新潟から全国へ_kai

新潟の食はどのようにして全国へと広まったか

こんにちは!新潟国際情報大学のMatsuyamaです!

私は大学の講義の中で新潟を発信する取り組みを行っております。自然豊かな土地や独自の食文化が特徴的な新潟でありますが、それらに関しては他の学生が調査を進めていますので私は別の件について調べてみたいと思います(爆)

余計な前置きが長くなってしまいましたが仕切り直しを…

私が調査するものは新潟の個性豊かな文化によって生み出された多くの食べ物がどのような経路で日本全体に知られるようになり認められてきたかというものです。どんなに素晴らしく、優れた食べ物であったとしても生まれた地域に留まるばかりでは全国へ知られることは無いでしょう。何かしらの手段を用いて新潟の食をアピールしたことは間違いないはず…。というわけで、新潟の中でも知名度の高い食品たちが一体どのようにしてその存在を知らしめていったのか調べていきましょう!

はい、皆さんご存知笹団子であります(画像は新潟森林農園さんの案内ページより拝借)

今では定番となったこの笹団子が「新潟土産」としての地位を確立したのは1964年6月の新潟国体がきっかけとされています。笹団子は本来二日しか賞味期限がなくお土産とするには不向きな食べ物でしたが、吉田邦明さんや県食品研究所が協力し合い現在の三日にまで延ばしました。


お次はこちら麒麟山です(画像は麒麟山酒造さんの商品紹介ページより拝借)

日本酒の多い新潟でこの麒麟山を選んだ理由は就職活動をしている時に何度かお酒を飲む機会があり、初めて飲んだ日本酒がこちらの麒麟山だからです。麒麟山の製造元である麒麟山酒造は1995年に「奥阿賀酒米研究会」を発足し地元の農家と共に良質な酒米の増産を実現するために研究をしてきました。発足から20年余、現在は収量が600俵から約13倍の7700俵まで増産し目標である全量地元産米の7割を達成している。対外向けの目立った宣伝活動は行っていなくともその分を品質改善などに力を入れているようで、そこが評価につながっているのではないかと考えられる。


3つ目はル レクチエであります。ゴクリ… (画像は果物王国浜中屋さんの商品説明ページより拝借)

ル レクチエが日本に伝わったのは1903年(明治36年)フランスから苗木を輸入したことが始まりであるとされている。栽培が難しく本家フランスでもあまり収穫できないため「幻の洋梨」とも…。日本国内で販売が始まったのは1980年(昭和55年)で新潟三越での試食販売からであった。そして3年後の1983年には日本橋三越デパートから販売委託が行われ(4㎏一箱7000円)、その際に人気が出たためそれをきっかけに缶詰やジュース、ワインといった様々な加工食品が作られより一層ル レクチエの存在が全国へ広まりやすくなった。


最後に取り上げるものはみかづきのイタリアンです(画像はみかづきさんの商品紹介ページより拝借)

創業は1909年(明治42年)と思いのほか歴史が長くその分地元に親しまれてきたみかづき。私も小さい頃はよくみかづきのイタリアンを家族で食べていました…(^^)ナツカシイ

そのイタリアンの知名度が大きく上がったのは所謂「ご当地グルメ」と呼ばれる全国各地に存在している美味しい食べ物を雑誌やTV番組で取り上げるブームがあったからでしょう。私たちにとってはイタリアン=みかづきのアレという認識ですが県外の方々にしてみればイタリアンという商品名なのにパスタではなく、焼きそばともうどんとも言えない絶妙な食べ物に強いインパクトを受けたのではないかと予想します。

大体まとめてみると…

大きなイベントによって新潟に人が集まる機会を利用したり都会に乗り込む、グルメブームに乗るなどの手段を取ることで自分たちをPRしているものもある一方、大々的に広告宣伝せず地道に品質を高めていく酒造会社が評価される場合もあることが分かった。


ヘッダー以外の画像は下記のリンクより引用したものです

<引用元>


新潟森林農園 http://www.omochi.co.jp/blog/blog-1304/

麒麟山酒造 http://www.kirinzan.co.jp/lineup.html

果物王国浜中屋 http://556.jp/SHOP/182965/198052/list.html

みかづき http://www.mikazuki-italian.com/italian/152.html

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