はじめて3日連続で学校をさぼった日

私は歩き始めるのが早かった。一人で靴ひもを結べた。安全ピンを止めれた。ピアノが弾けた。楽譜が読めた。木登りが上手かった。竹馬が上手だった。年下の面倒をよく見れた。けんかも少なかった。新しいものに深く興味をもてた。
大人たちは私を4月生まれだと思っていた。11月生まれと言ったら驚く人がほとんどだった。

ずっと優等生だった。
勉強は人並み以上にできたし、部活も真面目にやってたし、楽器は一つ上の先輩よりも上手かった。生徒会もやったし、先生と生徒の緩衝材役を買って出たこともあった。成績はオール5に近かったし、仲の良い友達もいた。

自己主張の激しい手のかかる子供だった。
それと同じくらい、手のかからない子供だった。

学校が楽しかった。私を認めてくれて、頼ってもらえる場所だった。友達はみんな優しくて、お互いに尊敬し合っていた。周りの大人も優しく見ていてくれた。


まぁ、そんなヌルゲーは高校に入るまでが相場だよね。


高校から周りの子たちが一気につまらなくなった。
真面目な子たちがほとんどの学校。当然、出る杭は打たれる。
少しでもはみ出せば好奇の目で見られるし、ありきたりなユーモアしか許されない。そんな「人と違う」ことを認められない真面目ちゃんたち。

ごはんが喉を通らなかったのは初めてだった。
コロナも落ち着いてきてて新しくできた友達と一緒に食べてた時期。
人と一緒にご飯を食べるのは気を遣わないといけないことが多くて苦手だ。

でも昼ごはん一食ぐらい抜いても別に問題ないし、無理矢理飲み込む技術を身につけれたから、普通に高校生をやっていた。

夏休み明けから、朝起きるのがしんどくなった。黒いモヤが体や心に付きまとって、何をするにもうまくいかない。「明日行くために今日は休む」ようになった。月に1回ぐらいだった休みはすぐに週に1回にまで増えた。家は出たのになんとなく足が向かなくて、そこらをぶらついて2時間目から学校に行った日もあった。かと思えば家に帰りたくなくて図書館に行くって言い訳をして夜に山に入ったり、深夜にこっそり家を抜け出したりもした。我ながらよく補導されなかったと思う。

ずっとなんとなく辛かった。でも辛いとは言えなかった。
しんどいスケジュールをこなしているのは周りも一緒だから。言ったら周りに迷惑がかかるから。周りに気を遣われても返せるものを持っていないから。

周りの配慮が辛かった。何も返せないし、過干渉だとさえ思った。
関わるならこの気持ちの連帯保証人になってほしかった。山ほどの中途半端な気遣いをいつか一つ一つ返さないといけないことを思うと気が滅入ってしかたなかった。

あの三日は、雨、雨、晴れだった。
前の日の雲一つない空の下で、歩道橋から飛び降りてしまおうと思ってしまったから。サボってしまった罪の意識と、あぁもう私はだめなんだなぁっていう諦めと無力感と、周りとどんどんずれていく焦燥感と、休まないと死ぬところだったっていうほんの少しの安堵と、死んでたら楽になっていたのかもなっていう絶望感とを抱えて寝た。月なんて見る余裕はなかった。部屋の隅の隅でうずくまって寝た。あの夜泣いたかは、もう忘れてしまった。泣いたような気もするし、魂が抜けたようにぼーっとしていたような気もする。

あの時の感覚はずっと私にまとわりついているし、きっと消えることはないんだと思う。私はあの夜、思ってしまった。何もかもやめてしまおうと。一生親のすねをかじっていても、自殺するよりは親不孝じゃないだろうと。
私はきっとこの時の私に一生呪われ続ける。それだけが、そんなことを思ってしまった親不孝な私への罰なんだと思う。

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