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クリケット選手に転向した元カープの木村昇吾選手から目が離せない理由

 木村昇吾選手は、広島東洋カープ、埼玉西武ライオンズなどでプレーした元プロ野球選手です。現在は41歳にして現役クリケットプレーヤーとして、世界に挑戦中。

 私は木村選手を広島カープ在籍時代に知り、ファンになりました。

 それから約10年。現在、木村選手が運営するオンラインサロンにまで参加するコアなファンをやっています。


20歳からの広島カープファンライフ

 私は、広島生まれ広島育ち。「産まれた頃からカープファン」と言いたいところですが、私がカープを意識するようになったのは、20歳になってからでした。

 それまでは野球に全く興味がなく、短いニュースで伝えられる試合結果や順位は「昨日も負け。今日も負け。今年も5位」。(1998年から2012年までの15年で11回5位だったそうです)私がカープに持っているイメージもそんなものでした。
 そんな私の転機となったのが、20歳から始めた地元テレビ局でのアルバイト。
 それまで観ることがなかった15時台や18時台のローカル情報番組を、仕事を通じて観ることとなりました。
 その番組では試合の勝敗に関わらず、カープ選手の試合中のファインプレーが紹介されており、だんだんと私の中でカープのイメージが良くなっていきました。
 同時期に、もともとカープファンだった父がCSを契約し、帰宅すればカープの試合が試合終了まで観られる環境になりました。両親と一緒にカープの試合を観戦するのが日課になってきました。この年も早々と順位が5位で決まってしまっていましたが、シーズン後半、粘って粘って逆転勝ちという試合も多くあり、試合観戦も楽しくなってきました。
 だんだん、球場にも足を運ぶようになりました。

かっこいい!-木村選手との出会い-

 ファンになった年(2010年)、1番私の目を引いた選手が、木村選手でした。
 なぜかスタイリッシュで美しささえ感じる、安定感のある守備力。足も速い。
 打撃も向上し、ある日は5打数5安打、2日連続でヒーローインタビューを受けた時もありました。
 球場で観戦すると、カープが守備回の時には木村選手はグラウンドに入る前きちんと止まって一礼し、守備位置まで全速力でダッシュしていました。そんな礼儀正しさが見えたことも、ファンになった理由のひとつかもしれません。
 カープの攻撃中ももちろんしっかり応援していましたが、守備に魅せられすぎて、守備回の方が熱を入れて、木村選手の守備を観ているようなファンでした。

アスリートはストイックなヒーローである

 木村選手のことが気になるようになってから、雑誌に木村選手が掲載されているものをチェックしたり、オフシーズンのトークショーに行くようになりました。
 試合中のプレーだけでなく、木村選手の考え方についても興味を持つようになります。
 ある日、広島のイベント会場で野球少年たちのインタビューに答える木村選手の姿に、「プロ野球選手って、子どもたちのヒーローなんだなあ」と感じました。
「日々の練習でうまくなりたい」とノック1本、キャッチボールの1球1球を大切に意識されていることや、体づくりのトレーニングの様子などを雑誌のインタビューで知りました。
 きっと、多くのアスリートがそうだと思いますが、木村選手を通じて、アスリートのストイックさを知ることができましたし、ストイックなトレーニングを継続できる強さに尊敬の気持ちを抱きました。


「日本一のショートになることが夢じゃなく、目標」

 私がファンになった頃は、スタメンで試合に出ることも多かったのですが、年を経るにつれ、だんだんベンチスタートの試合が増えてきます。
というのも、木村選手は、内外野どこでも守れるユーティリティープレイヤーで、守備・走塁のスペシャリスト、そしてチームのスーパーサブとして評価が高い選手だったのです。
 試合終盤の代走・守備固め、スタメンの選手のトラブルのピンチヒッター、なんでも対応できる能力の高さがあり、「チームに居てくれるだけで安心」という状況だったのでしょう。

 そんな状況で迎えたある年の契約更改後の会見。木村選手が仰っていた言葉が印象に残っています。

「日本一のショートになることが夢じゃなく、目標」

 木村選手は本職であるショートのレギュラーにこだわりがあったのです。私はこの発言で、木村選手の本心を知りました。

「日本一のショート」という木村選手の目標。チーム事情等もあり、なかなか実現できない状況の中、毅然と語っていたのを聞いて、ますます応援したくなったことを覚えています。


目標を胸に、西武ライオンズへ。しかし…

 その後の木村選手は、2016年、広島カープからFA権を行使し、埼玉西武ライオンズへ移籍します。
 FAしたのにテスト入団など紆余曲折ありましたが、移籍して最初のシーズンから、1軍でのスタメンで試合に出ることも増えてきました。

 2016年5月、メットライフドームに観戦に行きました。

 この日も木村選手はスタメンで出場しており、スタメン紹介で新天地の球場のスクリーンで木村選手の映像が流れて感動し、新しい応援歌を皆が歌っていることに感動し。

 日本一のショートへの目標に向け、シーズン通しての活躍を期待していました。

 ところが翌月。木村選手は練習中に右ひざの靭帯断裂という大ケガをしてしまいます。
「今シーズンでの復帰は難しいのでは…」と、ネットニュースを見てショックを受けました。

 そのシーズン終わり、戦力外通告からの育成再契約。翌2017年6月、支配下登録選手として復帰を果たしたものの、再び戦力外通告。トライアウト受験のニュースを祈るような気持ちで読んでいました。トライアウトでアピールできたものの続報がなく、退団後木村選手が何をされるのかわからないまま2017年は年末を迎えました。情報はありませんでしたが、どこかでまだ野球を続けられるのかなと思っていました。

 しかし、トライアウト終了後、木村選手は野球選手を引退し、新たな挑戦を始めていました。そのことを私は2018年年明けのネットニュースで知ります。

そして、新たな挑戦へ

 木村選手、当時37歳。引退後の進路は、意外なものでした。

 クリケット選手への転向。
 そして次の目標は、クリケットの本場・インドのトップリーグ(IPL)への挑戦。

 そのニュースを聞いて、予想外の進路に驚くとともに「どこまでもこの方は現役アスリートなのだな」と感じました。
予想外ではありましたが、「日本一のショートになることが夢じゃなく、目標」と語っていた姿と通じるところはすごくあるなと感じました。

 すぐにクリケットの日本代表に選出され、クリケットの強豪国である、オーストラリアやスリランカのクラブチームの練習に参加している様子がテレビで紹介されました。
 言葉の壁もなんのそので、海外に積極的に武者修行に行くバイタリティーにも驚かされます。

木村選手からの発信にふれて

 木村選手にはIPLの挑戦以外に、もうひとつミッションがあります。それは「日本国内にクリケットの普及させる活動」。定期的に体験会が企画されたり、木村選手のYoutubeで動画が配信されています(ちなみに野球での体の使い方などを解説したり、過去のエピソードを語っている実践野球チャンネルもあります)
 その動画内で、2020年、木村選手が「僕のコアなファンの方はぜひ」とおっしゃる、オンラインサロンの紹介がありました。
 木村選手を知って10年。なんやかんやYoutubeなどもしっかりチェックしている私は、「コアなファン…私のことかな?」と苦笑いしながら、オンラインサロンをのぞいてみました。

私がクリケットプレーヤー木村選手を応援する理由

 オンラインサロンのサイトをのぞいたものの、私には一瞬迷いがありました。
 木村選手のことを長年気にかけていたとはいえ、プロ野球の現役時代は、木村選手はSNSをされておらず、私自身も広島を離れてしまったため、特にライオンズ移籍以降は、ネットニュースで木村選手のことを見る程度。
 クリケットのことも正直全然わからないし、日本でクリケットが1番盛んな場所は関東ということで、なかなか試合を観戦する機会すらなさそう。
 そんな状態でオンラインサロンに入ってもいいのだろうか…と。
 
 しかし、それと同時にあまりに未知の世界すぎて、迷う以上に自分の好奇心が刺激されているのを感じました。
 コロナ禍でいろいろなことが制限され、職場と家の往復という日常ばかりが繰り返される中。
 オンラインサロン参加者との新たな出会いや、未知の世界のお話を聞いてみたいという期待がありました。
 
 そしてもう1つ。「もっと直接的に木村選手を応援できる」という期待も。
(実際まだこんな記事を書くことしかできていませんが)、自分のアクションでクリケット普及の手助けであったり、木村選手にパワーを送ることができるかもしれないというのは、魅力的に感じました。自分が何かすることで、人の役に立てるというのは嬉しいことです。


 そんなこんなで入会したオンラインサロン。オンラインサロンでは月に1回、Zoomでオンラインミーティングが開かれており、木村選手ご本人と、世代も住まいもバラバラな木村選手のコアなファンたちが参加しています。
 木村選手ご本人から、近況報告や、プロ野球選手時代の貴重なお話がうかがえます。
 もともと、ファン感謝デーなどで歌を披露したりとエンターテイナーなところがある方だなと思っているのですが、お話もわかりやすくておもしろく、オンラインミーティングもほぼほぼトークショーです(笑)。
 西武ライオンズ時代の靭帯断裂の大ケガを乗り越えた話なども改めてうかがい、自分も困難を頑張って乗り切ろうという気持ちになりました。
 
 先日(2021年3月)は、木村選手がスリランカから、オンラインミーティングを開催しました。
 2020年はコロナ禍の影響で、海外での武者修行がほぼできない1年となっており、ようやく2021年2月より、木村選手はスリランカでの挑戦が再開できました。現地での隔離生活なども経て、練習に参加した話などをしてくださる木村選手の表情は「生き生きした表情ってこういう表情のことなんだろうな」というキラキラした良いお顔をされていました。
 もともとプロ野球選手時代から守備の名手ですが、クリケットの本場・スリランカのチームでも守備の指導をされているそうです。さすがです。

 2021年も続くコロナ禍。どうしても内にこもりがちな心境になってしまいがちですが、このご時世の異国で言葉も違う中での海外挑戦、すごいことをされているなと素直に思います。

まとめ

 木村選手は、現在41歳。
 正直、クリケットの本場・インドのトップリーグ(IPL)への挑戦という目標が達成できるか、わからない部分もあると思います。
 しかし、目標を立て、その目標を達成するために一歩一歩着実に行動し、努力している木村選手の姿をとても尊敬しています。だからこそ木村選手がどこまでやれるのか見届けたい、木村選手のチャレンジを応援したいと思っています。
 木村選手のチャレンジのお話を聞き、自分も臆せず挑戦するパワーをもらっています。

 私にとっての「木村昇吾選手が教えてくれたこと」つまりは「スポーツが私にくれたもの」。それは、クリケットという未知の世界。新しい出会い。直接的に応援する機会。そして自分も臆せず挑戦するパワー。
 私も自分の挑戦を、ストイックに頑張りたいです。



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