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神社と公衆衛生

みなさん神社行ってますか?実は神社は古来より意外な目的のためにとても重要な場所だったのですよ。何をする場所だったのか、いっしょに考察していきましょう…


穢れ思想


平安時代、「死」に関するものは穢れとされ、人が亡くなるところに居合わせたり、亡くなった人に触れたりすることは忌み嫌われることでした。

平安初期の律令の細則である「延喜式」によると、死者が出た場合は、関係のない者は遺体に触れない、また触れた場合は、一定期間は他人に接することを避け(忌引き)、清めを行うという慣習があったとされます。

現代人の我々にはこれらの行為が何を意味しているか分かりますね?

そう、感染症対策です。

死者が感染症で亡くなっていた場合、近づいたり触れたりするのは感染する危険性があります。さらに遺族が周囲に感染を広げる恐れもあります。穢れ思想はそれを抑制する効果があったのです。

生存バイアスにより、平安時代より前から我々は経験と言い伝えによる感染症対策を実施していたのではないでしょか。


賤民


穢れ思想から、「死」に従事する者は賤民とされ、賤視(差別)されていました。移動が制限されたり、一般人との接触が禁止されたりします。まさに感染症対策ですね。

実際に死体処理をしていたとされる犬神人、隠亡などはもちろん賤民でした。

さらに陵戸という天皇家の墓守の一族までも賤民だったようです。天皇家の墓を守っていようが賤視対象になってしまうのですね。

そして古代に神社に隷属していた者は神賤と呼ばれていました。「賤」が入っていますね。


神社が潔癖な理由


神社には参拝ルールがありますね。

まず「手水舎」です。参拝者は手と口を清めることを求められます。

それとゾーニングです。「参道の真ん中を歩かない」という謎ルールがありますね。

「男坂」「女坂」も謎ですね。かなり小さな神社でも、わざわざ急な坂と緩やかな坂の二つを用意しているところが多々あります。

現代も残るこれらも、感染症対策の名残だと俺は踏んでいます。

では、なぜそこまで対策が必要だったのか?



ズバリ、神社は死体処理場だったのではないでしょうか(諸説あります)



「参道の真ん中を歩かない」は真ん中は遺体が通るから穢れを避けるため、傾斜の緩い坂も実は遺体運搬経路(使わなくなった後世になって男坂・女坂の名称をつけた)で、手水舎もそのまま感染症予防の手洗い・うがいだったのです。そして神官はおそらく賤視されてたので「神賤」だったのです。死に関わるからですね。


しかし神社で死体処理をしていたという文献はありません。それどころか、古代の庶民の葬儀に関する資料がほとんど残っていないのです。これもやはり穢れ思想の結果と考えられます。死を忌み嫌うあまり、「清める場所」以外は何が行われていたかという情報すら伝えられなかったのです。

平安時代以降は急速に仏教が席巻し死体処理のシェアを奪われますが、神道からしたら死は忌み嫌ってるもんだから「どうぞどうぞ」って感じだったのでしょう。


では寺が出現する以前に処理された死体はどこに行ったのか?神社やその周辺から人骨が大量に出たという情報はありません。そもそも、「墓」が残っているのは皇族や有力者のみで、古代の庶民の墓に該当するものが残っていません。


ここから導き出される結論はただ一つです。


神社は転送施設だったのではないでしょうか。



神社ワープゾーン説



神社はそもそもがワープゾーンであり、それが死体処理に適していたので葬儀にも使われた――

そう考えると人骨が出ないのも納得ですね。だいたい穢れ思想的に人骨を残してしまうと日本中が穢れだらけになってしまいます。なので遺体は神社からどっかに転送し、墓は形だけのすぐ風化するやつ(おそらく木製)で済ませていたので、骨も墓も残らなかったのです。そしてその情報すら残さなかったのです。

そして肝心なのが死体をどこにワープさせていたか?ですが、賢明な読者なら気付いていると思われますが

ズバリ、霊峰・富士山です。

富士は「不死」の当て字ともとれますね?すなわち死者にとっての次のステージの象徴だったのです。

死体はまず葬儀された神社から近い神社をルーターのように次々に経由し、富士山本宮浅間大社まで行きます。ここは延喜式にも記載されてる名神大社で、高出力のワープ能力があることが伺えます。ここから御神体である富士山内部に遺体を直接ワープでぶちこむわけです。

神社の多くが南向きなのもワープと関係があります。光が最も強く、最も日照時間が長い方角、それは南。そう、太陽をワープのエネルギー源にしていたのです。神社は太陽光発電をしていたのではないでしょうか。全ての神社の上に位置する伊勢神宮の祭神アマテラスが太陽を司ることや、日本の国旗のモチーフが太陽なのはここにルーツがあるのかもしれませんね。

大陸までのワープを可能にした出雲大社


昔の出雲大社には伝説の巨大神殿が存在していたー

そんな作り話がオカルト界隈で語られていました。しかし2001年に行われた調査の結果、地中から「巨大な柱」が出現し、柱や穴にかかった圧を調べた結果、出雲大社にはかつて高さ48メートルの巨大神殿が実在していたということが確定したそうです。


ではなぜそこまでバカでかい施設が必要だったのか?

ずばりワープですね。

単純にデカければデカいほどワープ距離がかせげると考えられます。

そして出雲大社の特徴から、どこにワープしていたかをうかがい知ることができます。それはです。

多くの神社は社殿の向きと御神体の向きが同じです。しかし出雲大社は社殿は南向きですが、御神座は西向きだそうです。そして出雲大社からほぼ真西にあるのが唐の都・長安なのです。出雲大社は長安までのワープを可能にしていたのです。

では人々は大陸になんの用事があったのか?それは製鉄技術に関わることではないでしょうか。

製鉄遺跡の分布をたどってみると、かつては中国地方一帯に広がっていたのが、どんどん出雲大社周辺に集約していき、最終的に西日本の鉄の生産は出雲が独占してます。

おそらくですが、出雲の祭神である大国主の正体は大陸から製鉄技術を持ってきたおっさんで、ちょくちょく出雲大社を使って帰省していたのです。その後も製鉄関係者によってこのワープ施設は活用され、大陸からの情報によって出雲の発展へと繋がったのです。

出雲の発展が後の長州藩に繋がり、長州藩の存在が後の明治政府に繋がったことを考えると、出雲大社のワープ能力は日本の近代化にまで寄与していたのですね~


消された亀


出雲の巨大神殿、今残っていないということはどこかの年代で焼失したと考えられています。

これは厳密には焼失というよりは爆発ですね。大陸までワープできるエネルギーがあるということは、失敗した時の被害も甚大であると想像できます。おそらくワープ事故により地上部分はぶっ飛んだのでしょう。

ところで、出雲大社の近くの日御碕というところには海底遺跡があり、人が作ったような参道や亀の形の岩などがあります。

与那国島の近くの海底でも神殿や亀の形の岩が見つかっています。さらに鬼ヶ島の伝説がある和歌山、「見たことをしゃべってはいけない」で知られる沖ノ島、浦島太郎の伝説がある青森などの海底でも神殿や亀の形の岩が見つかっています。

これらの遺跡はどうやってできたのでしょうか?海底で作るのは無理ですね。しかし地上にあったものが海面の変動で沈むには相当な年月が必要です。そのころは文明はまだないでしょう。

つまり考えられることは、海底遺跡はワープ事故によってできたということではないでしょうか。

もともと日本には亀の形の岩を御神体とする土着信仰があり、そこがワープ技術を持っていましたが、徐々に神道に置き換わり御神体の亀はほとんどが破壊され別のものに替わりました。ワープ事故で海底に飛ばされた遺跡のみ亀が壊されずに残ったのです。

出雲大社の御神体は秘密とされ宮司ですら見たことがないそうですが、おそらく地上に残った最後の亀の形の岩です。


↑ 参考:どっかの神社のワープ事故の痕跡


ワープを制する者が天下を制する


天下人の動向を調べてみると神社との関りがいろいろと見えてきます。

足利尊氏が鎌倉幕府打倒の挙兵をした地は篠村八幡宮という神社だそうです。なぜ神社で挙兵しているのか… ずばりワープするためでしょう。

尊氏の移動経路を見ると京と鎌倉を何度も往復し、九州にも行ったりしています。尊氏の進軍距離を測った人によると、なんと4,945kmも移動しているそうです。ちなみに日本列島は縦に3000kmです。間違いなく尊氏の軍は何回かワープしてます


織田信長が比叡山延暦寺を焼き討ちしたのは有名ですね。実は比叡山には延暦寺の他に日吉大社という神社があります。これは全国3800の日吉・日枝・山王神社などの総本宮であり、明神二十二社という朝廷が定めた有力神社の一つなのです。おそらく高位のワープ能力を有していたと思われます。

信長はのちに天下を取りますが、これは比叡山焼き討ちの際に日吉大社から奪った能力によってワープ戦を有利に進めた結果ではないでしょうか。


徳川家康は地元から江戸に三河稲荷神社というマイナー神社を移動させています。なんのためか? ずばりこれも大国主と同じくワープ帰省が目的と考えられます。おそらく神社の性質として、マイナー神社でも直接移動させれば移動先と元あった場所で直通のワープ経路ができるのではないでしょうか。

ところで江戸時代といえば参勤交代が有名ですね。なぜ大名たちはワープしなかったのでしょうか? いや、できなかったのでしょう。大名がワープで江戸に来るということは、地方から江戸に簡単に攻め入ることができるぞと言っているようなものです。ワープで江戸に入ることはマナー違反なのです。徳川は大名の誠意を試し、大名は足で江戸に来ることで徳川に誠意を示したわけですね。


ワープ外交


実は伊勢神宮や出雲大社よりヤバい神社が存在します。靖国神社です。

ここはかなり特殊な神社で、祭神は特定の神ではなく、幕末から明治維新にかけて功のあった志士に始まり、日本の国内外の事変・戦争等、国事に殉じた軍人、軍属等の戦没者です。

祭神の数は2004年の時点で計246万6532柱とされています。

この数字から、靖国神社が最高位のワープ能力を有しているであろうことはみなさんの想像している通りです。

靖国を作った明治天皇の狙いは、かつての出雲大社並みの超ワープ施設を復活させることだったのです。

近年、靖国神社に総理や閣僚が参拝することに他国が抗議するニュースが多々ありますが、靖国のワープ能力を考えれば納得ですね。

国のトップが靖国に参拝し、それがニュースとして流れるということは他国からは「ワープ兵器を使うぞ」と言っているように見れるわけです。

もちろん、ワープ兵器は裏国際条約で規制されていると思いますが、日本は使うかもしれないことをチラつかせることで外交圧力にしていたのです。


宇宙に行っていた日本人


死体が富士山までワープしていたのは説明した通りですが、この話は続きがあります。

浅間大社の祭神、木花之佐久夜毘売命はかぐや姫と同一であるとの説があります。かぐや姫といえば?そう、月です。そして月は様々な文明で死の象徴とされています。

富士山の山頂付近には浅間大社の奥宮があります。

そして富士山は記録にあるだけで10回は噴火しています。

もう言いたいことはおわかりですね?

富士山にたまった死体は奥宮が火山エネルギーを使って最終的に月にワープさせていたのです!

おそらく富士山の噴火した時間の月の位置を調べればなんらかの相関が見つかるでしょう。



ワープの国、日本


ワープで清め、ワープにより発展し、ワープで戦う…

日本は常にワープと共にあったのです。



すいません全部ウソです







いかがでしたか?


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