サッカーと文化の結びつき・接点に関しての私的な考察

中田英寿が昔のインタビューでこんなことを言っていたような気がする。

”サッカーと国の文化は切り離すことができない。その国に住んでいる人の特徴・伝統・考え方がダイレクトにサッカースタイルに影響を及ぼす”

僕は日本・チェコ・イギリスに今まで住んできた。もちろん、アマチュアの中のアマチュアでサッカーをやっていただけなのだが、文化によってプレースタイルが異なると感じた。例えば”個人プレー”に対しての解釈が日本だと”リスクが高い”、”ミスをすると俺らがカバーする羽目になる”、”協力してゴールに向かう方がベター”、という考え方が多くの人にあるように思える。小さい時から集団行動を重んじる教育で育ち、譲り合いを徳と考え, ”One for all" を大事にする考えから来るのかもしれない。個サルレベルでもディフェンスをあからさまにサボる選手がほとんどいない上に、パスワークや連携プレイでコレクティブに戦うスタイルだ。

一方イギリスでは個人プレイに対して良くも悪くも寛容である。個人の仕掛けがあまりにも無謀であった場合を除いてだが、個人プレーに対しての考え方が”リスク”ではなく”チャレンジ”として捉える人が多い。大学生の時に、ドリブルを10回中5回くらいしか成功しない人がいたが、イギリス人の彼は悪びれる様子もなく自信満々に仕掛けていくのだ。そしてそれを責める監督も選手もいない。成功すればゴールに近づくからやってなんぼという、ある意味楽観的な考え方なのだ。ただし、”自己責任”という考え方が強いため、ミスをした場合は誰かがカバーしてくれることはほぼ無い。FWの選手でもボールを簡単にロストすれば最後列までスプリントすることのを何度も見たことがある。これはイギリスの個人主義文化が反映されていて、平たく言えば”私は私”、”俺は俺”という考え方の基で、成功は自分のおかげ、失敗も自分のせい、と白黒をはっきりとさせる文化がサッカーに影響している。

チェコはイギリスに似ているが少し違うサッカーのスタイルかもしれない。自己主張が強くて目立つのが好きな人は日本よりも多いが、控えめで温厚という人の方がどちらかと言うと多いお国柄。旧ソ連・ドイツから長い間占領されてきた歴史から、静かなるレジスタンス・反骨心・泥臭さといったものがサッカーでも表れる。チェコ人はイギリス人よりも更に体が大きく、テクニカルで特別な人というのはあまりいない反面、クロスやセットプレーでしぶとくゴールを狙うのが印象的だった(自分は小柄な選手なので、むしろセットプレーを蹴る側だったが)。イギリスと共通しているのは、仕掛けていったり球際の部分では良くも悪くも個人の責任というところだ。

アマチュアレベルでも違いが顕著に表れるから。サッカーは改めて面白いスポーツだと思う。チームスポーツである反面、ゴールを決める人は”1人だけ”という個人主義の考え方がサッカーの原点なのかもしれない。行き着く所はエゴとチームワークのバランスだ。

そんな違うスタイルを持った国が集まるワールドカップが、今年開催されるのは楽しみで仕方がない。日本には飛躍して欲しいと心から願っている。

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