シン・エヴァンゲリオン劇場版 感想(当然のごとくネタバレもあります)

公開初日3月8日、7時20分の回と先日2回目を観てきました、そして今回はTwitter+ふせったーを利用しての感想をまとめたり、物量がクソほどでっかいので初noteと言うことで質量の大きいネタはこっちでできるかな? と言う使い分けでやってみようかと思います。






さらば、すべてのエヴァンゲリオン








と言うワケで、ここからザクザクザクザクッとネタバレ感想やら当方としてのある程度の考察などなどを書き連ねていこうかな、と思います、まだ劇場で観てないない人は超高速ダッシュで劇場で観ましょう。

(ネタバレ配慮改行を多めにしております)













「エヴァンゲリオンを再走する」

シン・エヴァンゲリオンに関して、感想Blog、ふせったー等では「再走」と言う表現が用いられているが、個人的には今回のこの再走に関しては
「TV版最終話、劇場版、漫画版、そしてゲームも含めて一回ガッチリとまとめてしまおう」
と言う意思の元での揺るぎない、徹底した再走を行い、
「真希波・マリ・イラストリアス」の存在はたしかに異質ではあるが、
それを違和感なく構築する為の再走手順構築を徹底して行い、「視点を常に碇シンジにしておく」事でQでの「意図的なブレ」(年月の経過などを利用したウラシマ効果)以外でのブレを少なくした事を、シンを利用して戻す為のフック、パンチラインとして機能させていることは巧みだと感じました。
(時間を作る事=年数の経過を利用しての仮称アヤナミレイの感情、自我等の肉付け、「涙」の回の再走もここで行っていたりとか、ただし自爆するワケではなく、「また会う為のさよなら」をしながらのLCL化である)

そこから怒涛の「最終決戦への雪崩込み」もエヴァの常にドタバタした毎回決戦進行ではなく、
少しづつ進行していき、さぁ決戦第一段階に入るか、くらい静かに進んでいくと言うのがエヴァらしくないエヴァだった、のがシン・エヴァだったよねと
なので「TV版をあらすじでもいいから、改めて新劇場版向けに当てはめ直していく」事もちょっと重要かなとも。

「就農回帰」ではなく「日本流、日本発でのポスト・アポカリプスを生きる為に」

劇中、「第三村」と言うニアサードインパクトを生き延びた人達が疎開していた村での「アヤナミレイの就農」や「ケンスケと共に調査をする」シーン、Fallout4や初期Fallout76、または近年リリースされているポスト・アポカリプス系、サバイバル要素のあるゲームの印象がかなり強く感じました
(何事も調査する等も含めての文明サバイバル術に救われているし、シンちゃんのやった事に対しては原因ではあるけどそこまでじゃないよね、と助け舟を出している)
アスカが何故働かないのか、に関しても「守るため」の答えはある意味
「ゲームのプレイヤーの中盤以降はサバイバルの術の段階や意識が変わるよね」と言うゲームっぽさが強く出ていたり等、ここもウマいなと
アスカが自己が使徒化しつつある体=不眠不休、最低限以外不要と言うことはゲームのプレイヤー段階としては純サバイバルから目的を持ってのゲーム的行動に、と言う事になる、アイテムをかき集めて生き延び、外に出た段階の次、Factrio等では文明的拡張と防衛機構構築、広域探索段階のプレイヤーの役割だよねと、マリの終盤の「断捨離できてないじゃない!!」は昨今のSF系とかのゲームあるあるのゲーム中の色々な情報をまとめているアレソレだよねと。

ただ、「第3村の普通の人たち」は「戦えないよね」と言うのもだけど、「調査力として」となると素養がちょっと心許ない人が妙に多い(年齢が多岐に渡る等、即戦力級はそのままヴィレ乗艦の為)となると、まぁサバイバル能力となると、最後に残るはケンスケよねと、しかしまぁ上手い拾い方したなぁと。

あと、「日本発のポスト・アポカリプス」に関しては、エヴァTV版、旧劇終了直前直後等であるバブル崩壊よりも「氷河期の本格化」「終わらないカリスマ・ムーブメント」(80年代からの新宗教ブームがオウムでピリオドを打たれたとしても、幸福の科学や創価学会などの息切れが起こらなかったと言う90年代、小泉純一郎首相、ホリエモン等の00年代の時代の寵児的ブーム、今見ればカリスマブームやムーブメントだよねと)での精神的なスラム構築、構造で疲弊している
向きかつ、精神的スラムはアメリカではトランプ大統領時代以降の対立周りも含めて、世界で発生しているよねといえる状況だなとも
が故に、第三村でのトウジと委員長の結婚や、ケンスケの知が事実上、全員とは言わず助けた事は

・隣人を愛する事、助け合う事へのなるべくならの回帰
・商業的なアレソレを抜きにしたり、ビズ等を抜きでも成立させるには
・無理な人は無理でも、誰にとっても社会参画は重要なんだから、歯車にするつもりは無いけど、潤滑剤としてもやっていこう

等に通じるのかな、何かこう「就農主義」と言う事よりも物凄い大枠での庵野秀明らによる世界単位でのメッセージっぽい所に思うよねと、なにかこう
安倍晋三元首相の主張していた「全員が活躍する社会」じゃなくて
「ゆるい社会参画にしよう、無理なら無理でもいい、やれるならやる範囲でいい」と言うメッセージに思うかなと、そして「何故そこまでいがみ合う必要があるんだろう」と言うメッセージなんだろうなと、だからこそ

「生き残ろう」

だったのかと。

「エヴァンゲリオン・エグゼイド」
「レディ・サードチルドレン」
「碇シンジVS幾度目のセカイと使徒軍団」
あるいは「エヴァンゲリオン・エンドゲーム」

劇中の「クレディト」(KREDIT) ドイツ語での信用やクレジット等の意味ではあるのですが、やはりこれも「1コイン」や「クレジット」だよねと。
古(とは言わないけど、1コイン特殊ED条件や難易度条件もあったりするSTGは今でもある、東方も条件でたまに)のアーケードゲームではコンティニューする事は割と憚られる(おうちで移植版やってろwwと嘲笑されるゲーセンもあったりなかったりもあるだろうけど)所はありますが、今のスマホゲーの時代だと、
該当ゲームやジャンル等のプレイ経験だけではなく
「ゲームを継続しつづけて行う、資産構築型ゲーム」「ハックアンドスラッシュでの戦利品獲得ループゲーム」言う解をスルッと取り入れたのかなと
ハードコアモード、アイアンマンモード(資産消失=名前の通りそのまま消失するモード、死=再開不可モードがハードコア、アイアンマンは特定部での中断以外は完全走行しなければいけないモード、オートセーブもされますので書き戻し、やり直しができない)は流石に入れませんでしたが、「やり直す」、「信じる」と言う意味はダジャレと言うよりも「プレイヤーの技量、経験、資産を信じる、持ち物検査的なアイテムは全部揃ってる」と言うミーニングも含めてのダジャレ的な使い方だったのかなとも、そしてヴンダーが浮いているだけの状況での「コンティニュー」としての最後の大掛かりな槍の新造作戦、「プレイヤーとしての葛城ミサトが最後の1コインでできる、そこでの最大最後の大博打」
きちんとそれに乗っかりつつも、「それは艦長の仕事でもある」と言う事もですが、「これはハリウッドじゃねえから!!」「どーしょーもねーオチだったマスエフェクト三部作じゃねえし!!!」
での最後での全員での総力戦への否定、次へとつなぐ事はある意味ギャンブルの自己完結性もだよねと
(パチスロの天井システムとかパチンコの新基準導入である遊タイムとか狙い戦法あるあるです)
印象が最も強いのが「絶望へのリセット」「希望へのコンティニュー」
もなんですが、死者の書や死海文書などって「ああ、これって登場人物やカギを当てはめるフローチャートなんだな」と言う話かなと、
しかも「RTA的条件や、バグをちょっと利用しつつ行うから多少のガバガバはしょうがない」的な欠落条項や欠落補填のウマい利用だよねと

そして「エヴァを再走する」意味、意義と言うのは現代的な資産構築型ゲームと、昔ながらの美少女ADVゲーム的なマルチED解釈の一つで
「TV版はそれはそれでのニア・トゥルーエンド、ギャルゲで言う真ヒロインのノーマルED、旧劇場版は補完計画の真相だけど通常ルート」
「新劇場版とシン・エヴァはもう出来得る限りのTV版や映画版、漫画とかの全部の謎を吐き出そう、残す部分はしょうがないけど解決しよう」と言うスタンスで色々と行っていたのかなと(二重スパイだった加持リョウジがTVそのままだと殺されるが、新劇場版では自決に近い方法でのニアサーの停止の方法等、まだまだあえて残した謎や14年の間の話をやれるよねと言う所でもありますね、映像で見たい部分はかなり多い)

特に最重要なのが「劇中でゲンドウが埋め込んだアイテム」
が新劇場版と旧劇とTV版では違う事と、そこに「幾度のクローンでも自らの自我を少量形成していた綾波レイと、自我が皆無である仮称アヤナミレイとの違い」、
「綾波レイでコケたから今度はこっち使ってみるべ」との対13号機停止作戦であるヤマト作戦終盤をひっくり返した2号機利用諸々でのアスカの失敗、「葛城ミサト、対人作戦だとウラをめっちゃかかれる」と言う性質の利用した冬月さんの作戦の読み勝ち等で
「ああここもやっぱフローチャートだよね、勝ちイベにもなるけど冬月さん相手じゃ無理だわ」と思考するとちょっと面白いかもです、あとは高機動幻想 ガンパレード・マーチの「22人プレイ」的な裏コマンドをパチ、スロのネタに引っ掛けて上手く隠したなお前! 的な所はありますよね一部
(シナリオクリアデータ後の22人プレイ、ガンパレ等の世界ネタ諸々でアルファシステム関連の世界ネタはエヴァ的な盛り上がりはしたものの、アルファシステムの謎構築はエヴァまで至らなかったと言う失意はちょっとあったのかもねと)

エヴァンゲリオン・エンドゲームについては次の見出しとまとめてで。

「エヴァの呪い」を読みかえると

エヴァQでは「破」後に14年が経過し、アスカが「以前と変わらない姿」を「エヴァの呪い」、シンで髪が伸びる描写があると言う事は「髪にはカミもケガレも」と言う事でのヒトらしさの内包と言うことで
「エヴァの呪いと言うよりも、オタクでもパリピでもワーカホリックでも、生きる事の呪いみたいなモノだよね」

と読めるかなと、そこや終盤~オーラスの話で観ていくと
「庵野秀明を含めて、とにかく80年代のアニメ・マニアックコンテンツがやり残した話にケリをつけにきた」「70、80年代オタクは色々なモノ、コトにとにかく苦しめられたし、いらん事件での呪いが大量にあるから、そっからはとにかくエヴァだけでも解放したい」のがシン・エヴァで、過去に庵野監督が失望した小松左京「さよならジュピター」の劇場版を庵野秀明が「俺はトップで木星をブラックホール爆弾にしたし、ウラシマ効果も使った」けど「エヴァについてはとにかく全部やり残ししかない、どうしようか」の決断をしてのエヴァンゲリオン新劇場版で再始動と、ガイナックスへの救済から決別
(新劇場版もガイナの救済半分があった企画だったんだけど、ガイナックスがライツ周りのゴタゴタや大ポカで庵野秀明がカネに関してはもういいかげんにしやがれと言う理由でのカラー側での版権完全買取、皮肉にもトップをねらえ!のパチンコ版事件からである、アレ割と出来良かったのよねトップパチンコ版)、「オタクコンテンツ製作者の呪い」の代表格としての「うる星やつら2ビューティフル・ドリーマーの呪い、別名押井守の呪い」の徹底的自己解呪映画だったのかなと、しかしそこは「自慰行動での賢者モードで発散させないでおこう」と言う鋼鉄の意思と、うつ病的状態にあった自己との向き合いも織り込んで、そこのウツウツしさをどう消そうか、と言う話でもあったのかなと
でもまぁ、そこに踏み込む為にどこをどうすれば、を物凄く悩んでいた所に、ヨメさんとなった安野モヨコとの生活とかだったんかなーとか、Qあたりでのうつ病再発での離脱>「シン・ゴジラ」「特撮博物館」でやった原点への立ち返り等と、コラボ等で一度はゲーム触ったりでの答え、がシン・エヴァできれいに結実したのかなとも。
(特にそれの現れがオーラスのさよなら、すべてのエヴァンゲリオンでのエヴァンゲリオン消滅のシーン>駅のホームのシーン)

そして最終局面のゲンドウとの対話シーン、
碇ゲンドウの「調律された音が好きだ」と「自己意思での知識吸収ができる本が好きだ」の部分や、対人ストレスでの過剰反応は個人的には
「発達障害当事者的な独白」と言う部分もあるのかなと
(当事者や支援者本での発達障害当事者、支援者からの視点での近い話などで読める部分での自己スキル信頼、規則正しさ等、そしてメンタルスコア計測で用いられる大量得点ゲット法則としての仕事の重圧強化、生活環境の変化、家族別離など)
故に「孤独に戻りたい」と「出来るのならヨメさんにもう一度逢いたい」
ただし「ヨメさんにもう一度」が「なんで息子にできて俺にはできなかったんだ」が綾波レイにより証明され、さらにシンジにも証明されたのはちょっとおもしろかったかなとも、「過去ばかりに囚われ続けていたから」「少しでも未来に進まなきゃ」をあのオーラスのオーラスで全部、色々なモノに気づいたのかなと、現実VS虚構、希望VS絶望、写し鏡ではあったけど「マイナス宇宙=多元宇宙への入り口、アテのない量子ワープなんぞするよりもビーコン打ってれば大丈夫だよね」と言う「アベンジャーズ・エンドゲーム」及び「アントマンアンドワスプ」での超ミクロサイズの解法と、ドクター・ストレンジが行った途方も無い幾度もの再走での「たった1つの冴えたやり方」を取り入れたりとか。

アベンジャーズ・エンドゲームとは前半のサノス農業ネタはともかくとして終盤はとにかく逆構造、シンジとゲンドウの対話での全ての完結、虚構と現実と言うよりも、次に向かう為の対話で、倒す事、戻す事じゃなくて、次の為のさよならを、と言うのがエヴァらしくなくともらしいなと。

少なくとも、エヴァの答えは旧劇場版のそれじゃない

この見出しに関しては、以前発生した事件の証言の一つで

「エヴァの答えは死が救済である」

の制作側での答えに対しては、シン・エヴァすべては全く違う回答であって
前回の旧劇場版での「物凄く突っ放してのお前ら現実にとっとと帰れ」ではなくて
「皆、ちゃんと今まで運んでいた荷物を目的地に下ろして、きちんと家に帰ろう、家に帰って、風呂入ってメシ食べて、賛否どうであれ色々と納得するまでがエヴァだよ」
と言う事、ご飯とお風呂、各々の第三村での生き残りはそれの象徴なんじゃないかなと、皆が成長してやることもある、シンジみたく立ち直れない人たちもいる、エヴァじゃなくても、色々な解釈を間違えて全てを壊してしまった人たちもいる(例えば引きこもりやうつ病患者等への当たり方の違いの描写、食べない事、何もしない事が失礼だ!と言うのは理解はできるが、トウジの「ウチじゃダメだ」でのケンスケへの移譲、ケンスケが「時間の解決とどうしようもないタイミングもある」と言うのはある意味経験者じゃないとわからないし、どう対話しようの話で社会に行くか、のペースの話とも言える)

Vaporwave綾波レイ

さて、この見出しに関しては本当にそのままで、
アディショナル・インパクトやイマジナリー・エヴァンゲリオンの部分での
「イマジナリーの部分ってコレだよね」で、北上ちゃんの
「なんかおかしいですよ!?」はまさにVaporwaveだよねと

Vaporwaveとはなんぞ!? と言う人にかなりヘンテコな説明をしたりすると

「存在しない夢想のバブル時代、1980年代ネタをとにかくサンプリングとカットアップや回転数を落として、ありえない1980年代を表現した音楽ジャンル」

で、Vectroidの変名等の「MACINTOSH PLUS – リサフランク420 / 現代のコンピュー」が有名、と言うか基本的にはコレでしかない

そして、そのアートスタイルが「古典彫刻+80-90年代物品」、近いジャンルだと「90年代テクノの総決算」であるseapunk(アートスタイル的には近いが、PV等はメガデモ的な部分が強かったりする、セガのエコー・ザ・ドルフィンやソニックが出てたりとか、ファッションだとピンク色や緑色に染めた髪の毛とかサイバーパンク調とかそう言うヤツ、音楽よりもファッション先行が強いジャンルだったよねSeapunk、音楽的にはその後のFuture Funkにちょっと繋がる)

エヴァでは「サモトラケのニケ」(羽根の生えた身体のみの彫刻)は渚カヲルシーン関連のモチーフだったのだが、そこにクソデカ3D綾波レイの顔で「ありえないでしょ!?」になる北上ちゃん、かわいかったよね!!(なんでや!!!)

ちょっと話はハズれましたが、「Vaporwave綾波レイ」に関しては
Future Funkと言うサブジャンル(ザクッと説明するとサンプリングは同じ方向だけど、踊れるVaporwave、ナードコアの"ハード・ミュージック"要素抜きと呼称したほうがスルッと通る、PVが基本的に90年代のアニメループから現在アニメのショートループまで本当に様々、サンプリング元も80-90年代にこだわらない為、結構意外なアーティストのサンプリングがある、Blu-Swing - Flashがスロー+ピッチアップになるだけでダビーなアニメ風になるとか)で有名で、今でも名曲である
TANUKI - BABYBABYの夢 収録の「カタカナタイトルEP」(リンク先は漢字タイトルEPとのカップリングバージョン)初期ジャケット
(綾波の顔コラージュとの古典彫刻)からの着想もあるのかなと
ここ意識してない人はなんじゃこりゃ、だったりですけど、Vaporwave、アディショナルインパクト、イマジナリーエヴァンゲリオンとしては「一番強烈だよね」とも言える、「エヴァのはずがなんだかヘロヘロな空間になっちゃう」
クレしんロボとーちゃんでやった「五木ひろしウェーブ」概念ではあるんすけども、やはりそこはエヴァ、「いやそうじゃねえだろ」と自己ツッコミを早々に行い、さらに「パルディオスの津波=打ち切り最終回」じゃねえぞ、と言う決意をしつつの結界化防止装置の有効活用もやりつつの「エヴァとしてのケジメ、オトシマエ」をミサトさんがやる、最終決戦前からちゃんと「エヴァ終盤のトゲトゲしい空気」から「エヴァの空気感」にもどりつつあるタイミングでのギャグとネタの同居と言うポイントではメチャクチャ考察としては面白いよなぁここ!! と言える

さらにゲンドウ下車後の渚のシーン、意を決したシーンでの
「VOYAGER 名前のない墓標」カバー、ここは先の「さよならジュピター」の完全な決別なんだろうなとか、万感な想いでの「さようなら」なんだろうねと。

ただ、この作品での「さよならはまた遭う為のあいさつ」、「宇部新川駅での下車から出口へと駆け上がる」事から、碇シンジのエヴァはこれで終わりだけど、もうちょっと続けられるかもしれないよ、常に過去にいて、シンジの幾度も行われた以前のゲームなどの再走の部分にはいなかったマリはこれからは一緒についていくんだよ、俺たち世代はやることはやったんだ、だから新時代に託すべきだ、を成長したシンジを神木隆之介に、と言う表現なのかなとも、他の全員は宇部新川駅で新しい行き先の電車を待つけど、僕たち2人は下車して、僕たちの日常に行こう、エヴァと言う楔や呪いじゃなくてエヴァと言う荷物を目的地はここに届け、下ろしたから、あとは家に帰ろう

やり直した回数は3回かもしれないけど、幾度も「あったかもしれないエヴァンゲリオン」、「妄想、空想上のエヴァンゲリオン」に対しての答え、等

そこからの高火力解像度による宇多田ヒカル「One Last Kiss」ですよ
「エヴァンゲリオンと言う作品をルーブルやモナリザと例えつつ」も
「燃えるようなキスをしても忘れられない」し「風が吹いた後に追いかけてみるような事」など、もうエヴァ集大成をここにぶつけた後にBeautiful Worldのda capo mix、そして


「終劇」


それにしても、さらば、すべてのエヴァンゲリオン、と言うよりも
「さらば、謎本文化」そして「ハロー、ワールド、おはよう世界」
シュタゲ最終回「Achievement Point」

レアな実績のロックを解除しました
0G :Hello World エヴァンゲリオンが完結した


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