【回顧体験記】ボクは障害者21歳。〜ボクが中途障害者になってからの21年を紐解く⑦〜
(その⑥より続く)
さて、前回の意味深な「まさか」の事態が起こることになるこの年、2003年が明けた。
2003年(平成15年)
第6章 まさかの想定外が起きるとは!!
この年は新しい部署である「ケアハウス」での業務も1年以上たち、ようやくこのリズムも慣れてきたという頃だった。
そんな中、当時闘病後の予後を診るため、この年の2月、数ヶ月に1回受けていたK病院の定期受診を受けていた。
このときは闘病により障害足になった右足のレントゲンはもちろん、さらに両肺のレントゲンも同時に受けていた。
「え?なんで足の骨腫瘍なのに、肺のレントゲンも??」とお思いになるかもしれない。
そう、何故か?
それは、この「骨腫瘍」というのは、腫瘍という性質上、どうしても腫瘍転移の可能性がつきまとう。その最も転移しやすい臓器が「肺」なのである。
そのため、一旦足の腫瘍が除去できたとしても、その後「肺」へ転移した腫瘍が新たにできていないかどうかを肺レントゲンで定期検診時、毎回チェックしていたのだ。
ここまで述べたら、勘のいい方は「もしや、それって・・?」と思われたであろう。
そう、そのまさかの想定外の出来事というのは、この時の肺レントゲン結果だった!!
つまり、ボクの両肺のレントゲン画像の左肺に、うっすら2つの転移したと思われる小さな初期の「肺腫瘍」が映ってしまっていたのだ!!
当時整形外科の他に並行して肺疾患を担当していた胸部外科のB担当医の淡々としたこの告知に「本当ですか・・・、まさかです・・・。」としか言えないボクは、一気に再び奈落の底へ落とされた気分になった。
もちろん、転移の可能性もあったのでどこかで覚悟はしているつもりだった・・・だったが、どこかで「そうはいっても大丈夫(=転移はないだろう)という自分なりの自信があった。
それは足のときとは違い、肺はそれまで全く痛みや違和感など自覚症状が皆無だったからだ。
しかし、実際はすでにボクの左肺には、骨腫瘍治癒後わずか1年もたたないうちに、肺腫瘍は転移していたのだ・・・。
そんなボクに、さらに追い打ちをかけるようにB担当医は言葉を続けた。
「残念だけど、これは再度抗がん剤と摘出手術をするから入院になりますね・・・。」
「え?また・・・ですか??」とボクは思わず曇ったままの表情で聞き返した。
「まあ、足のときほど長期間ではないですよ。」とさらにB担当医は返答したものの、治療、手術、入院の言葉を聞いた時点で、短期とはいえ「またあの地獄の闘病をするのか・・・」というショックの方が大きかった。
「では、早速再入院の手続きをしましょう」とB担当医は、ボクに再入院の覚悟を確認する時間も与えず、ボクはこの日のうちに再入院手続き、前検査を受け、ベッドの空きもあったので早くも再入院日時もが決まってしまった。
この再診日は行きの軽い足取りとは対照的に、一気に重苦しい気持ちで家路についた。
その後は、間髪入れずに家族や、職場へ受診結果、再入院による再休職の連絡などやることが多く、慌ただしく日々が過ぎていった。
落ち込む時間も与えてくれなかった(笑)。
そして、あっという間に再度K病院へ再入院。
今回は肺治療のため、胸部外科だった。
前回と同じ病棟でありながら別フロアになり、整形外科とは打って変わって病室は穏やかな時間が流れていた。
それはなぜかというと、整形外科というとやはり手足の治療をする人が多く、特に足とかだと歩行が困難になったりするため一時的に車椅子が必要だったりなどスタッフの手を借りることが多く、そのせいかスタッフの人数も多い。
それに比べて胸部外科は、治療範囲がほぼ胸部周辺臓器に限られるため、それほどスタッフの手もかからない?のか、車椅子の数も少なくゆったりしているように思えた。
「よくもこれほどフロアが違うと雰囲気も変わるものだ」とボクは思ったが、そんな余韻に浸る暇もなく、早速抗癌剤治療が始まった。
今回は期間が3ヶ月ほどと短いとはいえ、やはり足の闘病時と同様で若干軽めの薬剤が使われた。
とはいえ、副作用もないわけではない。
まずそれよりも何より一番嫌だったのは、その抗癌剤点滴実施の期間は、あくまでボクは薬剤管理の大元が整形外科とのことで、結局整形外科フロアに移動しなければいけなかったことだ。
これはメンタル的に前回の治療時の辛さを思い出さずにはいられなかったからだ。
しかし、そうもいってられない。
いやおうなしにボクの身体は、再びあの「悪夢の」抗がん剤点滴につながれてしまった。
確かに今回は、前回ほどの副作用のひどさはなく、毛髪もそれほど抜けない種類の薬剤だったとはいえ、体調不良になるのは違いなく、結局は苦しんだ(笑)。
そして、今回も手術前に2クールほど抗癌剤治療を行い、いよいよ肺手術の準備期間に入った。
ここで、今回は肺の手術ということで、呼吸機能を受け持つ肺にメスを入れるために、術後は呼吸が若干苦しくなるらしい。
要は「ドレーン」と呼ばれる術後の流れ出る血を抜く管が胸に入るとのことで、早速その時に備え、「呼吸」の力である肺活量を鍛える器具というのがあり、ひたすらスタッフの言われるがままに肺活量アップに勤しんでいた。
といっている間に、あっという間の手術前日。前回同様麻酔科にて手術説明を受ける。
ただ、今回はあの足の半日に及ぶ長時間手術より短く、3〜4時間ほどの短時間の手術と聞いていたので、負担は軽いと聞いていた。
聞いてきたのだが・・・・(笑)・・・
この下りでおわかりかもしれない(笑)が、結局手術時間こそ短かったものの、整形外科のときのように、すぐに一般病棟個室に戻されるわけではなく、手術後はそのままICU(集中治療室)に入れられた。
これが意外に辛かった。
ICUという特別な環境がゆえに、一晩中担当スタッフが近くで色々作業していたり、室内気温も一般病室より若干高めで密閉されているため、なんとも言い難い圧迫感が半端なかった。
ICUで過ごしたのはたった1日あまりだったにもかかわらず、初体験のボクにとっては1週間(笑)にも思えるほど長いものになった。
そしてようやく、一般病棟に戻された時は、点滴などは残されてながらも、開放感いっぱいでホッとしたものだ。
しかし、まだこれ以上の試練がボクを待っていた(これ以上まだいくのね(笑))。
それは、あの予告されていた手術した胸に差し込まれた「ドレーン」 の管だ。
術前の呼吸訓練の成果か、ボクは呼吸こそ術前同様それほど苦労はしなかったが、それとは別に、この管自体の身体に注入されている胸部分がどうもこうも痛みが絶えず、予想外の痛みにこれまた苦しんだ(笑)。
今回は当然ながら、ボクの左胸にメスも入っているので、当然傷口も縫合されていた。
そうなると、いずれは訪れるものはそう、「抜糸」作業である。
この「抜糸」についても予想外のことが・・(笑)。
実は、抜糸自体はうまくいったのだが、抜糸後入浴したら見事に抜糸後の傷口が見事に化膿してしまい、抜糸が時期尚早だったらしく、まさかの再縫合となってしまった(おいおい・・・(笑))。
その縫合はまた麻酔なしときた(さらにおいおい・・・・・(笑))。
当然ながら、痛い痛いって!!(笑)と心の中で叫んでいた(よく耐えたボク(笑))。
今回も色々散々な再入院ながら、最後に唯一ラッキーなことが起きた!
そしてそんな手術も一通り終わり、本来術後さらに再発予防の抗癌剤治療を行う予定だったが、今回の再度の副作用などのボクの身体負担からしてこれ以上は続行困難と主治医は判断、急遽中止になったのだ!!
どういう理由であれ、あの苦痛から開放されるのは素直に嬉しかった(笑)。
結局今回の胸手術により、初期段階の転移性の肺腫瘍を2つ、さらにそれとは別にもともとあったと思われる腫瘍なの??という怪しい細胞もあったのでそれも摘出したとのこと。
何はともわれ、無事にこの再入院生活も終わりを迎え、退院できたのはその年の5月はじめ。
退院後は約1ヶ月くらいで、復職も果たし、それ以後、この年は何事もなく暮れていったのだった・・・。
(その⑧へつづく)
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