあったのですが、それがモスクワの操り人形と分かると、スパッと手を切って(ニューヨークの家は残しつつ)ニュージャージー州の田舎に引っ越します。ローティの小学生時代が該当するのですが、ローティは(デューイなどの知識人が出入りしたり、暗殺されたトロツキーの秘書を匿ったりした)その暮らしを楽しんだようです。
 細かいエピソードは省きますが、ローティはいい意味で早熟……つまりは頭の良いこどもでした。初めて哲学にふれたのは13歳のときで、プラトンニーチェだったそうです。私は、この組み合わせはとても良い哲学の入り口だと思います。
 14歳(高校2年生を終えたばかり)のとき、シカゴ大学の飛び級の生徒ばかりを集めた特別クラス「ハチンズ・カレッジ」に入学。
 最初の3年間で学士号。次の3年間で修士号をとります。その時の指導教官はホワイトヘッドの研究者で、ホワイトヘッドの神学的思弁を推し進めようとする人でしたが、ローティはさすがですね。途中で疑問を持ち、修士号をとるころには「親譲りの気負いのない無神論」に戻っていた、と後に語っています。当時の主な関心は精神史(思想の移り変わりの歴史)と、内容はあんまり賛成しないけど論理実証主義の知識でした。

博士号〜大学教授、および突然の死

 博士課程をどこでとるのかは悩みます。シカゴ大学でももちろん道は用意されていたんですが、「酷寒は6回で十分」と、他の大学を探します。そして、そこでどんな哲学が教えられているかなどを考えずに「どっちも名門だしね」という感じでハーバード大学とイェール大学に願書を出します。結果、奨学金を出してくれなかったハーバードではなくイェールで学びます。博士号をとった後は、いわゆるポスドクってやつですね。そのままイェール大学の講師になります。
 次の年、2年間の兵役につきますが、ベトナム戦争の前だったので、平時の兵役です。除隊後は、イェール大学の指導教官が就職先を考えてくれていて、ボストン郊外のウェルズリー・カレッジ(アメリカ名門の女子大学)の先生として、講師をへて助教授になります。
 余談ですが……この名門女子大学の理念はニューイングランドの伝統である「暮らしは質素に、思いは高く」でした。私の娘(小学生)は、色々考えた末、私学の女子校に通っているのですが、入学前の学校説明会では「暮らしは質素に、志は高く」と言われました。その時は、「そっちが高い学費とるから、暮らしが質素にならざるをえないだよ」と憤っていたことを思い出しましたが、立派な理念だったんですねー。
 さて、話を戻すと、ローティとしては、准教授・教授になりたいところです(講師、助教授は終身雇用ではなかったからです)。それになるには、厳しい試験があるのですが、当然クリアして、プリンストン大学の先生になります。この時期、分析哲学の研究に力を注ぎました。他方で、人文学の広域な知識から、様々に分かれている学問分野の地平融合を試みた論文も書いています。(これらはローティ死後に刊行された『心・言語・メタ哲学』にまとめられています)
 その後、スタンフォード大学に移り、比較文学の教授。たくさん本を出します。バリバリ現役と周りも思っていたところ、残念なことに膵臓癌であっという間に亡くなったそうです。
 世帯は持ってました。院生時代に結婚した人とは離婚(子ども一人)しましたが、再婚して子どもを二人授かっています。

なにをした

上述のメタ哲学は言語論的転回とほぼイコールです。

論集『言語論的転回』の編集と刊行

 当時の哲学界隈の最大のトピックスであった、言語論的哲学の論文をピックアップして『言語論的転回』という論集を刊行しました。ローティは(長い)序文を書いています。
 えー、残念なお知らせですが言語論的転回の中身は解説しません。ぶっちゃけ、私がいちばん苦手な分野だからです。したがって、一言だけ……いわゆるウィーン学団(というアメリカ哲学の王道)がこの潮流の中心にいましたね。
 さて、ローティですが、こういう論集を出したもんですから、日本では一時期、ローティは分析哲学の人と思われていました。実際は、かなり距離をとっています。そもそも「序文」で、いろんな角度からの言語論的哲学(メタ哲学)があるけど、①どの議論も、なんらかの前提(思い込み)をもとにしているよね ②それらのどれが有用かをはかる基準が今のところ無いから、評価できないよね と書いています。
 もっというと、ローティは言語論的転回など哲学にとって(世間が言っているような)一大トピックスじゃなくて、カントのときの認識論的転回のぶり返しだろ、って思っています。つまり、カント以降の「哲学を学の確かな道(方法)に置こうとする、繰り返される間違いの一つ」と捉えています。でまぁ、現在から見ると、それが正解です。歴史の一コマとして、そういうターン(転回)があったんだな程度でいいと思います。
 ただ、いますねウィトゲンシュタインが好きな人! 好都合です。私は詳しく分かりませんが、ウィトゲンシュタインの立場から、サクッと評価しておきましょう。言語論的転回は、前期ウィトゲンシュタインの試みに該当します。そして、そいつを否定したのが後期ウィトゲンシュタインの哲学(言語ゲームとかのやつ)です。言語論的転回自体は、後期ウィトゲンシュタインの後の現象ですが……流行とはそんなもんです。

主著『哲学と自然の鏡』

 ローティは、分析哲学の批判的検討を進めていき「近代哲学の発展についての歴史物語」をまとめます。それが、『哲学と自然の鏡』ですね。
 「自然の鏡」という言葉は、人間の意思とは関わりなく定まった真理を鏡のように、あるがままに映すように努め、それに従うという伝統的な哲学の営みを指しています。デカルトとかカントの伝統のことです。ローティは、それらは「確実さ」とか「絶対性」とか言うけど、歴史の流れ(過去のもの)であって、現代の哲学は、ハイデガーやガダマーやサルトルみたいに、人間観を新しく考えていくものでしょ、と主張します。
 『哲学と自然の鏡』でのローティの主張を意訳すると「おれは哲学をやめるぞ! おまえの血でだァ──ッ!」となります。吸血鬼となったディオからすれば、「波紋法の修行努力など無駄無駄無駄ーーーっ!!」(過去の哲学に真理が書いてあると思って努力する時間も労力も無駄)ですし、そんな哲学研究者に対しては「猿が人間に追いつけるかーッ おまえはこのディオにとってのモンキーなんだよッ!」と言うことになります。
 こういう内容だった(おおよそ合ってます)ので、伝統的な哲学の人たちからも、アメリカでマジョリティであった分析哲学の人たちからも、敵対されることになります。

文化政治:歴史研究とメタ哲学的反省

 ローティがやめたのは、あくまで「自然の鏡」を見ることです。そういう歴史とか時代を超越したものではなくて、歴史物語を見ようよということなんです。そういう視点は、とても大事(というか必須のもの)だと思います。メリットはたくさんありますが、なによりもまず、労力が削減されます。哲学の本の中で、古くは神様関係の証明ごととか、確実性とか、真理であることの吟味とか、学としての厳密さとか、そういうのはすべて無駄な部分ですから。適当に聞き流し(読み流し?)てOKってなります。これを哲学的ミニマリズムと表現したりします。
 あとは、歴史性ですね。ローティが挙げる具体例としては、「私」とか「心」はデカルトの発明品であり、歴史的な起源を持つもの(限定されたもの)である。で、その延長線上(前提は変えないで発展させたもの)がカントとかの哲学。たしかに、人間に関して、そういう記述の仕方はあり得るけど、(デカルトやカントがクソ長い文量で証明する)確実性とか絶対性って無い、あるいは何の根拠にもならない。そういうのとは別の――延長線上じゃなくて質的に違う人間に関しての記述も哲学的に同じ重要度であって、そっちを採用することもできる。ただし、質的に違うので、同じ言葉を使っていても共約は不可能だね、と言います。
 お気づきでしょうか。ここでクーンのパラダイムについて言及されます。歴史の視点で哲学を見ること。その哲学の言語ゲームの外で判断すること(メタ哲学的反省)。哲学を体系的なものとして見るのではなくて、自己形成の試みとして見ること。これが、鏡なしの哲学のあり方です。

相対主義じゃない

 そんなことしたらどっちの「見方」を採用しても構わないという相対主義になっちゃうのでは、と当時も言われました。ここで、評価基準として(過去のアメリカ哲学の王道であった)プラグマティズムが再登場します。どっちでも構わないとはならない。どっちが有用かで決めることができるのです。

読むならこれ!『プラグマティズムの帰結』

 『哲学と自然の鏡』は、哲学批判であり、歴史主義宣言です。私としては、判断基準まで踏み込んだ3年後の、この本を薦めます。日本語訳によっては『哲学の脱構築――プラグマティズムの帰結』と同じ本です。このタイトルも時代を感じますね。脱構築ってローティがボコボコにした相手の言葉ですから。

目的は、予定された目標――あらかじめなんらかの仕方で設けられた目標――を目指すものとして人類の進歩を見るような見方を、消去することにある。私はそれを、種の自己創造としての――際限のない自己再定義の過程としての――人類の進歩という見方に、取り換えたい

『連帯と自由の哲学』――序文

 ローティの目的ははっきりしてます。でも、なんで予定された目標(真理に基づく伝統的哲学)がダメなんでしょうか。伝統的哲学は「人間は放っておくと何をするかわからないので手枷足枷が必要だ」(ようするに規律とか規範がいる)という考えです。ローティは、自分(人類)を信じ、際限なく自己を変革(随時より良くしていく改良主義)を「希望」と考えます。
 かつて、ローティは哲学を終わらせたと言われました。それは違います。むしろ「終わり」に関わっているのは真理=理想=ゴールから考える伝統的哲学の方です。

ローティの考える哲学の意義:文化政治

 文化政治とは、知的世界に変化を生み出そうとする試みだとされ、それが即ち(鏡でない)哲学の意義です。人は、自分が育った文化の概観を望むものだ。なぜならそれを望むことが、もっと良い文化の輪郭を描くことに役立つから。それができるのは哲学だけ、ということです。

現代的評価:★★★★

 現在、哲学にある程度の深さで触れるならローティは必須です。理解のための素養も、完全にではなくてもいいので必要になりますが、それを含めて、絶対に元が取れると約束します。★5でないのは、いい意味で常識的なので、世界がぶっ壊れることはないからです。

さいごに

 実は、かなりの内容を割愛しました。「解釈学的循環とエスノセントリズム」とか、プラグマティズムの観点で選択される「語彙(ボキャブラリー)」の話とか……でもそもそも、私の記事は文字数が多すぎますからね。このぐらいにしておきましょう。と思ったけど、無理です!
 さすがに現代思想(主にデリダ批判)の部分は紹介する必要があります。別記事にしましょう。まさかフライング記事+関連記事もあるのに、さらに「まとめ」を書くことになるとは思いませんでしたがしょうがいない。
 「お前、ローティ推しすぎだろ」と思われるかもしれません。たしかにそうです。したがって、まとめでは、現代思想との関係だけではなくて、私のローティ批判も示してみます。

もしサポート頂けましたら、notoのクリエイターの方に還元します