![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/64929740/rectangle_large_type_2_e572a70198e3dba745f1b0737ed9c58e.jpeg?width=1200)
いま、暇ですか?
あなたはどうでしょう?オレは暇に「なりたい」です。
暇「である」ことと暇に「なれる」こと
でも、社会のことを考えるって言い方はよくないかもしれないけど、「暇」な人じゃないとできないんだよな。そうあれる人はそんなに多くない。 #mgtorg2021
— あもーれ (@1sfzWkHIGu6XdGs) November 2, 2021
同じ「暇」な人間でも、結果として暇「である」人間と自ら暇に「になる」人間には大きな差があります。社会のこと、誰かのことを考えられるのは後者の人間です。
暇「になる」ために
ツイートでは「暇」という言葉を使いましたが、オレは「お手隙」という言葉の方が好きです。意味は「暇」とほぼ一緒ですが、こっちのほうがイメージがしやすい。要は「手ぶらである」ということ。手ぶらであるにはなにが必要か。
当然、「ものを持たないこと」です。
これが結構難しい。今の社会は魅力的なものであふれている。あれも欲しい、これも欲しいとあなたの手はすぐにいっぱいになります。でも、両手がふさがっていては次のものが拾えない。そこでみんなはポケットにものを入れます。ポケットが埋まったら、次はリュックサックを取り出します。こうして容量を無理やり増やそうとするのです。そうなるとどうなるか。答えは簡単で、いつしか拾ったものの重さでろくに歩くことができなくなる。そうなる前に、自分自身にこう問いかけなくてはいけない。
その荷物は本当に必要なものですか?
そうでないなら余計なものは置いていけばいい。この「置いていく」ことが、暇「になる」ことに必要なことじゃないでしょうか。自分と向き合って考える必要があります。もしかしたら、「欲しい」という理由だけではなく、「持たないと」という責任感から持ち続けている人もいるかもしれません。心配しなくても大丈夫、その荷物はきっとあなたじゃなくても持てるはずだから。そして、その空いた手で誰かの荷物をもってあげればいい。
改めて聞きます。いま、暇ですか?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?