視点

トリックには直接関係なかったりすることもあったり、作品自体の根幹を成すこともあったりする”視点”について考えていきましょう。

視点整理の考え方を取り入れるメリットとしては、書き手にとっては、
・作中人物視点で持ち得る情報を管理しやすくなり、どこまでの情報を渡すかを整理できることになります。
副次的なこととして、作中探偵が解ける謎なのか、もしくは読者視点でないと解けない謎なのかを把握しやすくなるので、探偵が超推理をすることを防ぐことに繋がります。
・特に人物の多い長編などで、誰視点かを明示すると、不要なミスリードを避ける手立てになると思われます。逆にミスリードに使うこともできるかもしれません。

こう考えていくと、ミステリに限らず、情報の管理には視点整理の考え方は、制作において必須レベル、必修科目のように思えてきます。

読み手にとっては、
・犯人視点でしか知り得ない情報が漏らされた際に怪しいと気付くポイントになり得るでしょう。例えば、「なんでこいつがこのこと知ってんの?」みたいなことに注目できるといったところでしょうか。
・作中人物視点と読者視点を分けて考えることで、その齟齬を狙った叙述トリックに気付くポイントになり得るでしょう。叙述トリックは作中のメイントリックに関わるものからただのフレーバーみたいなものまでありますが、メイントリックに関わる場合に気付けておけないとまずいこともあるので、違和感があれば頭に置いておくぐらいはできていて良いかと思われます。

他にもいっぱいあると思いますが、とりあえず思いついたところでこれぐらいでしょうか。とりあえずにしては結構大事な要素もありますが。


作者視点と作中人物視点では持っている情報は異なる、ということを意識することも重要です。作中で正しく全ての情報を渡すことができると、作者の持つ情報=作中人物の持つ情報 となって問題はありませんが、特に問題になるのは、途中時点でのことです。特に説明も無いのに先の事を知っているかのような言動をするのはまずいですし、最悪の場合ご都合主義みたいなことになるでしょう。それを避けるためには、途中時点で持っている情報の管理をすることです。"今探偵はこの時点ではここまではわかっている"を考える、これも視点整理の考え方です。
これができれば、いわゆる途中図での推理だって可能です。ここに関しては正誤は無関係で、むしろ間違っていた方が良いまであるかもしれません。
この"途中図での推理"を多用している作家に、法月綸太郎氏がいます。
直接尋ねたことなんて無いので推測になりますが、氏は恐らく、情報が不足した状態での推理を作中探偵に細かくさせることで、解決までの進展(たまに後退してますが)を表現したいのではないかと考えています。あと、途中図での推理で何度も間違って壁に当たることで、最終的に真相に辿り着いたときの達成感を表現することにもなっているのではないかと考えています。
途中図での推理は、一気に情報が集まる安楽椅子探偵や、全ての情報が集まってから推理するタイプの探偵(名探偵コナンで「推理するには足りない」とか言ってるのはこの一部だと解釈しています)を描くには不向きです。そもそも途中図での推理を挟むことは全てにおいてプラスというわけではありません。ただのスタイルの違いです。ですが、情報がどこまで集まった段階が全ての情報か?というのは現実の事件ではわからないことの方が圧倒的に多い(それどころか現実の事件では完全に不必要な情報も多いと思います)ので、途中時点でも推理を挟む方が現実的なようには思います。

作中の各人物で情報共有をしていれば問題にはなりませんが、決してそういうパターンばかりではありません。そのような時は、こいつはこれを知っている、こいつはこれを知らない、というようなことを整理するのが重要になることもあります。
そして、情報共有していないことを利用して、誰の視点なら真相を導き出せるか?を描いた作品もあったりします(貫井徳郎氏の短編"探偵は誰?"がそれに当たります)。

例に出したこの二人は、視点整理による情報管理を正確に行えているからこそ、例のような描き方ができるわけです。まさしくプロの技。例示しやすかったから二人を挙げただけで、今をときめく一流の作家さんは当たり前のようにこなしてると思います。
拙作では、「雪の山荘で」で視点整理が根幹に関わっています。上手くいっているかは不明ですが。