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大切な人が亡くなるという経験

今月の初め。

大好きな大好きな大好きなお友達が

亡くなった。


2年ほど前から癌と向き合い、

それでも

本当にまっすぐに病を受け入れ

向き合い、

最期まで彼女らしく、

生きようとした。


大好きすぎてね、

いろんなことが

整理できなくて

宙ぶらりんになりながら

思い出だけが輝いている感じ。

わたしのことを

ナウシカに似てるねって

言ってくれたのも彼女だ。


今、こんなことになって、

全然うまく言葉にできないのだけど、

少しずつ

感じていること、

感じてきたこと、

書いてみようと思う。


亡くなったことがわかってから数日して、

お葬式に行った。

亡骸にも対面して、霊柩車も見送ったけれど、

なんだか

もうこの世にいないということが

不思議すぎて

いまいち

しっくりとこない。

 


こんなに近くに感じるのになーー。



亡くなると、

生きている頃より近くに故人を感じる、

なんてよく言うけれど、

確かに

亡くなってからはほんとすぐそばで、

話しかけたらすぐ声が返ってきて

いつも、いつも

触れられる距離にいるような

見守られているような

そんな気がする。

生きていた頃よりも。不思議と。


そしてそれは実際に

近くにいたり、

見守られていることなんじゃないか、とも思う。


なんというかね、

こう、

小さな小さな

光という光の中に、

全ての光に

彼女を感じるのだ。


だからね、

なんというか、

生身の彼女にもう会えないと思うと

とても寂しいのだけど、

寂しい反面、寂しくないというか、

とても近くにいるから、

悲しくて辛くて苦しくて、

ということが、

リアルに感じられない。

なんだろー

わたし、冷たいのかな。

とか、一瞬思ったりするのだけど、

近くにいることがリアルすぎて、

いないということが、

全然しっくりこないのだ。


それでもね、

彼女の大好きだった歌や、

舞い人だった彼女の舞の動画、

くれた言葉たちを

思い出したり見たり聞いたりするたびに


彼女の

優しさ、強さ、弱さ、

チャーミングさ、

純粋さ、

神性さ、

美しい生き様のひとつひとつ、

癖や作品、

そのすべてに、

彼女の魂の美しさが

宝石のように散りばめられていて、

それに触れるたびに、

うまく説明できないけど

魂の震えみたいなものを感じて、

涙が出たりする。


『亡くなったら、光に帰るだけ。

それは本当に喜ばしいこと。

悲しいことではないから、悲しまないでほしい。

本当はおめでとうなんだよ。』



最期のほうに、そのようなことを、

彼女は言った。


彼女に会いたい、触れたい、感じたい。


わたしの体や心はそう言うけれど、


魂はわかってる。


いつでも会える。


いつでも感じられる。


魂の出会いの記憶は

けして、消えない。



だから、

これからは

いや

これからも、


わたしは彼女と生きていく。


最大限の感謝の気持ちを

目を瞑って

光の世界へ送るんだ。


いつでもどこでも何度でも

光のお手紙は

きっと届くから。


お手紙を抱きしめながら

わたしは進むのだぁー(^o^)




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