一足飛びの果て 2

「私、昨日彼とケンカしたんだよね。」
僕は彼女の唐突な暴露に、驚いて目を見開く事しかできなかった。
大学の食堂で3限の時間中である今は、昼休みからの惰性でこの場に残っている人たちで賑わっている。昼休みの後に来た僕らは、テーブルの上にドリンクを置いて話していた。
「…なんで?」
彼女の言葉に動揺した僕が、なんとかひねり出した言葉だった。動揺を彼女から隠すように、コーヒーを口に含む。
「私が、ワガママを言ったつもりもないんだけど。彼にはワガママだったみたいで。」
彼女は僕へ視線を合わせない。テーブルの上で組んだ両手を見ながら、ゆっくりと喋っていた。僕は口の中に溜めていたコーヒーを、ようやくごくりと飲み込んで会話を繋ぐ。
「ああ、何か、あったんだ?」
「ケンカしたって言ったじゃん。」
彼女がふっと笑って言い返したのを見て、そう聞こえるのかと思った。そういう意味で言ったのではないし、もっと具体的に聞かなければいけないのかとも思った。僕は、はっきりとした物言いをするのは苦手だ。
「あー…ケンカのきっかけになるような、事。聞いてもいいのかな?」
「なんだ、そういうコトね。」
目を伏せがちに笑った彼女は、ミルクティーを口に運んだ。なんとなく居心地の悪い僕は、彼女の仕草が勿体付けているように見えて、少しの焦燥感を味わった。
「もっと二人で居る時間が欲しい、って、言っただけ。」
「それだけ?」
「うん。」
「一緒に住んでなかったっけ。」
「あんまり帰ってこないんだよね。職場が家より実家のほうが近いから、とか言って。」
「いやだって、アヤちゃんが住む前からそこに住んでたじゃん。」
自分にとっては理解できないというニュアンスを込めて聞き返した。
「そうなんだよね。信じられなくない?」
「なんでソコに住んでんのか、って話だな。」
僕の言葉の後に彼女の眉間にシワが寄せられたのを見て、触れてはいけない部分だったのだと気づいた。
「まあ…仕方ないのかもしれないけどね。」
視線を左の方へ泳がせながら答えた彼女の様子から、何か腑に落ちていない理由があるのだと感じた。まだ話が続くかと思い、じっと彼女の顔を見る。何かを言いたげに口を半開きにしていたが、泳がせていた目が僕の顔へと向いた時にその口は閉ざされた。そして今度は、コーヒーの入ったプラカップを持つ僕の手へと目線を落とした。何を言おうか考え込んでいるようだった。
「カナメ君はさ、カノジョとケンカしたら、どうする?」
「ええ?」
まさかの質問に、息を吸い込みながら背筋を伸ばし、考える。
「いや、それは…その時の状況次第じゃない?」
「状況?」
僕の心を探るような上目遣いをして、彼女は僕を見つめていた。その目線が強すぎるような気がして、逃げるように目をそらしてしまう。
「僕が悪かったんなら謝るし…まず相手が怒ってる理由とかさ、聞かないとわかんないじゃん。」
「聞いてくれてもさぁ。」
彼女の言葉がそこで切れる。もっと思ったまま話せばいいのにと思うぐらい、彼女には言葉を選ぶクセがあった。少し間を置いて、悩んだ顔をしながら彼女は呟いた。
「…それを受け入れてもらえなきゃ、聞いてないのと一緒だよ。」
「そりゃそうでしょ。」
「えっ。」
「えっ?」
予想外だ、という顔をした彼女と少しだけ見つめあった。彼女の口角が徐々に上がり、ニヤつくような表情になった。
「いやー、そうかぁ、それ言えちゃう人かぁ。」
ニヤニヤしながらそう言う彼女の心情が読めなくて、少しの戸惑いを覚える。なんだか少しだけ居心地が悪くなった。
「それよりさ、そのケンカ、どうなったの?仲直りできた?」
流れを変えようと思い、話を本題へ戻す。彼女はニヤついたまま話し始めた。
「そんなワガママ言ってないのになんでそんなに怒るの!?って思っちゃって。謝るのも嫌でさ。」
「うん。」
「そんな事言うなんて信じらんない!…って言ったのが、最後。」
「ああ、何もしてないんだ?そのあと…。」
「うん。」
彼女は少しスッキリしたような顔をして、残りのミルクティーをごくごくと飲み始めた。
「ふーん。」
何を言おうか迷ったが、正直なところ僕にはふたりの今後がどうなるかなんて興味がなかったし、もうどんな話も聞きたくなかった。
僕はすでに一度失恋をしている。そしてその失恋相手から、こんな風にその楽しい日々の速報を知らされるのも、苦痛でしかない。誰にも何も相談せずに終わった僕の片思いだったから、彼女はこんな気持ちを知る由もないけれど。ミルクティーを飲む彼女を見ながら、僕はこの苦い思いを丸ごと飲み込むようにコーヒーを飲み干した。
「ね、映画見に行かない?」
ミルクティーをわずかに残して飲むのをやめた彼女は、スマホを操作しながらそう言った。
「映画?」
「これ。」
見せられた画面には、小説が原作の、近頃流行っている恋愛映画だった。
「…彼氏と行けよ。」
「どうせ断られるもん。」
本当かよ。よく一緒に映画に行ったとか話してたじゃんか。じっと彼女の顔を見ていたら、微笑みを返された。ざわりと、心が騒ぐ。僕を誘った真意を聞きたいと思ったけれど、愚問になりそうだと気づいてやめた。
「…じゃあ、昼メシ行きたいトコあるから、その後に見ようよ。」
一か八かの心情で、彼女へとふっかけた。ははっ、と彼女は笑った後に「いいよ。」と言った。

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