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「新たな」東京五輪

 近代オリンピックの転換点となったとされているのが1984年のロサンゼルス五輪である。それまで表立っていなかったオリンピックの商業主義化を進め、そのビジネスモデルは現在まで引き継がれている。過熱する商業化に否定的な意見も年々大きくなっているが、今のオリンピックの規模を考えると商業化は必要ではないのかという声にも理解はできる。

 1972年ミュンヘン大会のテロ発生、76年モントリオール大会の大赤字、80年モスクワ大会のボイコット事件を経てオリンピックは変容した。警備費は増大し、開催リスクも跳ね上がった。その結果、84年大会は開催立候補都市が1都市のみとなる。いわば火中の栗を拾うといった状況でロス五輪は開催が決定したのだ。

 とにかくロス五輪における至上命題は大会の黒字化で、もし失敗に終われば五輪そのものの終結の可能性すらあった。それゆえ、84年大会の成功のみならず、その後も持続可能な開催モデルを世界に示す事が求められていたのである。こうした経緯で放映権収入をはじめとするビジネスモデルが構築された。

 コロナ収束と五輪開催というのが20年東京大会に突如現れた至上命題だろう。開催をきっかけに世界的なパンデミックを引き起こしてしまえば、後世に残る日本の負の歴史となるのは間違いない。しかしIOC副会長コーツ氏は「新型コロナに関係なく開催する」と発言した。現代五輪において中止は放映権を含む巨額の損失を意味する中で、76年ぶりの中止の選択はとてつもなく困難だろう。五輪の存続を救った84年大会のレガシーが禍根となる事なく、20年大会を「新たな五輪」への契機に出来るかが日本に託されている。


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