ニッポン放送「あの夜を覚えてる」に関しての僕の後日談

これは前回の記事の続きです。
この一週間、僕はささくれていました。そりゃあもう、キックホッパーに変身できるくらいには。だから、自分にしては珍しくネチネチと動いたり言ったりしました。その甲斐あってか、僕に背中を押されて舞台を見ると言ってくれた方やリプライやDM、20日のチャットのコメントで温かいことを言ってくれる方がいました。ありがとうございます。あなた方のおかげで僕は救われました。
今回、僕以外にもきっと僕みたいな悔しさを味わった人がたくさんいると思います。まぁ僕の行動はいささか執念的でしたが。メールが選ばれないのとは別の悔しさ。何にぶつけたらいいか分からなくて本当に辛かった。
ここまで読んで「いや、ただお前が選ばれなかっただろ」と思う人がいると思いますが、自分で言うのもあれですけど、僕ニッポン放送っ子なんですよ。あれだけやって選ばれないならどうしたら良かったんですかね。僕のこれまでを知らない方は、あまり自分で言うの嫌なんで僕の名前を検索してみてください。本当に悔しかったんですよ。
とはいえ、僕は27日の回でどうにか採用されました。(特撮好きとしては、物語最初期と最後期のヒューマギアである吉田さんと鳴海さんの前であのネタが読まれたことは物凄い嬉しかった。)けれどやっぱり100があるなら100が欲しいstairway generationですからエンドロールには加わりたかったですよ。あのエンドロールが出てくるたびに悔しくてゲロ吐きそうだったんで。
この舞台は、オールナイトニッポン55周年記念のイベントです。55周年。60周年まではあと5年。前回の記事でも言いましたが僕はきっとあるであろう60周年のイベントに関わることが目標になりました。そして、その時にこのような企画があった時はせめて、公式の方からハガキ職人を選ぶのではなく実際のラジオのようにネタを広く募集して行いたいです。5年後にも僕みたいな人を出さないように。(まあ、募集企画をやらないというのが最も良いのですが。あった方が盛り上がるのも確か。)ラジオというメディアは他と比べて力が弱いものです。だからこそ、ハマれば強い繋がりが出来る。しかし、それが少しでも綻べばリスナーなんてすぐにいなくなります。たかが一人と思うかもしれませんが、その一人を置いてかないのがラジオだと僕は思います。僕はこの舞台(というかこの舞台の様々な企画)でラジオの良さ、リスナーの良さ、そしてハガキ職人や選ばれないことの残酷さを学びました。僕が関わる時はみんながそういう部分を気にせず楽しめるものを作りたいです。

p.s.僕のnoteを読んでくれたり、Twitterを拡散してくれた方々本当にありがとうございました。全部見てます。だけどその中にいた、エンドロールに加わっていた人はどんな気持ちで読んでいたんですかね。僕、そんなに良い奴じゃないんで気になりますよね。やっぱり。
あと、あのハガキ職人たちは舞台をタダで見たのかどうかも気になります。こちとら、大切にしてたMVPレースの図書カードを溶かして見ているので。 

この舞台は4月3日までアーカイブがあるので是非見てください。僕のnoteなんかにたどり着くようなハードなラジオ好きならきっと感動する作品です。

色々悔しかったですけど、上がるしかないようなので、頑張りますよ。覚えていてもらえなかった僕を今度こそ覚えてもらえるように。

2022年3月28日追記、この舞台で堂島D役を演じていた吉田悟郎さんから宝物のような言葉をいただきました。本当に嬉しいです。この記事は悔しさの記録として残しておきますが、僕の心は晴れやかです!終わり良ければすべて良し!

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