見立て殺人

最近は少し下火傾向な感じはありますが、まだまだ定期的に登場する"見立て殺人"についてお話してみようと思います。

まず、見立て殺人とは……あるものに見立てて事件が装飾された殺人のこと(Wikipediaより)です。
見立てる題材は、歌や詩(この二つは割と似たようなものですが)をよく見かけます。その次に本、他では過去の事件を擬えて、みたいなのも見たことがあります。
普通の事件と比べると、事件が連続して起きることが多いと思います。これは性質上の問題で、単発の事件では見立て殺人であることが確定させられないからだと思われます。一回では偶然かもしれないけど、二回だと偶然では片付けられないみたいな?逆に、作者が自然に多く殺したいなら見立てを利用するのが早いと言えるかもしれません。

では中身に移りましょう。
……とは言っても、お話できることって実はそう多くないんですよね。何故なら、見立て部分というのは、ほぼ全てにおいて、作者の用意したミスリードだからです。
あまりにはっきり言っていますがこれは当然のことで、素直に見立て通りに事を行うなどというのは、犯行計画書を手渡して犯行を行っているようなものです。そんなただ不利になるだけのことを犯人がするわけないですよね?
犯人にとって都合の良い何かが無ければ、わざわざ見立て殺人なんてやるわけがないのです。例えば……
・歌の通りに行われるものであれば、どこかで発見される順番を入れ替える工作をすることでアリバイを得る
・高いところに吊るされるといったものであれば、身長の低い人が行う犯行である可能性が薄いことより犯人像から外れる
などが挙げられるでしょうか。
こうして見ると、見立て殺人というのは、事件の概要として見られることが多いように思いますが、見立て自体がトリックの一部と考えることもでき、密室トリックやアリバイトリックなどのように、見立てトリックと呼んでも良いのかもしれないと思えてきます。あくまで複合系のうちの一つですが。

では、この新たなトリック(昔からありますが)に対して、推理する読者はどのように対抗するべきかというと……見立ては丸々考えから捨てましょう
身も蓋もありませんが、推理する上で、ミスリード要因に正面から向き合う意味はありません。見立て殺人という、犯人にとって制約の多く、歪なことをしなければならない事象において、いざ見立て部分を取り去ってしまうと、案外シンプルな構造になっていることが多いものです。そして、シンプルになった事件を正しく直視できれば、推理するのはそう難しくはないことでしょう。
私は見立て殺人で書いたことが無いので推測になりますが、見立てるという一手間を入れて、さらに複雑な構造にする、というのは作品として無理が出てくるのではないかと考えています。コナンや金田一の犯人が忙しすぎるみたいなネタがありますが、それと似たようなものです。

推理は簡単になるのに、何故見立て殺人が定期的に登場する人気のジャンルになるかというと、
・作者がミスリードの道筋を明確に作ることができる
・枠組みとして大きな謎を投げかけられるということで、作中人物、またはそれに没入する読者に対して大きなインパクトを与えられる
この二点が考えられます。
一点目は大体上記で説明した通りの効能です。推理問題として見た場合に、ストレートに考えることができてしまっては単純でつまらないからミスリード要因を用意する。実に真っ当な思考だと思います。
二点目は、小説として見た場合の面白さに関わる部分です。何のインパクトも得ない小説なんて誰も面白いと思わないわけで、それを容易に(見立て部分を作ることも簡単ではないので容易という表現は正しくはありません)設置することができるというのは大きなメリットとして考えて良いでしょう。トリック部分が多少甘くても、見立て部分がしっかり描けていれば、作品としては十分に面白いものになると思います。
こうして見ると、見立て殺人を扱うメリットはなかなかに大きいかもしれませんね。

最後に私個人の考えを言わせて頂くと、露骨なミスリード要因を並べるというのがそもそも嫌いなんですよね。これは私の作ったこれまでの推理クイズの傾向として表れていると思いますし、後書きチックなものにも書いたことがあるはずです。見立てをその最たる物と見ている私は……これからも見立て殺人を扱った推理クイズを書くことは無いでしょうね。勿論書く方を否定はしません。有効だとは思っていますし。
ただ、純粋な読み物として見るのであれば面白いとは思っているので、「面白いけど嫌い」というよくわからない評価になっています。