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いじめの話

宮下です。

いつもご覧いただき、ありがとうございます。

今回のテーマは「いじめの体験談」です。

ある年の10月10日、私の周りでひっそり起こった、悲しい出来事のお話です。

未来を含めたとしても、私の人生において最も悲しい出来事は、おそらく「これ」です。

いえ。

この先も様々な出来事があるかと思いますが、これからお話しする「このお話」によって、大概は、

「あぁ、こんなもんか…」

になるのだと思います。

今回の記事は、出来事の中心部分から少しずつ話を広げながら、進めさせていただきます。

「大体こんな事がありました」

から始まって、だんだんとお話を広げていきます。

その上で、いくつか前提となるお話をさせていただきます。

【0】前提

まず、今回の記事では皆さんからの「共感」は求めていません。

読んでいただくことは勿論ありがたいことですが、

「あぁ、そうだったんだ」

と捉えていただくのみでOKです。

次に、読んでいただいた方々からの「理解」も求めません。

誰より私が、自分自身の身に起こった出来事を、今でも詳細には把握できていません。

それにも関わらず、ほかの方々が理解に至ることは土台「不可能」だと思います。

今回の記事では、読んでくださる皆さんにとって、

「情報が足りない」
「具体性が無い」

と感じられるかも知れません。

こちらに関しては、

「これは言わないでおこう」

という情報がある訳ではありません。

逆に、今回の記事でお話ししている内容以外は、

「具体的に把握できていない」

あるいは、

「会話としてさえ、成立していない」

というものです。

また、

「●●すれば良いのに(良かったのに)」というご発言には、意味がありません。

当時の私は、できることを全部やったつもりです。

「Can」の意味でも「May」の意味でも、です。

そして、

「過去にこだわらず前を向いていけ」というお言葉は、お気持ちを受け止めるのみです。

あの年の10月10日の出来事を私の人生から切り離すことはできませんが、本件は

「不明のまま終了(or未解決のまま終了)」

という扱いです。

私は「今」や「未来」を考えることで精一杯です。

「宮下くんにも問題があったのでは?」

当時の私(or私たち)に問題があったこと自体は、すでに認めています。

具体的に、どのような問題があったのでしょうか?

「悔しくても我慢!」

悔しさの前提には「フェアな状況」が必須だと思います。

ハッキリ言って「悔しさ以前の問題」です。

前提の最後に、もう1つだけ。

この記事は必ずしも、最後までお読みになることをお勧めするものではありません。
お読みになっている途中でご気分を害された場合は、すぐに記事を読むのを中断されることをお勧めします。

前提だけで、かなりの分量になりましたね。

まずは、ここまでお読みいただきありがとうございました。

次からは、だんだんと詳細をお話ししていきます。

【1】何があったのか?

次は「何があったのか?」の部分をお話しします。

いわゆる「5W1H」はかなり省略して、まず「何があったのか?」をご説明します。

1つ目は「謝罪への返答なし」です。

これはそのまま、

「申し訳ございませんでした」

に対するご返答は、この記事が公開されている今日に至っても確認できていません。

2つ目は「不思議な方向の会話」です。

少し具体的に言うならば、

「質問への回答が、質問者に返ってきていない」

ということです。

次に、人数のみをお伝えします。

「約270名」

ある年の10月10日の出来事のあと、私は、少なくともこれほどの人数の方々との会話や対話ができておりません。

【2】本題/いじめの話

次はいよいよ、今回の話題の「本題」です。

この出来事は、ある年の9月から始まり、10月10日の出来事を機に大きな動きがありました。

そして翌年の8月の終わり、私はついに、その環境を離れました。

その流れの中での出来事を、可能な範囲でお伝えします。

(2−1)迷惑をかけた相手は「誰かさん」

今回の出来事が大きく動いたのは、ある年の10月10日。

その少し前、9月ころに、発端となる出来事がありました。

当時私はお仕事以外の場で、ある10名程度のグループのリーダーを務めていました。

ある日のこと。

私の、もしくは私たちの何らかの言動が、何かしらのご迷惑をおかけした、と伝えられました。

つまり、

誰かにご迷惑をおかけした「らしい」というお話です。

ちなみに。

このくだりは、この記事をnoteに公開している今日においても、誰かに迷惑をおかけした「らしい」という認識にとどまります。

ここから、しばらく「らしい」など伝聞の表現が続きますが、その程度の認識にとどまることを意味しています。

ご容赦ください。

ただし。

この件に関しては、もう謝罪が済んでいたのだそうです。

謝罪の文書はすでに発せられたそうでした。

差出人として書かれていたのは、当時のリーダーであった私の名前。

それは当然だと思いますし、その会の「代表者」としての役目だと思いました。

ところが…。

私は、見せられたその文書に「大きな違和感」を抱きました。

可能な範囲で、その謝罪文への「大きな違和感」をお話しするならば、例えば「フォント」です。

その謝罪文は、すべてが「ゴシック体」で書かれていました。

いずれにしても、私にとって経験したことのない書式の文書でした。

そこで。

私は「大きな違和感」の、フォント以外の箇所も含めて確認をした上で、対応しようと考えました。

でも…。

事実上、私のこの確認作業には、実現に至りませんでした。

「これ何?」

「流石に意味が分からない…」

どうにも動きようがなかったため、私は最低限の対応だけ済ませることにしました。

「今回の謝罪文を出す上で、少なくとも、間違いなくこの領域の人(or人たち)に迷惑をかけているはず」

「だから、ここにはお詫びの手紙を出しておこう」

(2−2)退会と謝罪

私が「少なくともこの人たちには迷惑をかけたはず」という方(or方々)に手紙を送った数日後。

それが10月10日でした。

この日は、私がリーダーを務めていた会の会合日でした。

ところが…。

当時の私は、諸事情で会のスタートには間に合わない見込みだったので、前日までにメンバーにその旨を伝えておきました。

※当時のその会においては、事前連絡さえあれば役職者でも遅刻や不参加を咎められることが無かったので、この点は本件と特に関係ありません。

ようやく用事を済ませて、会合の場へ行ってみると…、

会場が「空っぽ」だったのです。

ここから先、しばらく抽象的な表現が続きます。

普段ではありえないはずの「空っぽの会場」に違和感を覚え、私はこの日の参加者に電話をかけました。

電話をかけたら、少し後に折り返す旨の返事を得て、一旦電話を切りました。

数分後。

電話をかけた相手から、メールが届きました。

その内容は…、

「え…?」

「どういうこと…?」

そこから、さらに数時間後。

別の人物からのメールが届きました。

「宮下くんは本日、10月10日付で退会となりました」

この時点で、すべてが意味不明でした。

私の心の中では、さまざまな思いがありました。

(いやいや、退会?)

(謝罪せずに退会なら百歩譲って分かるとして、謝罪したのに退会?)

(何もかも意味が分からない…、9月ころからの経緯についての説明は一切無いの…?)

私の退会を伝えるメールには「チャンス」なるものが用意されていました。

「10月11日の夜8時、●●の建物の■■の部屋で待ちます」

私はそのメールの返信として、

・11日の夜8時に向かう旨

・退会に関する決定には一切応じる意志がない旨

これらをハッキリと返信し、かつ客観的にもそれが確認できるよう、一部関係者にCCをつけておきました。

どんな経緯があれど、組織の代表者の任期途中での退会する・しないの話ならば、無関心ではいられない方々も一定数います。

そういった意味での「一部関係者」です。

10日深夜に見たメールから、11日の仕事を終え、さまざまな予定を無理矢理にでも先送りにして臨んだ、11日の夜。

事実だけを述べます。

私は、年上の方々に対して「謝罪」をしました。

「退会処分だけはご勘弁ください!」

これまでも、この先も、このような形での謝罪は私の人生において、最初で最後のことではないかと思います。

ある意味では「謝罪」であり、ある意味では「粘り」だったと思います。

結局のところ、11日の時点では私の退会は「保留」となりました。

繰り返します。

「保留」でした。

ところが…。

(2−3)何故それを知っている?

退会保留のまま迎えた週末。

その週は祝日を含めて、私の当時の勤め先では3連休でした。

さまざまな予定を片付けながら過ごしていた私の元に、数件のメッセージが届きました。

送り主は、県外の仲間たち。

まさに私が退会保留となっていた会の、当時の県外の仲間たちでした。

「宮下くん、メール見ました!」

ちょっと待って…。

「メールって、誰からの?」

「その話は、誰から聞いたの…?」

詳細は省略します。

ただ、この時点で言えたこととして、

「話が飛躍し過ぎている」

そして、

「まだ、このままなら【笑い話】で終える事もできる」

そのため、

「誤解を解くための行動を起こそう!」

それによって、私が「汚れ役」になるなら、それでも構わないと思っていました。

「宮下って変なヤツだね!」

で済ませられるならば、誰にとってもデメリットは無いはず。

そう思っていました。

「ルールのもとでお叱りを受けるなら、自分から叱られに行けば良い」

そのように思っていました。

ところが…。

(2−4)関係各位への「退会報告」

私が思い立った、

「誤解を解くための行動を起こそう!」

そのための、話し合いの場を設けていただくためのアクションや、それに付随するさまざまなアクション。

事実のみを述べるならば、それらはすべて、意味のないものとなりました。

細かい話は省略します。

本件と直接関係のない話は、ここでは触れません。

また、本件と直接関係があっても「会話」とは言えないものも、ここでは触れません。

ただ、伝える必要があることは、その相手にしっかり発信しておきました。

「この状況には、一切納得していません」

さらにそれが「相手に伝わった旨」も確認しておきました。

一方で。

事実として「会に戻る手段」が存在しないならば、その旨はいつか、関係する領域の方々には伝わってしまいます。

「宮下が退会した」

それは、誰かが伝えることになる。

ならば、私自身の言葉で伝えよう。

そう考えました。

この時点ですでに年が明け、10月10日の出来事から4か月ほどの時間が経っていました。

そこから私が行ったことは、報告の「準備」でした。

ありがたいことに、そこまでの会の活動において、たくさんの方々と知り合わせていただきました。

その方々には、自身の手書きにより、これまでの活動に対する御礼や感謝の気持ちを、手紙に書いて送ることにしました。

基本的に、1人当たりA5くらいの便箋1枚ずつ。

でも、新品の黒ボールペンを2本まるまる使い切りました。

全部書き終えて、

「あぁ、これだけの人たちに、お世話になってきたんだなぁ」

と、何とも複雑な形で、活動の足跡を振り返ることになりました。

そして、それぞれの手紙を送る相手先ごとに「窓口」にまとめました。

「窓口」というと最適ではないかもしれませんが、さまざまな情報を省略している都合上、ここでは「窓口」という言い方がベターかなと思っています。

そして、いくつかの窓口にはお菓子だとか、プレゼントをつけて出させていただきました。

中には、付き合いの長かった当時のある仲間の結婚を祝うために、お酒を贈ったパターンもありました。

「送り返されても仕方ない」

「お叱りがあるなら全部受ける」

当時は、そんな思いでした。

でも、返品もなければお叱りもゼロ。

ひとまず「贈ったものは届いた」という形で確認できました。

さて。

それらの手紙やプレゼントが一通り届ききったところで、最後にもう1つだけ。

当時使っていたFacebookのアカウントに、退会のお知らせを残しておくことにしました。

こちらは、手紙やプレゼントを送る準備と並行して、文面を検討していました。

「この表現だと、自分自身の意志と反する」

「こういう表現にしてしまうと、カドが立つのではないか?」

さまざまに試行錯誤して、最終的には、この表現でFacebookに投稿しました。

「退会することになりました。」

(2−5)「分からない」のつらさ

さて。

ここからは、その会においてお世話になった方々がみんな、私が退会することになった旨を知っている状況です。

当時の私は、当初の目的であった、

「誤解を解く」

そのための行動を起こすという部分において、できる限りで動いてきました。

それでも、何も変わらず。

季節は春を迎えようとしており、10月10日の出来事から半年以上が過ぎていました。

もう少しで、年度末。

仮に私が退会することにならなかったとしても、会の代表者、リーダーとしての任期が終わる時期でした。

この時の私は、さまざまな方々から、さまざまなお声をいただいていました。

「何があったか分からないけれど、気をしっかり持ってね!」

「ひとりじゃない!ひとりじゃないよ!」

といったように、励ましの言葉をいただき、心温まる思いでした。

その一方で、

「ちゃんと説明しろ!」

という、お叱りの言葉もいただきました。

ただ、そういったお声も「ごもっとも」だと思います。

なので私は、そういった方々へのせめてもの思いとして、このようなメッセージを発信しました。

(意訳)励ましの言葉も、お叱りの言葉も、ありがたく受け止めます。
しかしながら私は、退会に関して、詳しい事情を把握しているわけではありません。
「詳しいことは、分からない」
これでご納得いただけるかは分かりませんが、今の私にとって精一杯のご説明です。
今後、進展があれば、その中から皆さんにお話しできることがあるかも知れません。
その際はお知らせします。

会に関することで、具体的な固有名詞を使って私が何かを発信したのは、それが最後です。

(2−6)泣きながら帰郷を決意

お世話になった方々へ、先述の「詳しいことは、分からない」というメッセージを発信した頃。

私は、住んでいた街での生活を終えて、故郷に帰ることを決意していました。

このnoteをお読みいただいている方には「どういう事?」となるかも知れませんが、

「詳細な事情も含めて、もう立ち上がれなくなった」

というのが正直な心情でした。

当時の私には、人の「脆さ」すら、新鮮かつ意外に感じました。

帰郷する旨を打ち明けたとき、私は自然と涙が溢れていました。

「くるしい、つらい」

「一体、何があった?」

「私に問題があったとして、何故ここまで…?」

そんな思いを抱えながら溢れてきた言葉は、私の「限界」を証明するには十分なものだったと思います。

街を離れる旨は、当時の会の方々にもメールでお伝えしました。

返事はゼロ。

「ほとんど無かった」ではありません。

「ゼロ件」という事です。

でも結構です。

「私(or私たち)の言動に問題があった事」自体は、最初から認めていました。

その上で

「どのような点が・誰にとってご迷惑だったのか?」

というご説明が一切ない以上、謝罪の方法は見当たりません。

誰かがそれらを私に「伝えた」という可能性までは、否定しません。

問題は「伝わったかどうか」だと思います。

「何が真実だったと思うか」には意味がありません。

知りたいのは「何が真実だったか」です。

(2−7)最後のメッセージ

帰郷して、しばらくの時間が経った頃。

私は、当時の会の仲間だった方々に、最後のメッセージを発しました。

(意訳)あの時の出来事をキッパリ過去のこととして、私は私の人生を歩んでいきます。
私はもう、皆さんの「友達」「仲間」ではありません。
それだけです。

「何が問題か」

「誰のせいか」

そういった議論「以前」に、会話や議論の類すら成立しない以上、離れざるを得ないものでした。

砕けた言い方をすれば、

「会話の通じない友達って、何?」

それだけです。

長ければ9年ほどのお付き合いの方々もいました。

でも、そこから先の私にとって、彼らを「友」や「仲間」と呼ぶことはできません。

彼らとは、お別れしました。

お互いもう「友達」「仲間」ではありません。

そこは絶対ですが、それ以外は「自由」です。

【3】今後の思い

最後に、今後に関する思いを記録に留めておきます。

この記事でお話しした件に関して、要点は2つです。

(1)退会理由は不明
(2)この件は未解決のまま終了

こちらに関しては、上記の通りの思いを発して以降、数年に渡り「反対意見ゼロ」でもあります。

この事実が、全てだと思っています。

また、この出来事に関しては今後、私から能動的に動くようなことはありません。

「衝撃の新事実が判明!」のような展開でもあれば話は別かも知れませんが、冒頭でお話しした通り、私はすでに「今」や「未来」を考えることで精一杯です。

本件を受けて、貴重な学びがありました。

「正しさの本質は【人】ではなく【ルールを守ること】にある」

「個人の立場や意志に関することを、本人の確認・承諾なしに安易に話してはいけない」

組織を保っていくことは楽ではありませんが、わざわざ苦労をする必要はありません。

最後に。

あの時にご迷惑をおかけした「誰かさん」へ。

『私はあの時、ボロボロのギリギリまで謝罪の理由を探し続け、向き合い続けたほうの宮下晃弘です。』

『あなたが誰かも分かりませんし、謝罪の理由もとうとう分かりませんでしたが、これでお許しいただきます。』

以上です。

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