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亡くなった人と共に生きるということ

1月のはじめに、大好きな友人が、

1月の終わりに、大好きなおばあちゃんが亡くなった。


2人とも、癌を患っていたので、

ある程度の心の準備もできて、

とてもありがたかったけど、

あたたかくて、

手に触れられていた彼女たちの体、声、吐息、

すがたカタチが全部、消えて無くなってしまうのは

本当に不思議で、

そして、やっぱり

とても悲しかった。


お葬式が終わって、

ほんと、しばらくは

なんだかぼーーーっとしてしまい、

何事にも、やる気を出すのが難しかった。




ただ、ヒカリの世界に帰っただけ。




頭でもハートでもわかってはいるのだけど、

命を更新してゆく生きた彼女たちに

もう会えないと思うことは、

心底寂しかった。



しばらくして、

あまりにもなんだかやる気が出ないので、

友人でもあり魂のお姉さんでもある

沖縄のユタさん、ふみえさんにセッションしてもらった。


人生の節目節目で、彼女のセッションにお世話になることにしている。

いつも、あたたかく優しく包み込んで、

時には鋭い指摘も交えつつ、

『あなたのままが、いちばん素晴らしい』


ということを

思い出させてくれる人だ。

見えない存在と交信できる、本物のユタさんである。



今回のセッションで、

舞人であった亡くなった友人は改めて

もう一度自らの『舞』について、向き合っていること。

本当の自らの舞というものを、もう一度見つめ直している、

そして、今いる場所の

えも言われぬような美しい光の饗宴に、心底うっとりして、味わっていること。

教えてもらった。


そして、おばあちゃんと友人が、

時々私にハグしたり、背中をさすったり、

手助けしにきてくれていることも

教えてもらった。


私の心がどれだけほころび、やわらかく光に満たされたかわからない。


あーー

友人は亡くなった後の世界でさえ、

今を生き味わっているんだ。。


そう思うと、

彼女ならこうするかな、とか

こうしてほしいかな、

彼女なら彼女なら。。

そうやって、亡くなった彼女の想いに固執しすぎて

今を置き去りにしてしまっている私が

なんだか不自然に思えた。


そっか、

じゃあもう私は私で

自分に集中して生きていいんだな。


と、心から感じた。



そして、

なんといっても、

今まで以上に

近くにいてくれて、

呼べばすぐにかけつけてくれる、

いつも味方でいてくれる、

そんな夢のような存在になった

彼女たちに、

ありがとうが溢れれて仕方なかった。


庭の隅っこにある、去年植えた梅の苗木に

花が咲いた。

2人の人生の中ではもう、

新しい花を見ることはないけれど、

私の目を通して

感覚を通して、

世界の美しさを

一緒に味わっていきたいな、

と思う。



そして、

私は私の人生を生きる。




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