場面の転換

最近noteで交流させていただいてる方たちの小説を読んでいてまず思ったのが、"場面の転換が上手い"ということ。自分が絶望的に下手なのは自分の文章を読むたびにわかってはいたのだが、じゃあ上手い人とどう違うんだと考えても(全然違うんだけど)今一つわからなかった
上手い人は意識せずとも書けてるのかなーぐらいにしか思わなくなっていたのだが、改めて自分の下手さを意識し、上手いと思ったのが、勝手に紹介していいのかな...後で怒られよう、よしときさんのこれ

https://note.mu/yosh1tok1/n/neac077259146

花火の話から身の上に移っていくのがものすごくスムーズに感じた
まあこれは私が勝手に思っただけなので他の方からはそうでもなかったりするのかもしれないが、ともかく私は思った

で、自分のと何がはっきり違うと思ったかというと、接続詞が少ないからではないかと
接続詞というのは、順接であれ逆接であれ、文章において場面を変える役割を持っている(個人の見解です)
スムーズに場面を転換することを考えると、接続詞はパワーがありすぎるのではないか。接続詞が入ると人は場面が変わることを意識し、一拍置いてしまう。これがスムーズにならない理由ではないかと考えた(あくまで個人の見解です)
逆に、上手い人は接続詞なんぞ使わなくとも場面を動かせるのではなかろうか?私のようなのは下手だと意識しすぎて(実際下手なんだけど)接続詞に頼り、結果もっとぎこちない場面の転換になってしまっているのではなかろうか?という結論に至った

うちみたいなのではないきっちりした作家さんとかならこの辺はとっくに通りすぎてるのかもしれないけど、こういうテクニック?のようなものって案外誰も言及していないような気もする。

というわけで、ご意見を頂きたいです
この記事における私の考察が決定的に間違ってるでも勿論いいですし、自分はこういうことを意識しながら書いてるでもいいですし
このような交流が知らない人どうしの不特定多数で出来れば、noteのnoteとしての意義も出てくるかも...?

後でハッシュタグつけておくので、こんなとこのコメントに書かずに自分の記事書くわ(それも当然の事ですが)という方がいたら同じハッシュタグつけて書いて頂けると、いい感じの知識の共有になるかもしれませぬ