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みちくさ④‥明星学園設立趣意書

学校法人明星学園発行の『明星学園報』に、資料整備委員会が連載している「資料整備委員会だより・みちくさ」を転載します。

資料整備委員会だより第4回
‥‥2016年1月発行分、明星学園報No.105に掲載

 創立から90年を過ぎた明星学園は、いつの時代もさまざまな困難を抱えながら過ごしてきました。学園が厳しい状況に陥ったとき、いちばん理解し協力してくれたのは何と言っても保護者の方々でした。そこで今回からは創立期まで遡り、どのような人たちが明星を選び、子どもを通わせたのかを紹介します。

■創立のころ
 大正13(1924)年5月15日、明星学園開校の日、1・2・3年生の3学年、21名の児童が入学しました。のちに発行された小学部教育月報『ほしかげ』第7号(1934年5月15日発行)に、創立同人の一人照井げん先生は創立当時を振り返って記しています。

―子供の募集はまだ建物の形さへない中から始めたが、それにしても麥(むぎ)畑の棒杭一本を見ただけで、唯々學園の創立趣意を信じ、武蔵野の大自然を愛好して、大事なお子さんを入學させようと決心せられたあの當時(とうじ)の父兄の方々の勇敢さ、大膽(だいたん)さは今から考へると全く驚異といふより外はない。學園に永遠の礎を据ゑて下さったその父兄の方々に對(たい)する私たちの感激は、教育理想の實(じつ)現慾と相俟ってその期待を裏切らぬやう努力せざるを得ませんでした。お母さん方も亦(また)非常な熱心で、毎日二人三人づゝかはった顔の見えない日とてはなく、よく皆と一緒に日光を浴びながら樂しい昼食を共にしたものです。―

 当時の明星周辺は人家もまばらで、麦畑と雑木林に囲まれた静かな環境でした。まだ井の頭線も開通しておらず、最寄駅の吉祥寺からは昼間も薄暗い井の頭公園のうっそうとした杉並木を通り抜けて20分以上の道のりを歩かなければなりませんでした。創立者の照井猪一郎先生は「あんなところに学校をつくったって子どもなんか入るものか」と親しい友人にも止められたそうです。さらには開校日を迎えても完成していない校舎。教職員は4人の教員と用務の“おじさん、おばさん”だけ。こんな心細くなるような条件の中、親御さんたちはそれでも明星の掲げた教育の理想を信じ、共鳴し、たいせつな子どもたちを託したのです。

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■設立趣意書
 開校に先立つ同年3月24日、創立同人は児童募集のためのちらしを8千枚作り、中央線沿線に配布しました。そこに記された学園の設立趣意書を紹介しましょう。

設立趣意書(中面)


―幼き日の印象は人の生涯を支配します。幼き者の教養について社会がほんとうに覚醒せぬ内は民心の作興も思想の善導も庶幾されませぬ。勿論(もちろん)これは家庭、社会の風潮と至大な関係のあることで、独り小学校教育のみの仕事ではありません。然し現代の世相をなした1半の責は過去の小学校教育も背負わなければなりませぬ。されば我が子の行末を案ずる者、社会の前途を憂うる人は先づ小学校教育の改善を計らねばなりません。
輝く日光、新鮮なる空気、滋養に富む食物、是等三つのものは凡ての成長の大要件です。地に樹つ草木、空に飛ぶ鳥、生とし生けるものは皆是等によってその生命を伸ばすのです。幼い人の子の成長も亦そうです。然るに塵埃の巷に建てられた学舎、数十人を寿司詰にした教室は果してこの要件を満たし得ましょうか。よしや食物の研究が進み、医薬の新発見が如何に遂げられても、これでは幼い者をはぐくまれません。郊外へ! 陽の光を全身に浴び、清らかな空気を胸一ぱいに呼吸する郊外へ、幼い者を救い出さねばなりません。
輝く理想、新鮮なる校風、生命の充てる教訓、これら三つのものは幼い魂の成長の大要件です。神と自然と人間が与うる聖い教を糧とし、温かい友情の風を呼吸し、至高の理想に向かって幼い魂は伸び上がるのです。浮草の如くに転々として定まらぬ教師と、点数と競争で駆らるる児童が雑然たる知識の断片の蒐集を事として居る現代の小学校では、幼い魂の伸びようもありません。新しい教育へ、幼い者を救い出さねばなりません。
かかる考えを以って、森幽に水清き井の頭公園脇に、1千坪の大地とささやかな学舎を得て、友情に燃ゆる私達が、隠れた後援を誓わるる一教育愛好者に励まされて新しい教育の樹立を企てました。思えば教育に身を捧げてここに十数年、互いに紆曲の道を辿って遂にカナンの地を得た心地がします。どうかこのささやかな芽生がよき成長を遂げます様、御援助を願います。―
(次回へつづく)

(文責:資料整備委員会/大草美紀)

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56年前の明星の評判‥‥?!
 ◆資料紹介その2 PTA会報『道』より◆

 “「(明星学園って)小学校はいいらしいけど、中学校はまあまあ、高校は駄目らしいわね」こんな会話を地下鉄で聞いてしまいました”……と始まる文章が、昭和34(1959)年12月発行の『道』48号に掲載されています。文章は「私は学園の教育方針には全く賛成で外部の雑音には気にせず学園を信頼しておりますが」とした上で、そういう評判をよく耳にする、なぜかはわからないがひとつには有名大学への入学率が理由だろうか、それは本来の教育目的ではないはずなのに社会通念としてそればかり評価されるのは残念、と続きます。実に56年前ながら(学校の評判は今は違うと思いますが)親としての気持ちはまったく同じ、「わかる、わかる」と手を取りたい相手は、なんと二世代上でびっくりします。

 しかしさらに驚くのは、この文章をきっかけに次の49号(翌年2月発行)で、「本当のところどうなのか、聞きに行こう!」と、早速「初・中等部のお母さんがたのために 高等部を語る座談会」という記事が掲載されていることです! この率直さとスピード! 座談会には6名の保護者と10名の高校の先生方が出席され、学校の取組み(一人一人の進路を検討、第一志望に入る率は好成績)や生徒の社会的関心の高さから日常のだらしなさ(?)まで、親は気になることを何でも質問、先生方は競うように答えられています。
 最後に「どんどん遠慮なく批判してください。ただ他所でしないで直接じかにしてほしい」と一言。これは先生から今もよく伺う言葉。親だけでなく、先生方の中にも、今も昔も変わらない「明星」があると感じた、『道』の一コマでした。

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『道』49号より やかんの湯気が心地よさそうな座談会風景

※この資料紹介コーナーは資料整備ボランティアの保護者が交替で、興味を持った資料を紹介しています。


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