一足飛びの果て 6

ホテルのドアを開けたのは僕だった。彼女を先に中へ入れて、ドアを閉める。そこから先は瞬く間に始まっていた。彼女が僕の右手を力一杯引き寄せたから、体勢を崩した末にその身体に抱きついた。彼女が右手のひらをこの頬へ添えて、伏せがちだった目をゆっくりとおおきく開いて僕の目を見る。潤んだその目と半開きで待ちわびている口元に、その後の行為をためらっていると、彼女の親指がこの唇をなぞった。とうとう観念した僕は、その唇が求めるままにキスをした。
ここまで来てしまったんだった。
キスをしながら突然心の内にわいてきた後悔は、目前の彼女には無関係だと思い直した。それよりも、こうして誘っている姿を見せている彼女が傷つかないように、僕はこの状況に応えなければならない。
彼女のプライドを守るために。
彼女の勇気を讃えるために。
僕の心がどうなっていようが、彼女には関係がない。口に出しさえしなければ、笑顔さえ見せていれば。この内心に渦巻く彼女への悪態や、すぐにでも叫びたいほどに感じるやるせなさは、彼女には見つからない。
僕が少しぐらい無理をしたところで、君は何も気づかずに喜ぶんだろう。それでいいなら、それでいい。

キスをしながら気づけばベッドの上へ倒れこんで、あとは流れのままに僕らは肌を合わせた。

喉の渇きを覚えて目が醒めた。のりがよくきいたベッドのシーツは、僕の肌には合わないのか酷く寝心地が悪い。電気を消し忘れた洗面台から漏れる光が、彼女の寝顔を淡く照らしていた。その横顔を見た時に、今まで抱えていた慕情がなくなっているのに気づいた。僕は僕の想像のナカで、きみの姿を使ったレンアイごっこをしていただけだったのだと気づく。きみの姿に、勝手な幻想と勝手な理想とをあてはめて見ていたに過ぎなかった。昨日まで想っていたヒトとは別人のように思えて、より心が濁っていくような気がした。ネイビーのインクをさらに注ぎ込んで、今度はマゼンダを数滴。仕上げのようにブラックのインクばかりが与えられていく。
今日の会話の中でも時折見せる遠い目が、その心には彼氏の事がいっぱいで、僕の入り込む余地は少しもないんだってのをありありと知らしめた。ほんの少し遊びたかっただけなのか、と、想像がついてしまった自分に嫌気がさす。 僕はこの先、きみへどんなカオをすればいいのだろう。それがどれだけ哀しいか、それがどれだけ切ないか。例えばきみがこの胸の内に気づいていたとして、その上でこんな事ができたのなら、僕が抱えるであろうこの苦しさも想像してみて欲しかった。もし仮に想像がついていた上でこんなジョーキョーが生まれてしまったのなら、僕はココロからきみに謝りたい。今日の約束を取り付けた時から在った勝手な期待が、今日のゼンブを招いてしまったんだとしたら。
ごめんなさい。
本当に、ごめん。
この先はきみと一緒に遊ぶこともできないや。きみが言っていた「好き」には、応えられない。俺も、好きだけど。スキだからこそ。きみの言う「好き」と、僕の抱える「好き」は、天秤にかけてどんな傾きになるのか。考えるほどに不釣り合いな「好き」であるのが、明白だと思えてならない。『デート』の結果は、きみに掴まれていたココロと、きみへ抱いていたアコガレとを、こんなカタチへ崩してしまう事になった。ずっとずっと大切に抱えていた『きみ』という存在と『好き』というカタチが、てんでばらばらに壊れてしまったような。ああ、だめだ、考えるほどに支離滅裂になっていくようだ。もう眠ろう。そして明日の朝、隣にいるヒトと一緒に出て行って別々に帰っていこう。きみよ、さようなら。楽しい想像の日々を、今までありがとう。

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