見出し画像

詩央里ちゃんレポ再び

詩央里ちゃんに出逢った、昨年の12月。
私は今までの人生の中でイチニを競るくらいに精神的にキツイ状況に遭遇していて、誰かに伝えて気持ちを軽くしたいのに、どうしたらいいのか、誰に何を言ったらいいのか、自分自身はどうしたいのか、それさえもわからず混乱してた。
でもきっとこれは、他人も少なからず傷つけることだし、それで拒否されたら自分もとても傷つくかもしれない。そんな風に起きてもない先のことで傷つくだろう自分を守ることしか考えられなくなった。
誰かを守るふりをして、結局自分を守るための嘘。周囲にも家族にも何事もなかったように隠して笑って、自分から少しづつ距離を置いてやりすごして行こうと思ってた時期。

そんな時、詩央里ちゃんの歌を聞いた。
LIVE配信で見て、その後すぐにYoutubeでアップされている動画を見た
「ただ在るだけ」
を聞いて、なんだか途端に妙に吹っ切れたのを覚えている
---
まるで何もかも意味をもたぬように
静かにその場所で息をする
雨も風も嘘も降りかかるものは
全て受け入れて流れてく
分かり合うはずのない者同士が何かを通じて
思い合うならばとても美しいことで
とても儚いことだと言った
---
価値観が全く同じ人間なんて存在しないのだから、そもそも誰かにわかってもらいたい、助けてほしいと思うこと自体がエゴなんだし、結果、受け入れられず拒否されても仕方ないじゃないって突然思った。
そんなことよりも、この流れに逆らわず、まずそれと自分自身が向き合いちゃんと受け入れて前に進むこと。
結局、自分のことは自分の考え方でしか救えないし、人生を変えられるのも自分だけ。
こうしてほしいとか、こうなったらどうしようっていう期待や不安は、他人に対する依存から生じてるだけのもので、結局自分だけのものだから他人には関係ない。そんなふうに吹っ切ることができた。
そしたら少しだけ気持ちが軽くなって、まずは自分の力で前を向いてしっかり進んでいこうと思えた。まずは自分の足でしっかり向き合って立つ、そうしたら周囲の人達は、変わらずしっかりと寄り添ってくれた。
もちろんその間に距離を取られたり、離れてしまった人も僅かにいるけれど、それも仕方ないと思えるようになった。

きっと同じ状況で作られた曲ではないはずなのに、その時の自分の心情を見ているかのように歌い上げる詩央里ちゃんの歌たちは本当にどれも素晴らしくて、しかもYoutubeで聞いた歌とLIVEで聴く歌と配信で歌った曲は全部同じ曲のはずなのに、毎回違う歌みたいに聴こえる。その時の自分に刺さってくる歌も歌詞の入り方も全部違う。

そんな詩央里ちゃんの歌を1人でも多くの人に聴いて欲しいし、きっと、一人で動けなくなったときに新しい気づきの扉を開いてくれる。
その気づきはきっと人によって解釈は違う。
でも、だからこそ面白いし、奥が深い。
大阪でたくさんの人に聴いてもらえる機会を想像するとわくわくする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?