兎、波を走る ネタバレしかない覚え書き

野田地図 第26回公演 「兎、波を走る」観劇の記録

映像で過去の何作かを見ていつか実際の舞台をみたいと熱望していた野田地図
古今東西の物語のいくつものエピソードを融合して伏線を張り巡らせ再構成するその手腕
得意の言葉遊びというかダジャレ?アナグラム
アイデア溢れる見立ての舞台芸術
ようやく体験することができました

この作品が不思議の国のアリスやピータパンといったファンタジーを纏いながら描いていたのは未だ完結していない彼の国による拉致問題
すなわち脱兎は拉致工作員
アリスは拉致された少女そして娘を探す母
「お母さん」と谺するアリスの叫ぶ声と
ようやく抱きしめた腕の中のアリスが消えた母のストップモーションの表情には
ありきたりな言葉だけど胸を締め付けられた
そして元女優の最後のセリフ「何か私忘れてしまった気がする」
「そう思っているのは他ならぬ私たちだよね?」と突きつけられ背筋が凍る思い
被害者も家族も年老いていき「時間がない」というのに
すっかり忘れたことにしてしまっている
「もう、もうそうするしかない」ことにしてしまっていることへの警鐘
そして名前と家族と過去を奪われ「もう、そうするしかない」工作員となった兎も
その立場を利用して国境を超えて亡命し母にアリスの存在を伝えて彼の国に消された
アリスと母 そして兎 なんともやるせない不条理
この3人を中心に遊園地の持ち主の元女優と彼女からその遊びの園を買い取る商人
元女優がかつて見た劇を再現するために雇われたチェーホフやブレヒトの末裔名乗る作家たちと
その作家を乗っ取ろうとしているAI達が紡ぎ出す物語
最初の方こそ笑いが漏れていた客席に徐々に緊張感が張り詰めてまさに息を呑むような体験でした

観劇まではSNS等気をつけていたのだけどうっかりネタバレを踏んでしまった私
「拉致」問題を扱ってるということを事前に知ってしまったので
幕開けからあちこちに散らばったピースが組み合わさり
「どう言うことだろう?」の疑問が「あ、そう言うことなのか!」とわかる瞬間を味わうことはなかったのですが
いくつかの伏線には気がつくことができました
前作フェイクスピアを映像でみた時
あの匣が日航123機体のブラックボックスであり
直前まで演じられていた俳優さん達のセリフは
そのブラックボックスに記録されていた内容と一言一句同じであることにようやく最後で気づいたくらい鈍い私にはちょうど良かったのかもしれない

冒頭とラストに同じ言葉で繰り返される脱兎のモノローグは拉致実行犯の犯行の告白と懺悔
潰れかけた遊園地の迷子相談所に現れたアリスの母の言葉は「いってらっしゃい」と朝送り出した娘に未だ「おかえり」を言うことができない悲しみと痛みの心の叫びにはまさに劇中のセリフ「どきっとした」 初っ端から

そして家族と過去を消されたネバーランドの子供達の先生になってゆくゆくは日本語を教えることになるアリスは拉致被害者の方々は工作員たちに日本語や日本のことを教える役割を担わされていたことの
「地上の楽園」とはかつて彼の国をそう信じて渡航した人たちがいたことの
チュチェ猫がいう「誰もが招かれる招待所」は拉致被害者や工作員の住まう施設であることの
ピノキオになった自分を飲み込んだ鯨のお腹を叩き掻きむしるアリスは
我が家のすぐそばでいきなり麻袋に詰め込まれたまま運ばれていった少女の船倉での様子の暗喩
そして母とアリスが取り合うのはアリスの娘
「私がどれだけ長い間ここにいると思っているの?」被害者が彼の国で娘を持ったことに呼応している
そして平熱38度線は勿論平壌38度線
ここまではすぐにピンと来たけど
不思議の国のアリスのチェシャ猫ならぬチュチェ猫の「チュチェ」が
彼の国の思想のことであること
野田地図で場面転換に多用されるカーテン状の幕、ブレヒト幕が劇中の第二の作家(の祖先)に由来してることは
2度目の観劇時に購入した戯曲を読んだ後調べて初めてしったこと
劇中では俳優のデハケを隠すブレヒト幕が真っ白な布ではなく、麻色だったのは
現実の事件では被害者を隠す拉致の暗示だったのか
兎=痛みを知るための実験動物
これは比喩でもなんでもなくて実際に使われてて
大学時代の薬理学か生理学の実験では頭に電極埋められた兎を使ったのは
多分鎮痛剤の効果を測る、つまり「痛みを知る」ための実験ではなかったか?

チェホフの自称末裔が出てくるくらいだから「遊びの園」は「桜の園」がモチーフで
最終的に競売で手に入れるのは出入り業者なんだろうなと予想はついたけど
あちらの国の方の名前覚えられない私は
元女優の名前が桜の園の女主人の名前をもじったものであること
またテレビはほぼ見ないからやたらテンションの高いホームズの口上が某不動産のCMのパロディであることは気が付かなかった

AIのパートだけは唐突感が否めなかったのだけど
お互いなんら関係のなさそうな過去の膨大なデータを抽出して組み合わせ最もらしい答えを導くのがAIだとしたら
不思議の国のアリス、ピータパン、桜の園、仮想空間、拉致問題でそれをやってのけてる野田秀樹さんがやっていることはまさにAIなのではなかろうか?
でもAIは野田秀樹さんにはなれないと思う
それは彼こそが天才たる所以

1回目の観劇は1階中央一番後列で舞台全体がよく見渡せた
>と<の切り込みの入った2枚の幕を組み合わせた大きさの変化する菱形の窓を用いた登場人物達のデハケ
アリスがモチーフだけに鏡?ハーフミラーに映る虚像で表される奥行き
奈落の穴に連なる螺旋階段に見立てられる銀色のフラフープ
そして茶色のブレヒト幕が俳優さん達の出入りを隠すだけではなく
舞台裏を走る兎や空を飛ぶピーターパン
仮想空間のアバターとなってしまった作家達そして
成田空港闘争やハイジャックされる飛行機のニュースをも映し出すスクリーンとなっていて
本当に「見立て」の芸術の素晴らしさを感じることができた

2回目は役者さんの表情まで肉眼で見える3列目
脱兎を演じる高橋一生さんの舞台上を軽やかに飛び回るような身体能力の高さは最後列からも伺いしれたけど
名前と過去を奪われた兎が現の国へ脱出するにはスパイになり切ることだと決心した時の痙攣した表情
そしてその兎が自分の名前と自分たちの罪を告白している時
スポットライトの当たらない暗闇で松たか子さん演じるアリスの母の流す涙は
至近距離だからこそ観ることができた
高橋さん松さんといえばもう何回も繰り返してみてる大好きなドラマ カルテット!
このドラマに印象深い役柄でゲスト出演していた大倉孝二さん
(ちなみに私は大倉さん演じる刑事とクドカンさん演じる偽マキさんの夫の二人の取調室のシーンが大好きでそこだけリピってる)
テーマがテーマだけに重苦しさに支配されてしまうストーリーの中での笑い担当
手元の脚本集にはないセリフつまりアドリブ満載で
触ったら怒られるやつとか某DJの時事ネタには
大鶴佐助さんが舞台の上で素で笑っていました
そして何より多部未華子さん!
34歳1児の母とは思えない可愛らしさ少女っぽさはまさにアリスにびったり
透明感があるって言葉は某お騒がせ女優ではなく彼女のために使うべき形容詞だわ!
とーにーかーく後光がさしてるんじゃないかというレベルの美しさに見惚れちゃったよ

去年くらいから何本も生の舞台を見に行ってて
ミュージカルや歌舞伎、三谷幸喜さんやケラさんといった有名作家の作品も見たけど
単なるエンタメではなく「どうするんだ?」と問題提起されて観劇後に色々と考えたのはこの野田地図が随一でした

決して安価とはいえないチケット争奪戦を勝ち抜き
わざわざ時間を作って足を運ぶ人達の前だからこそ
例えば多くの大衆が眼にするTVなんかでは表現できないような問題を扱うのが舞台の醍醐味
瞬間の芸術である舞台をそのまま留めることはできなくても
戯曲という形で後世に残るのは素晴らしくありがたいことだ


ここまで書くのに2週間かかったけど見たこと感じたこと過不足なく書くことからは程遠い
軽やかに自分の心の裡や身の回りの出来事を書き綴ってる皆さん
ほんとうにすごいわと感じ入った私の初note



参考資料:「兎、波を走る」パンフレット&新潮 2023年8月号



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