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大相撲「脳震とう」問題を医師はどう見たか 「本人の意思に関わらずストップを」#取り直し #大相撲 #脳震盪 https://t.co/n2a8eNbgRL
— J-CASTニュース (@jcast_news) January 20, 2021
医者は大げさに診断するものだから、と話す指導者を今まで幾度なく見てきた。むしろそれが定説であるかのような風潮すらある。リアルな現場を見ている者からすれば、医師は机上の空論を述べてくる人物ほかならないのだろう。
当の選手からすればそもそも怪我をした事実は受け入れがたく、なんとか出来るのではないかと自分自身に暗示をかける。まして指導者の顔を見れば休む選択肢は限りなく0になる。こうなればもう医師の介入する余地はない。
人間の身体は傷つく度に毎度完全回復するほど万能ではない。電球のように消耗品で、怪我をきっかけにフィラメントの輝きを失った選手は枚挙に暇がない。その時初めて計画的に怪我と向き合えば良かったと後悔するのだ。選手の傍らには医師を疎んでいた指導者はもういない。
指導者、先生などの言葉にも問題があるように思う。どうしても旧来的な上位下達のニュアンスを感じてしまう。親方などもってのほかだ。
一方でコーチングの語源は、馬車(coach)から転じて、ゴールに向かって人を送り届けることにある。たかが言葉のあやでと思うかもしれないが、されど言葉のあやだ。言語の細かいニュアンスを読み取れない人間に、他人の細やかな感情がとても読み取れるとは思わない。
現在はアメフトを中心に脳震盪の障害診断がシステム構築化されている。ただ残念なのは全て海外のシステムを時間差で踏襲している点だ。つまり海の向こうに前例がなければ、なにも変われないのである。
"国技"などというつまらないプライドは、それこそ言葉のあやでしかない。現代型にフィットしていくべきなのだ。
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