【回顧体験記】ボクは障害者21歳。〜ボクが中途障害者になってからの21年を紐解く⑨〜
(その⑧より続く)
一昨年(2003年)のあの悪夢の「転移性肺腫瘍」から得ねん2年が経とうとしていた。
が、しかし!完治の5年まではあと3年ある。
当時のボクにはまだまだ遠い未来のことだった。
2005年(平成17年)
第8章 足と肺の「爆弾」の抱える身体でボクを支えていたもの
ボクの身体は今までの「右足」、「左肺」と「傷」を増やしていっていた。
そんな自分に一抹の不安を抱えながらも、なんとかボクは日々のケアハウスという自分の職場での業務に携わることで気を紛らわせていた。
職場での仕事があるのはボクにとってはありがたいことではあったが、もう一つ別に気になっていることがあった。
今後、自分の右足はもう完全に元に戻らないという「身体障害者」になっていたために、手術前の介護メインの仕事はもう無理ということも自覚してはいた。
それだけに今後の自分の身の振りようにも考えあぐねていた。
「やはり、座りメインの仕事がいいよな。」という現実を見ないとという気持ち。
それを証明するにも、当初介護保険とともに誕生して5年目の比較的新しい資格の「ケアマネジャー」という相談援助メインの職種にシフトチェンジすることがボクの新たな目標になっていた。
というか、介護保険の誕生した翌年の2001年、つまりボクの右足が「悲鳴」をあげた闘病体験の始まったとき、すでに関心はあってなんとなく入院中に受験対策は始めてはいた。
しかし、今思うと当初は闘病生活というイレギュラーな生活のこともあり、身が入ってなく、毎年1回チャンスの試験に3回連続落ちていた。
今年はまさに4回目の受験になっていた。
「今年こそ通らなければー。」
そういった覚悟がボクの中には改めて芽生えていた。
毎回の受験料自体も1万以上で馬鹿にならない。
だから今回の受験に際しては、冊子の対策問題集を購入したほかに、当時普及し始めていたインターネットにたまたま出ていた「ケアマネジャー」の過去問題実施10回分を無料で入手できたこともあり、これまでで一番必死に勉強したと思う。
そのかいあってー、なんとか4回目にしてボクは、なんとか「ケアマネジャー」試験に合格したー!
本当にうれしかった。
これで、足が本当にダメになっても変わりの効く「強味」を手にいられたー。と思ったのもつかの間、ここからが「研修」「研修」に続く「研修」で本当に資格を得るまでにはまだまだ長い道のりだった(笑)。
しかし、研修は出席して受ければなんとか修了できるーという安心感があったから、そのメリットは大きかった。
だからこそ、なんとか研修さえ終われば、あとはともう安泰!と思っていたんだ。
だけど・・・(笑)。
(その10へ続く)
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