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きみは黄金

9月29日にリリースされたジョングクのソロ曲『3D feat.Jack Harlow』の歌詞は、私を含むさまざまな方の尊厳を深く傷つけた。これは、解釈や議論の余地のない純然たる事実である。あなたが気にしていなくても、あなたが差別だと思わなくても、事実としてそうである。
 実際に差別的であるかどうかの議論はとても重要だし、時間を使ってなぜこれが差別なのか説明することもできるが、そもそも議論が起こるような表現を使うということ自体、本来なら避けるべきである。
「すべてを気にしていたらなにも表現できない」というのは嘘だ。嘘であることはこれまでのBTSが証明してくれている。Boy with Luvが、MIC DROPが、Not TodayがDNAがBlack SwanがSpring DayがButterがべプセがRunBTSが、これまでにリリースされた多種多様な彼らの楽曲が、少数派を踏みつけずに異なる世界観やメッセージを表現できると体現している。
 なぜなら表現は限りなく多様で、そして彼らに割り当てられる予算は莫大なのでどのような手段もえらべて、危うい言葉があったならそれを踏み抜かないよう注意する専門家も雇うことができるからだ。
 でも、それを怠った。
 人権について研究している人、助言できる人をチームに加える金を惜しみ、軽んじ、莫大な予算はすべて名前が売れているプロデューサーやコラボ先に注がれた。
 
 この出来事は、以前から指摘されていたあらゆる問題とつながっている。
 複数の性暴力により一部有罪判決が出ているチョン・バビが関わった過去の楽曲をあえて最新アルバムに収録し何も触れなかったこと、多くの労働者が犠牲になりアーティストたちが出演をキャンセルしたカタールW杯のステージにあきらかに事態をよく把握していなかったジョングクが立ったこと。極めつけにHYBE AMERICAのCEOとして手を組んだスクーター・ブラウンが、現在までに起こしたアーティストとの数多くのトラブル。そして、先日から新たに問題視されているパレスチナ問題に対する発言と誤情報の拡散。

 HYBEはいま、目先の金にとらわれて人権問題に対する適切な判断や、アーティストのリスク管理をまったくできていない状況にある。
 この、人権に対する意識の低さは、これから先必ずさらに大きな問題へと発展する。なぜなら人権意識がないチームや会社は、当然にアーティストに対する人権意識も低いからだ。差別とかごちゃごちゃうるさいなあ、という人も『推しに幸せでいてほしい』という点について意見が同じなら、これは無視できない問題のはずだ。人権について知ること、意識することは、彼らのキャリアと安全を守ることだから。


あのラップはなにを表現したかったのか

 どのあたりが差別的であったかという、ほかの人がさんざん書いてくれていることをなぞる前に、そもそも「3D」のJack Harlowパートにおいて表現したいこととは一体なんだったのか。あのラップでなければ表現できなかった唯一無二のものとはなんなのかを考えてみる。
 ない。
 べつに、ない。
 万が一「アジアの女の子たちは最高にイケてるぜ」と言いたかったとしても、白人男性というアイデンティティを持つJack Harlowがそんなことを歌う理由はない。アジアの最高にイケてる女性ラッパーに仕事を依頼すればいいからだ。マイノリティに対するエンパワメントは、とても繊細で複雑なものである。被差別当事者でなければ逆に侮辱にあたることもある。白人男性が、黒人女性に対し「黒人の女って最高だよな!俺のためにかわいくなれよ」と歌うのは、直感的にまずいんじゃないかとわかる人も多いだろう。
 では何故、それがアジア人になるとわからない人が多いのか?白人男性によるアジア人女性のフェチ化、性的なからかいや暴力に傷つく人々がいる現実があまり知られていないからかもしれない。または、自分の身の周りにそれが起きていないということは=存在しないと考えている人が多いからかもしれない。あるいは、当事者自身が差別を差別と思わずに、自分に性的な魅力があるからだとポジティブに処理することで自らを守るケースもある。(これは、被差別当事者が自分の尊厳を守るためにままある防衛反応だ)
 いずれにせよ、アジア人女性に対する差別の問題は、当事者がそれを問題と認識するのに時間がかかることも含めて透明化されやすく、非常に根深い問題だ。

 情熱的な愛情を表現したかったなら、没個性の格好をさせた女性を何人もずらりと並べて、one girl, two girl〜なんて数える必要もない。ポリアモリーもひとつの価値観なので自由に歌えばよいが、それがみんな同じ服装の女性であること、モノのように数を数えることの必然性はない。なぜなら人間にはみな名前があり、人格があり、人生があるからだ。
 自分のセクシーさを表現するなら、それこそジョングク自身の声とダンスで充分である。
 一部のファンが『解釈』しているように最低なミソジニーをこじらせるJack Harlowとの対比・皮肉ならば(そもそもジョングクの引き立て役になるために虚構のリリックを書くという屈辱的な仕事を、既にメインストリームで売れているJackが受けるメリットはどこにあるんだ?と私は思っているが)、ジョングクのヴァースはもっともっと批判的にするだろう。少なくとも笑いあったりじゃれあったりはしないはずだ。
 つまりあの歌詞、あのMVでなければならなかった理由なんて、どこにも存在しない。
 商業作品とは、緻密に計算され、さまざまな過程を経て完成するものである。Jack Harlowがどのようなプロセスでラップを作ったは知らないが、すくなくともあのMVは大人が何人も会議して、絵コンテを切り、リハーサルして、撮影し、編集し、問題がないか誰かがチェックをして、ようやく封切られたものだ。
 それなのに、誰ひとりこの問題が起きることを予測できなかった。あるいは予測していてもこれぐらいなら平気だろうと軽視し、とりあわなかった。
 これがジョングク個人の独立したプロジェクトであることを加味しても、チームの鈍感さはBTS(防弾少年団)の未来を憂慮するのに充分な不安要素だ。


抗議は理想の押しつけか

 差別に対し抗議するのは、消費者のお気持ちや理想の押しつけではない。
 差別を許せば、マイノリティはたやすく殺される。
 これまでも、コロナ禍や戦争、さまざまな理由で特定の人種が暴力に晒され、殺され、レイプされた。ホロコーストが起き、無数のユダヤ人やそうと疑われた人が虐殺された。黒人が奴隷にされた。日本人は朝鮮人を殺した。
 日本に暮らす多くの人がいま関係なくいられるのは、日本という国で人種的マジョリティだからにすぎない。それでも、女性というだけで性暴力を受けたり、受験の合格点を操作されていたり、沖縄の人たちは自分の言葉で話すのを禁じられた歴史があったりと、差別は当然に存在する。東日本大震災のときも、中国や韓国の人たちが空き家に盗みに入ったり女性を強姦しているという噂がネットの一部でまことしやかに囁かれていた。これは関東大震災で起きた朝鮮人虐殺ととても近い距離にある風説だ。

 私たちは、不安をあおられれば簡単に特定の属性(立場の弱い人たち)を憎悪し、加害する生き物である。
 そしてその、属性に対する「価値観」は、日常の中で築かれてゆく。
 SNSから、テレビから、家族や友人の言葉から、本から、漫画から、街で見かける広告や商品、そして音楽から、私たちは情報を受け取り、自分の中に無意識のうちに形成していく。
 アイドルやアーティストから数多のインスピレーションや救いや幸せをもらっておきながら、その影響が小さいものと鼻で笑う人はいないだろう。
 私は『現実とフィクションは別物』というオタクを信じない。そんなオタクは、創作から救いや希望や幸せをもらったことがないと言っているのと同じだ。創作物はいつだって現実の人間が生み出していて、現実に影響を与えるものである。

 だから、差別は許されない。
 表現の自由に、差別をしていい権利は含まれない。
 どんなわずかな差別の芽もできる限りつみとる必要がある。どんな些細な表現にも敏感になる必要がある。それは、メッセージを発する側が負う責任であり挑み続けるべき課題でもある。差別は絶対にしてはいけないもの、人類は歴史からそう学んできたからだ。

※こういうことを書くと、『ワンピースを読んだからと言って海賊になる人間はいない』というようなことを言い出す人が必ずあらわれる。
 なるほどたしかにワンピースを読んで海賊になるものはいないかもしれない。しかし、ワンピースに存在する『カマバッカ王国』の描写を見て、ジェンダーに揺らぎを感じている子どもは傷つくかもしれない。『"オカマ"は全員陽気で奇抜な格好をしていて、男女両方の心を理解するが故に芯を食ったことを言い、相手の意思と関係なく好みの男を狙っているものだ』という偏見を強化される人はいるかもしれない。
 殺人や暴力や略奪は、それが一般倫理に照らし合わせて絶対悪とされているから魅力的に描写されることがままあるが、残念ながら差別はそう簡単にはいかない。差別を指摘された人の多くが「解釈の問題だ」「差別だと思う人が差別的だ」「私は差別したつもりはない」と答え、差別の存在と被差別当事者がとても巧妙に透明化されるからだ。
 このような状況で偏見を強化するようなことを表現すれば、それは差別する側にとって非常に都合がいいのである。「ほらね、みんなこう言ってる。気にしてるのはあなただけでしょ」と。


ファンだから抗議する

 なので、たとえARMY(BTSのファン)じゃなくても、HYBEの顧客じゃなくても、差別的な歌詞の内容には抗議する権利がある。性差別・人種差別は絶対にこの社会に存在してはならないもの(しかし絶対的に存在するもの)だからだ。
 しかし、残念ながらほとんどのリスナーは不快に思っても抗議しない。ああ、いつものミソジニーね。まあアイドルの歌なんてそんなもんだよね、どれだけ綺麗事言っててもね、と流すだけだ。残念ながらこの世のあらゆる場所に差別はありふれているし、みな自分の生活に忙しいから、嫌な人は無言で距離をとるのみだ。
 ファン以外は。
 ファンだけは、ちがう。そのアーティストがそれまでにどんなメッセージを発してきたか、どのようなビジョンを持っていたか知っている。彼らがどのような道を歩んできたか……女性蔑視を抗議されて謝罪を発表し学び続けてきた過去や、StopAsianHateに連帯しホワイトハウスでスピーチをしたことや、折に触れ率先して声をあげて弱者に連帯を示してきたことを知っている。
 だから、その行為は間違っていると指摘することに情熱を注げる。

 しかしファンダムの現実はこうだ。尊厳を傷つけられた人たちが苦しい気持ちを吐露すれば「お前のための歌じゃないからここから出て行け」と大勢から足蹴にされる。
 ジョングクにそんな意図はなかったとしても尊厳が傷ついた人々がいるのは事実なのに、「それは差別じゃないよ」とか「そんなふうに解釈するのが悪い」とか「嫌なら聞かなければいい」とか「ジョングクに優等生を押しつけるな」と言われる。白人男性というアイデンティティを持つ人物が差別ととらえられて当然の表現を使ったのに、MVで無個性の格好をした女性を並べて丁寧にミソジニーを具現化までしたのに、チェスという抽象的なことで「解釈」の問題にされる。
 しかもそれは、アジア人女性が多く存在する献身的なファンダムに10年間も支えられてきたアイドルの楽曲なのである。
 ARMYを名乗るな、嫌なら聴くな、と何度言われただろう。「私は気にしてない」「誰も気にしてない」「ジョングクが傷つくからやめろ」と。
 私は?
 傷つけられた私や、ほかの人たちは?
 ジョングクやJack Harlowより無価値だから、少数派だから、発言権がないから、『痛い』と声をあげることすらできないのか?
 いつのまに、ARMYは名乗ることすら誰かから許可を得なければならないものになったのか。ARMYは多様で、誰ひとりとして同じ人間は存在せず、ひとりひとりに価値があり、銀河がある。だから「あなたの話を聞かせてほしい」と話したのがBTSではなかったか。
 
 私は、抗議の方法はさまざまなので、たとえば署名にだけ参加して発言はしないとか、署名はしないけど声をあげるというスタンスについては各々自由だと思っている。というか、誰かが制限したり口を出す権利はそれこそ存在しない。
 しかし、差別を否定せずに状況を静観する、自分には関係のないことと遠巻きにして抗議の声を見て見ぬふりをすることは、差別に加担しているのと同じだとあえて言いきる。
 差別において、中立は存在しない。
 何故なら差別を受けているのが力の弱い人たちである以上、自称「中立」の人間が黙っていれば権力者に打ち勝つことは絶対にできないからだ。世界とはそういうふうにできている。
 沖縄の人たちがそこに生まれたというだけで米軍基地問題と向き合わざるを得ないのは、日本全国の有権者の多くが「中立」を装って無関心に傍観しているからだ。
 妊娠・出産できる層が人口の8%という超少子化のこの国で、未だに人工中絶手術や出産に関わる費用が保険適用でないのは、緊急避妊薬の入手ハードルが異常に高いのは、その状況に対し声をあげず傍観している層が人口のほとんどを占めているからだ。
 
 差別を受けるのが社会的発言権が弱い人たちである以上、当事者自身の訴えだけではけっして権力者には勝てない。
 これは、事実である。
 世の中の構造である。
 だから、差別を否定せずただ傍観することは、差別に加担しているのと同義なのだ。

 ジョングクもJack Harlowも尊重されるべき個人であるが、力なき子どもではない。何千万人と存在するファンダムに影響を与え、その背景にはHYBEというコングロマリットと何百億という経済的影響力がある。もちろんだからといって彼らの尊厳を傷つける行為は決して許されないが、エンターテイメント業界のメインストリームを作り上げる特権側の存在なのである。
 だから、抗議のために連帯する。
 HYBEやBIGHIT MUSICといった巨大企業に、商業的成功をおさめている白人男性であるJack Harlowに、そしてジョングクに、私たちのような小さきものの声を届けるにはそれしか方法がないのだ。
 考えを同じくする人たちと一緒に声をあげる。この問題について自分の考えを共有する。署名をする。あるいは情報を拡散する。知識を分け合う。
 方法はさまざまだが、すこしでも多くの「中立」という名の無関心の人々が、差別を否定しなければならない。そして、二度と同じことが起こらないよう求めなければならない。
 多くの人は謝罪という言葉に敏感に反応するが、謝罪はとても便利な言葉だ。ごめんね、次から気をつけるね、と言うだけでさまざまな物事と状況が整理される。(この時、差別する意図はなかった、という言葉は必要ない。意図的だったかどうかは問題ではないと理解している必要がある。)誰も泣きながら頭をこすりつけてカメラのフラッシュを浴びて欲しいなんて思わない。もう二度と表現しないと誓ってほしいわけでもない。ただひと言、なにが問題だったか理解したと示してほしいだけだ。そして、問題を理解したなら謝罪はごく自然に出てくるはずのものだ。
 たとえ会社からリリースされるたった数行の文章であったとしても、それに救われる人びとがいる。


ジョングクが好きだ

 私はジョングクが好きだ。大好きで、大切で、あまり依存するのはよくないがどこかで心のよすがにしていて、もらったものがあまりにも大きいのに金銭でしか返せないのを申し訳なく思っていたほどだ。
 彼に降り注ぐこの世のあらゆる誹謗中傷は代わりに受け止めたいし、彼のプライバシーや安全を脅かすものはみんな排除されてほしいし、彼に対するどんな押しつけ(タトゥーするなとかピアス増やすなとか恋愛するなとかこういう髪型にしろとか英語で話せとか)も許せない。
 ジョングクは絶対に幸せじゃないと。
 幸せでいてほしい。

 その人が、絶対に存在してはいけないメッセージ(差別)を自らの楽曲において発信してしまった時のこの気持ちは、うまく言葉にできない。
 ジョングクが悪い人だと言っているわけではない。そもそも問題のラップを作詞したのはJack Harlowであってジョングクのヴァースではない。しかしこれがジョングク名義の楽曲である以上、こめられたメッセージは彼が発信したいものだと捉えるのが自然であり一般的だろう。
 そして、「差別をしよう」と思って差別をする人はほとんどいない。最近ではあの、多くのマイノリティをエンパワメントしてきたディーバであるビヨンセが、歌詞のうちの一単語の語源が身体障害者をさす言葉であると指摘されて、すぐに謝って差し替えた。
 どんなに熱心に学んでいても、弱者に寄り添っていても、マイノリティ当事者であっても、そういうことは起こりえる。私自身も、何度も何度も間違えて人を踏んづけてきた。
 私は(そしてこの問題に声をあげている多くの人は)、ジョングクがどれほどまっすぐで、努力家で、愛情深くて、ファンに対し献身的な青年か……すくなくとも公開されているメディアにおいてはそうであったかを知っている。
 なにより、彼自身もまたアメリカ市場で闘う人種的マイノリティであることは決して見逃せない事実だ。だからこそ、そこで活躍するBTSの姿はエンパワメントしてきた。これまでストリームの中心にあった白人男性的なポップカルチャーに迎合しなくても、女性蔑視的な表現をあえて選ばなくても、そこで闘えるという事実は多くの人びとを勇気づけてきた。
 完璧な人間は存在しない。しかし、理想を見うしなわずに学び続けるからこそ人生には価値があり人間は美しいと、私は彼らに教えてもらった。

 それが彼ら自身の意思と会社のブランディングの一致によるものであったなら、どうか気づいてほしい。
 グループのため、ファンのため、自己実現のため、メインボーカルである自分が商業的な大成功を納めることが2025年に何よりも重要だと信じて必死に努力しているジョングクは素敵だ。けれど、DynamiteやButterが成功したのは白人男性文化に迎合したポップソングだからじゃない。希望の歌だったからだということを。
 ここに声をあげている人たちがいる。性差別は社会に存在する。誰かの尊厳を傷つける表現をえらばなくても、女性を数字で数えるようなラップを挿入しなくても、きみは充分に黄金だったし、これからも黄金だということを。



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