今日もアキタランドは地獄だぜ!ワハハ(ノンフィクション)

 俺は……アキタランドのササキだ。アキタランドでササキ!と叫べば田んぼの向かいで人が振り返る。みんなササキだからだ。どこの田んぼに行っても最大で一人くらいしか人はいない(田んぼに限らず、アキタランドに人はいない。アキタランドの人口の9割はイネだと言われている)からアレだが、人さえいればそれはササキなので、必ず振り返るのだ。

 俺は……俺はササキだ。今日も仕事をする。勤務先までは車で向かう。それ以外の通勤手段はない。アキタランドに公共という概念は存在しないため、公共交通機関は存在しない。自分は自力で救済しなければならない。力が全てを決める。高速で移動する大質量の鉄塊を持たなければアキタランドでは生き残れない。カモシカなどを大質量を活かしてどんどん撥ねて労働所へ向かう。カモシカは天然記念物らしいが、それでも人間よりはずっと多いので、あまり問題にならない。

 俺はササキだ。車を持たないものがいたならば、それは大人ではない。もし大の大人が車をもっていなかったとしたら、それはアキタランドでは半人前、落伍者、田分け者(たわけもの。実力が足らないために田を継ぐことができず、兄弟に田を分けて与えなければならない者。どうしようもない無能のこと)になるというわけだ。少なくとも人間扱いはされない。道を歩いてみればそれは分かる。通りすがる車の中から不審者を見る目を痛いほど感じられる。

 ササキだ。道を歩いていればたまにクマに食べられてしまう。アキタランド人の死因で自殺に次いで多いのはヒグマなのである。車の衝突をもってしてもなかなか殺せないほどのモンスターが、ときおり粗末な住宅の周りを我が物顔で闊歩する。ヒグマはアキタランド人よりよっぽど多いので仕方がない。法令で禁止されてはいるが、アキタランド人は比較的裕福な家ならば13〜14歳程度から車を運転する。そうでなければ、長距離を歩く子供は格好の食糧としてヒグマに追われることになるからだ(実際、よく通学中の子供は食べられる)。ちなみにアキタランド人の死因で自殺率を上回ってヒグマ率が一番高くなるのは、生まれてから小学生までの年代のみである。

 俺はササキだ。クマがいるなら、警察にでも通報しろって?それは意味がない。アキタランドに公共という概念は存在しない。警察官は一応存在しないこともないが、交番の電話線は抜かれており、警察官は暇つぶしに交番の前で「平和だな」と言いながらキャッチボールをして時間を潰している。アキタランドでは自力救済が基本だ。もし彼らが本当に市民のために真面目に仕事をしようとしたのなら、彼らは365日間寝ないで仕事をしなければならなくなる。仕事は無限と思えるほどあろうが、人はゼロに近い。それでも彼らは点数を稼がねばならないから、思いついた時にネズミ捕りをする。車を与えて貰ったばかりの中学生がネズミ捕りポイントを把握しておらず罰金(無免許運転)を取られるのはアキタランドではよく見られる風景だ。警察官はアキタランドで一番の高給取りの類だ。みな、警察官になりたがる。子供に車を与えられる程度の給料を貰える。仕事は暇である。比較的に馬鹿でもなれる(本を所有していて、それを読んで内容を理解できる程度ならば警察官にはなれるが、その水準にない人は多い。アキタランダーに文化は存在しない)が、クビにはならない。名誉はまったくと言っていいほどない仕事だが、それは酸っぱい葡萄だ。みんななれるのならなりたいと思っている。アキタランドには産業は存在しない。頭がよいとか顔がいいとか足が速いとか話がうまいとか、意味がないのだ。それを求める企業など存在しない。それしか最低限人間らしく生きられる仕事など、アキタランドには、ないのだ。

 俺はササキ。……警察官だ。電話線は抜けている。今日は同僚と遊ぶために交番にトランプを持ってきた。今日もどこかで、それもすぐに近くで、老人が自殺したり、ヨタヨタ歩いてクマに食われたり、カモシカにどつかれたり、老人が運転する車に轢かれて腰がもげたり、老人を車で轢いて腰をもいだりしている。今日も暇だな。おーい!いまページワンって言わなかっただろ!ワハハ!

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