日記…20160926

ことばはわざと棘を持たせて使うこともできるし、優しさを徹底して扱うこともできる。
これは人それぞれの使える限りの力で、誰もがそうしている。
多くを知ればより多彩に多段階に使い分けられるだけで、余り知らないほどであれば、その中で心を尽くして使いわける人もいる。
ことばはその人その人それぞれの尺度で使われるもので、その内容を他人が勝手にジャッジできるものでもない。作品ならともかく、何気ない会話であれば、特に、そう。

…と、わたしはおもう。

なので、わざと傷つけるような言い方だってできるし、相手を慈しんで優しさでもてなすような言い方だって、できる。これは、ほんとうに、ヒトの誰もができる事だと思う。

肝心なのは、傷つけるような言い方をした理由。優しさで包んで伝える理由。
誰かから言われることばは、その誰かが、きちんと狙いをもってあなたへと喋っているのよ、ということ。

話しは繋がらないけど、相手の言葉を不快に感じながらもやわらかく対応できる人には、近寄らないようにしてます。
そんな苦しむようなこと、しなくていいんだよ。とは、喉元まで言葉が出てきても、相手を更に傷つけてきてしまった経験から、言えないので。
それに、だいたい、そういう子たちとは、いさかいを起こしてしまう。トドメには、苛立ちを隠しながら必死に愛想よくしてくれてるな、という様子。そういうものを見てしまったところで、すっと離れるようにしている。
嫌いな人とは、関わりをきっていいんだよ、というのを、自分の姿で見せるために。

おやすみ。

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