日記…故人から思う

元々悲しいと感じながら泣くことはほとんどなくて、悔しいとか、腹がたつとか、そういった時に涙が出やすいタチだった。20代半ばぐらいまではよく恋人に対して「自分の不満で」怒った時に泣いていた。親父が死んだ時は、叫んで命を繋ごうとしたり、その後ぼろぼろと泣いたけど、たぶん、悔しかったんだと思う。全然仲良くなれなくて苦手だったけれど、嫌いじゃなかったんだろうな。まだ親孝行してない、とか、まさか死ぬなんてことないでしょ、って思っていたから、いなくなった後の世界が怖かったりしたのかも。小学5年生がそこまで考えてるとは思えないけど。でも悲しいというよりは、ショックの方が大きかったのは間違いなかった。

歳を重ねていくほどに、過去のことを思い出して「こういう事だったのかもしれない」という解釈が増えて悔やむようになった。親父との色々も、自分一人で考え込んで「当時は不可解に思ってた事」に説明がつけられるようになってしまって、「ごめんなさい」と泣いた。
許してください。
気づけなくてごめんなさい。
小学4年生の時に、どうして私が病欠した運動会へ行ったのか。当時はわからなかったし、親父が死んだ後しばらくは気にもしていなかった。
もう、1年はもたないと。たぶん、両親は聞いていたんだろう。それを子供達には伝えなかった。もしくは、聞いていたはずなのに冗談か何かだと思って覚えていなかったのかもしれない。父も母も口下手だったから、重要な情報として聞こえていなかった可能性もある。
未だ泣き足りない程に、悔しさは心に深く根付いている。だから私は、この事を思い出す度に遠慮なく泣くのだ。
責めても取り返しがつかないのはよく知っている。それならば、自分自身でその過去を許すしかない。いつ根治するかはわからないけど。

もういない父さんに叱られたいが為に、ダメな女になるように過ごして来たようだ、と、ふと思い当たった。
ああ、ごめん、叱ってくれる人はもういないんだよね。「叱ってくれてもいいから、私を見て欲しい」なんて、もう、通用しないんだよね。
ダメな振る舞いをしたら、ダメなもんはダメなんだ。ダメな事をして「それでもイケてる私」なんてものは、演出しちゃダメなんだ。結局、ダメなところを隠して(見ないふりして)、「ダメな事をしてもダメじゃない私」なんていう特別な自分というものに酔ってるだけなんだから。

誰かのせいにする気はないです。
自分の意識を変えるための色々です。

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