ノックスの十戒 続き

後半戦いきます

6. 探偵は、偶然や第六感によって事件を解決してはならない
これは...解釈次第でかなり意見の分かれる部分ではないでしょうか
言葉通りに偶然に頼った推理では確かに論外だとは思いますが、可能性を追った結果というのは偶然と言えるのか?という部分であったり、推理の材料を集めて最終的にはピンと来た、というのは第六感に当たるのか?というのは...少し微妙なラインに入ってきそうではあります
また、特に最近では出てきがちなプロバビリティーの犯行(失敗しても問題の少ない、偶然性を含んだ犯行)に対してはどうなのだろう?ということ。犯人は偶然に頼ってもいいけど探偵は100%を追わないといけない、というのであれば、ややフェアでないようにも見受けられます
この辺は、作品を作る上での動かし方にもよるのでしょうが...

7. 変装して登場人物を騙す場合を除き、探偵自身が犯人であってはならない
簡単に言うと「自作自演はダメよ」というもの
探偵自身が犯人だとミスリードしたい放題でアンフェア極まりなく、話にならないとは思いますが... それに挑んだのかはわかりませんが、探偵が犯人という作品はあるらしいですね。読んだことはありません

8. 探偵は読者に提示していない手がかりによって解決してはならない
推理小説を「作者が読者に出すクイズ」として書いたものか、「作中探偵vs作中犯人」として書いたものかで変わると思います
前者だとこれは許されず、ただのヒント不足な、アンフェアな問題としてしか処理されないでしょう。ここは世にいる推理小説家も心を砕いている部分ではないでしょうか
ですが後者だと話は変わります。作中犯人が立つ鳥跡を濁さず行ったかに思われた犯行に対してどこで見つけてきたかわからない手掛かりを突きつける。探偵が凄いことを出すためのよくある手法なんですよね。昔のだとホームズのシリーズで何冊か見た気がします。この手のはそもそも読者が解くようには作ってなかったりするようなので、悪く言えば考えるだけ無駄とも言いますか。がっちり考えて解く気で読んでこの系だとがっかりもするのですが、それは無駄に身構える方も悪いわけで。
というわけで、作品のスタンスによって許されるかどうかは変わってくるのではないでしょうか。推理小説はクイズか読み物か、なんて当然どちらもあっていいと思いますし、どちらかを認めないというのは推理小説の持つ可能性を狭める考え方でしかない、というのが私の見解です

9.“ワトスン役”は自分の判断を全て読者に知らせねばならない
私はこれは全く必要ないと考えています
これをうまく用いれば、やや無能なワトスン役を用意してミスリードし放題、作者の都合のいいように動かし放題なんじゃないかと思ったのですが、なんかこれは私の解釈が少し変な気がしてきました
そもそも作中探偵は自分以外の全員に対して犯人である可能性を捨ててはいけないと考えているので、探偵にとっての安全パイとなるワトスン役という存在をあまり歓迎していない、というのが根底にあるからかもしれません。むむむ

10. 双子・一人二役は予め読者に知らされなければならない
こんなものを最初から提示してたらこいつらが怪しいと言ってるようなものだと思うのですが...
書く上で、意味もなく双子なんてわざわざ出さないでしょうし、何のために一人二役なんてするんだって話でもあります
正直これに関しては、何故こんな提示をしたのは理解に苦しみます


勿論現代流の推理小説には通用しない部分はありますが、現代でも指標の一つであることは確かでしょう。
解釈次第のところも言い出したら何でも同じこと。ある一定の納得できる部分を示したという点で、歴史的な意義は大きいと思います。
現代流に改訂したノックスの十戒、まあ別に10でなくてもいいですが、誰か高名な人作ってみてくれませんかね。今の推理小説界がそこまで活発じゃないと言われればそれまでではあるのですが...



やはり2つに分けてよかった。記事1つでやったら私自身後で読み返す気がしなかったことでしょう←
このあとは、推理小説で登場するトリックなどを分類別に一つ一つ取り上げて考察していこうと思います