難しさと面白さ

ミステリ小説において、話の(トリックのと言い換えてもいいですが)難しさと本全体としての面白さは比例するものなのでしょうか?
結論から言うとノーです。私は大体において考察の余地を残す導入を心掛けてはいますが、その余地なくノーなのです。
本当に?と思うかもしれないので、パターンを例示してみましょう。

・簡単過ぎてつまらなかった
→これはよくあります。
・難し過ぎて意味がわからなかった
→これもよくありますよね。
このつまらないときの2例だけでも難しさと面白さに比例関係は無いと結論づけても問題無さそうですが……
簡単だけどあった謎が解けていく感じが面白い。とか、解けなかったけど解答を示されて「そうか!」となる感じ。面白さの質としては異なりますが、どちらも読後感の第一感としての"面白い"には変わりないと考えて問題ないでしょう。

ではミステリ小説としての面白さというのはどこにあるのか?を考えると……よくわからないのです。
同じ簡単と思うようなのでも面白いと感じる人もつまらないと感じる人もいるわけで、これだけだと読む人次第になってしまいます。でもその中には多くの人が面白いと思うような、いわば名作はあるわけです。
では、名作と凡作のどこに差があるかを考えてみると……見せ方ではないかと。
話の見せ方で面白さが変わる、と言うと当然の事で、ミステリに限ったことではないですが、ことミステリで考えると、面白いと思うようなのはトリックの見せ方が上手い。という傾向があるように思います。
トリックが簡単なときは、さも難解なもののように見せることで、解けた時に一種の優越感のようなものを得ることを目指せます。逆にトリックが難解なときは、トリック自体を簡単に見せることは無理としても、解説を可能な限り明快なものにすることで、作中探偵の凄さを際立たせる効果を狙うことができるでしょう。
このような手法を無視して簡単なものをそのまま簡単に見せると「なんだこの単純なのは」としかならないでしょうし、難しいのをそのまま難しくすると、「一体どういうことだってばよ?」となるのは必至。読んだ人がつまらないと感じるのも当然と言えます。

このような見せ方が上手く決まった作品が名作と呼ばれ、表現の上手い作家が時代を担う。勿論全てではありませんが、こういう一面はあるはずです。